『夏目家順路』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『夏目家順路』(朝倉かすみ), 作家別(あ行), 書評(な行), 朝倉かすみ

『夏目家順路』朝倉 かすみ 文春文庫 2013年4月10日第一刷

いつもだいたい機嫌がよろしい元ブリキ職人の夏目清茂・74歳。ある日清茂は若い友人とスナックで一杯やっていたところ突然脳梗塞の発作を起こし、昇天。その死を悼む娘・息子、遠い昔に別れた元妻、そしてさまざまな友人・知人たち・・・。清茂の葬儀を中心にいくつもの人生が追憶と回想の中で交差する。(文春文庫解説より)

どうなんでしょう。ネットの評判をみると良くもなし悪くもなし、あくまで「平均点」-てな感じです。こういう話はけっこう難しい。だって、朝倉かすみは「普通のこと」を「普通」に書こうとしているのですから。刺激がない分、評価は下がろうというものです。

ことは葬儀に関してであり、おそらく、(ネットの意見の大半が)せいぜい参列程度にしか関わったことがない若者の言うことです。彼等にはまだ縁遠い、遠い先でしか実感できないことだと思えば、意見がバラつくのも仕方がないのかも知れません。

身内(あるいは葬儀に際して具体的に役務を担うようなごく親しい人)の葬儀を経験したことがあるかないかで抱く印象や想いは大きく異なるでしょうし、それも回を重ねる毎に微妙に変化してゆきます。

つまりは、これまでにどれほどの「死に目」に立ち会ったことがあるのか、ないのか。死んでしまった当人と自分との関係はいかばかりのものであったのか。例えば、それは誰かと誘い合わせて行くような儀礼に過ぎる程度のものではなかったのか・・・等々。

この小説を読んだ後の感想は、その時々に違って当然なのです。若い人は若い人なりに、それまで生きた限りの精一杯で惜別の情を示します。しかし、かつての自分を省みた時、それがいかに痛ましくあろうとも、どこか「他人事」であったような気がします。

故人を悼む自分を見ているもう一人の自分がいて、儀礼に適った振舞いができているかであるとか、真摯な気持ちで誠に故人を偲んでいるかなどについて、自分で自分を確かめていたようなフシがあります。今思えば、心から悲しんでなどいなかったのです。

閑話休題。

親父が亡くなった時、私は45歳になっています。ちょうどこの小説の主人公・夏目清茂が亡くなった時の彼の長男、夏目直と同じ年齢です。私は30代で母親の葬儀を経験していますが、直の場合はこれが初めての経験です。

葬儀になれば、葬儀に見合ったふうに振る舞う。できるだけ落ち度がないように心がけては、参列者に向けての気配りを怠らない。スケジュールの先の先くらいを常に念頭に置きながら、しかしバタバタせず、なお遺族の一人としての佇まいを崩さずにいる・・・

これは今思う私なりのイメージですが、実際のほとんどは葬儀社の采配で事が進行します。遺族は催行上の判断だけを求められ、後はこれといってすることがありません。故人を偲ぶ時間は十分あるのですが、何やら雑事に追われて落ち着きません。

ところどころで思い出しては、こみ上げてくるものがあります。まだ泣くまいと我慢する人、すでに瞼を腫らして鼻をすすりあげている人がいるかと思えば、いやに健気な様子であたふたと動き回っているような人がいます。

しかし、その全部がまだ「本気モード」でないのが分かります。厳かな儀式の「本番」を前にして皆が緊張し、明け透けに嘆き悲しむのを堪えています。とりあえずは通夜と告別式を無事に済ませ、火葬場へ行く段になり、ようよう身内の人間だけになります。

いよいよ棺をのせた台車が炉のなかに入ります。職員から「最後にいま一度、合掌、礼拝をお願いいたします」と声がかかり、皆がその通りにします。今日何度も聞いた「最後」という言葉の、これがほんとうの最後です。

直が、がぶりと息を詰まらせた。素子も太い声で泣いた。泣きながら、かず子の肩口を叩く。(中略)幸彦と詩織がその様子を見ている。どちらの目も濡れている。佳織は利津子の胸に顔をうずめた。光一郎はなみだと鼻水を一緒にながし、利津子の両親はうつむいて小さく息を吐いた。

読むと、元ブリキ職人だった夏目清茂の、学はなくとも真面目一徹で、陽気な上に下心のない様子がよく分かります。清茂は、どこといって特別なところのない、どこにでもいるような、すこぶる気のいい男 -

知り合い以外に目を留められず、道を歩いていても振り返られない人を普通というのなら、清茂は完全に普通の人です。しかし、「どこにでもいるような男」と「今ここにいる老人」は、息子の直からしてみれば、そして炉の前に並ぶ皆からしても、断じて違う人なのです。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「田村はまだか」「そんなはずない」「深夜零時に鐘が鳴る」「感応連鎖」「肝、焼ける」「声出していこう」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」など

関連記事

『ロコモーション』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『ロコモーション』朝倉 かすみ 光文社文庫 2012年1月20日第一刷 小さなまちで、男の目を

記事を読む

『凶獣』(石原慎太郎)_書評という名の読書感想文

『凶獣』石原 慎太郎 幻冬舎 2017年9月20日第一刷 神はなぜこのような人間を創ったのか?

記事を読む

『HEAVEN/萩原重化学工業連続殺人事件』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『HEAVEN/萩原重化学工業連続殺人事件』浦賀 和宏  幻冬舎文庫  2018年4月10日初版

記事を読む

『悪寒』(伊岡瞬)_啓文堂書店文庫大賞ほか全国書店で続々第1位

『悪寒』伊岡 瞬 集英社文庫 2019年10月22日第6刷 男は愚かである。ある登

記事を読む

『向田理髪店』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『向田理髪店』奥田 英朗 光文社 2016年4月20日初版 帯に[過疎の町のから騒ぎ]とあり

記事を読む

『虫娘』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『虫娘』井上 荒野 小学館文庫 2017年2月12日初版 四月の雪の日。あの夜、シェアハウスで開か

記事を読む

『彼女は存在しない』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『彼女は存在しない』浦賀 和宏 幻冬舎文庫 2003年10月10日初版 平凡だが幸せな生活を謳歌し

記事を読む

『やがて海へと届く』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『やがて海へと届く』彩瀬 まる 講談社文庫 2019年2月15日第一刷 一人旅の途

記事を読む

『海』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『海』小川 洋子 新潮文庫 2018年7月20日7刷 恋人の家を訪ねた青年が、海か

記事を読む

『ことり』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ことり』小川 洋子 朝日文庫 2016年1月30日第一刷 人間の言葉は話せないけれど、小鳥の

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

『羊は安らかに草を食み』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文

『羊は安らかに草を食み』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2024年3月2

『逆転美人』(藤崎翔)_書評という名の読書感想文

『逆転美人』藤崎 翔 双葉文庫 2024年2月13日第15刷 発行

『氷の致死量』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『氷の致死量』櫛木 理宇 ハヤカワ文庫 2024年2月25日 発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑