『冷血(上・下)』(高村薫)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2018/11/03 『冷血(上・下)』(高村薫), 作家別(た行), 書評(ら行), 高村薫

『冷血(上・下)』高村 薫 朝日新聞社 2012年11月30日発行


冷血(上)

 

2002年、クリスマス前夜。東京郊外で発生した「歯科医師一家殺害事件」- 衝動のままATMを破壊し、通りすがりのコンビニを襲い、目についた住宅に侵入、一家殺害という凶行におよんだ犯人たち。彼らはいったいどういう人間か? 何のために一家を殺害したのか? ひとつの事件をめぐり、幾層にも重なっていく事実。都市の外れに広がる〈荒野〉を前に、合田刑事はたちすくむ - 人間存在の根源を問う、高村文学の金字塔! (アマゾン内容紹介からの抜粋)

高村ファンならお馴染みの 〈合田雄一郎シリーズ〉 中の一編。上巻こそ 「次はどうなる? 合田はいつ現れる? 」 と、事の成り行きを追いかけられもするのですが、下巻ではまるで様子が異なってきます。

逮捕されたのは、井上克美と戸田吉生という2人の男。彼らは素直に犯行を認め、当初事件は容易に解決するものだとばかり思われていました。ところが - それこそが警察や検察にとってもっとも始末に困る事だったのですが - 2人の供述は二転三転し、多くの捜査陣が困惑し、翻弄されることとなります。合田刑事もまたその例外ではありません。

躁状態で脳味噌が飛び跳ねているような男(井上)と、悪化の一途の歯痛でボルタレンのことしか考えられない男(戸田)が、深い考えもなく、ほとんど思いつきで一軒の家を選び出し、一家が旅行に出ると勝手に勘違いしたあげくに引き起こした事件の、

ならば、(真の) 動機は?  犯意は? - それがわからず、事件終結への大きな壁となります。

2人がしたことに明確な動機や犯意があるのかどうか。担当刑事らは、答えを導き出せずにいます。あれほど残虐な事件を引き起こしたにもかかわらず、2人は果てしなく茫洋としています。殺した理由は、その時 「そうしたい」 と思ったこと以外ないといいます。

では、- 井上が 《スタッフ募集。一気ニ稼ゲマス。素人歓迎》 と求人サイトに掲載したそもそもの動機は何だったのか? 戸田がそれに応じ、ATMの襲撃で失敗した後もそのままに、3日間も一緒に強盗行脚をした動機は何なのか? 外観を見た上では現金はないと判断した高梨邸に、それでも押し入ったのは如何なる理由からなのか?

動機の次に、犯意 - いつ高梨邸への侵入を思いつき、いつ実行することに決めたのか? そのとき決めた内容は、正確にはどういうものだったのか? これに対する戸田の供述はこうです - ずるずると勢いでそうなった・・・・・・・

ずるずると?  勢いで?

冗談じゃない!   もう少しまともな供述を引き出さなくては - つまりは事実認定にかかる構成要件の主観的要素であるところの 「犯意」 を固めなければ話にもならない - 捜査は行き詰まり、皆が頭を抱えます。
・・・・・・・・・・
上巻・第一章 「事件」 は、犯行までの数日間を被害者 (特に中学生の娘・あゆみ) の視点と、犯人(井上克美と戸田吉生)の視点の両方から描かれています。続く第二章 「警察」 は、容疑者確保までの緊迫の2ヶ月間を捜査側から描いています。

そして下巻 「個々の生、または死」 と題された最終章は、圧巻中の圧巻。ここでは、勢いだけで人を殺しそれ以上の理由が見当たらないという井上と戸田との、そんな人間にしかなりようがなかった、その 「必然」 に迫ろうとする合田の執念が克明なまでに綴られていきます。

強く印象に残るのは、引き当たり捜査 (現場検証) が描かれた場面の強烈な臨場感とその徹底した取材ぶりです。他にない極めて緻密でリアルな描写を、心からご堪能ください。

(余禄) 物語には時代を反映した漫画や歌謡曲などが具体的な名前を持って登場します。車のメカニックや歯学の基礎、それと(この小説中大変重要な役割を担っている) パチスロの機種や出目の構成までもが、まるで専門家 (あるいはゴト師) の如く詳細に語られています。

高村薫は、それらの全てを (この小説を書くまで) 何も知らなかった、と言います。漫画は読まないし歌謡曲も聞かない、パチスロに至っては「それって何? 」 という状態であったようです。

犯人の一人、井上が目を付けたのは 《キングパルサー》 という機種の台でした。その日はたまたま6,000ゲームでビッグボーナスが15回しか出ていません。井上にはパチスロに対する知識と経験があります。そして長い時間スロットを回す程度には忍耐力もあります。

数字を見るときは特に集中する - そうでなければ、事前の下調べもなしに昼過ぎにふらりと入った店でスロットなど打てるものではありません。目ぼしい台が朝一から空いたままだったのと、懐には車を処分した金があるからその気になったということ。でなければ、だれがスロなんか・・・・・・・と思ったところに、赤いドット表示のカエルが一匹現れ、右から左へピョンと跳ねます。

 

この本を読んでみてください係数  90/100


冷血(上)

 

◆高村 薫
1953年大阪市東住吉区生まれ。
同志社高等学校から国際基督教大学(ICU)へ進学、専攻はフランス文学。

作品 「マークスの山」「太陽を曳く馬」「李歐」「リヴィエラを撃て」「照柿」「わが手に拳銃を」「新リア王」「太陽を曳く馬」「晴子情歌」「空海」など多数

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