『くちびるに歌を』(中田永一)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『くちびるに歌を』(中田永一), 中田永一, 作家別(な行), 書評(か行)

『くちびるに歌を』中田 永一 小学館文庫 2013年12月11日初版

中田永一が「乙一」の別名だと知ってからずっと気になっていた本です。やっと読むことができました。現代版『二十四の瞳』- 2008年NHK全国学校音楽コンクール中学の部の課題曲となった『手紙』をモチーフに、島で暮らす少年少女らの、健気ゆえに思い惑う青春の一コマが鮮やかに描き出されています。第61回小学館児童出版文化賞受賞作品です。

長崎県五島列島のある中学校に、産休に入る音楽教師の代理で「自称ニート」の美人ピアニスト柏木はやってきた。ほどなく合唱部の顧問を受け持つことになるが、彼女に魅せられ、男子生徒の入部が殺到。それまで女子部員しかいなかった合唱部は、練習にまじめに打ち込まない男子と女子の対立が激化する。一方で、柏木先生は、Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)の課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」にちなみ、十五年後の自分に向けて手紙を書くよう、部員たちに宿題を課した。そこには、誰にも言えない、等身大の秘密が綴られていた。(小学館文庫解説より)

長崎県西部の海に密集する140ほどの島の総称を「五島列島」と呼びます。但しこれは学問的な呼び名で、普段の会話では「五島」と呼ばれています。五島の中でもっとも大きいのが福江島。そこには五島高校があり、この小説の舞台となる小さな中学校があります。

ふたつの学校は同じ城の跡地に建っており、かつての城門が校門として利用されています。島にはいくつもの古い教会が残っており、石垣に沿って歩くと椰子の並んだ海沿いの道に出て、磯の香りが漂ってきます。青空の下、遠く佐世保港へ向かう高速船が見えます。

「先生がおらんごとなったら、合唱部は誰が面倒ば見ると? なんか聞いとらんと? 」
合唱部全員が気になっていることを私はたずねてみる。
「ちらっとだけおしえてもらったばい」
「なんでだまっとったと!? 」

「先生の中学時代の同級生て言いよったばい。音楽教師の免許ばもっとるらしいけんね。今は東京におるとって」
東京という場所は、テレビ画面や雑誌でしか見たことがない。松山先生は五島列島の出身だから、中学の同級生ということは、その人もこの島の出身者なのだろうか。

産休に入る松山先生の代理としてやって来たのが、いかにも美人な柏木という先生。彼女は東京から来た人で、なんとも垢抜けてみえます。実はかなりいい加減なところもある人なのですが、それは後からわかること。生徒らは一様に目を見張ります。

とくに色めき立ったのが男子の連中で、柏木先生が合唱部の顧問になると知った彼らは、こぞって合唱部への入部を希望します。

それまでは女子部員だけだったところに(まことに不純な動機ではあるのですが)大勢の男子が加入したことにより合唱部の雰囲気はがらりと変わります。何より間近に迫るNコンへの出場に際して、女性合唱だった編成を混成合唱に組み替えなければなりません。

男子はおしなべて初心者、(そもそもが美人先生目当てのことゆえ)彼女が練習に来ないと知るとたちまちにしてやる気をなくし、平気でさぼったりします。部長のエリがいくら躍起になっても言うことを聞きません。コンクールなど夢のまた夢のような状態が続きます。

ときに、柏木先生を通じて松山先生からのメッセージが部員に伝えられます。Nコンの課題曲『手紙』という曲をよく理解して歌うため、未来の自分宛てに手紙を書きなさいと。曲にある歌詞と同じように、十五年後の自分に宛てた手紙を書けと言われます。

拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう
十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう - 課題曲『手紙』より

提出はしなくていい。書いた手紙は誰にも見せなくていいと柏木先生は言います。机の奥にでも隠しておけばいい。きっと、本当は書いてないのに、書いたふりをして、ずるをしようってやつが大半だろうけど、もしも、それでも書いてくれる人がいたら、本心を書いてほしいと。

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている

このメッセージが、徐々にではありますが、やがて彼らの心に届きます。独りよがりな思い込み、自分の殻に閉じ籠り、一生そこからは抜け出せないと思い患っていたような彼らの悩みや憤りが、実はそうではないことに気付いてゆきます。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆中田 永一
1978年福岡県生まれ。本名は安達寛高。
豊橋技術科学大学工学部卒業。別名義で乙一としても執筆している。

作品 「百瀬、こっちを向いて。」「吉祥寺の朝日奈くん」「私は存在が空気」他

関連記事

『コロナと潜水服』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『コロナと潜水服』奥田 英朗 光文社文庫 2023年12月20日 初版1刷発行 ちょっぴり切

記事を読む

『連続殺人鬼カエル男ふたたび』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『連続殺人鬼カエル男ふたたび』中山 七里 宝島社文庫 2019年4月18日第1刷

記事を読む

『月魚』(三浦しをん)_書評という名の読書感想文

『月魚』三浦 しをん 角川文庫 2004年5月25日初版 古書店 『無窮堂』 の若き当主、真志喜と

記事を読む

『逃亡刑事』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『逃亡刑事』中山 七里 PHP文芸文庫 2020年7月2日第1刷 単独で麻薬密売ル

記事を読む

『作家刑事毒島』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『作家刑事毒島』中山 七里 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版 内容についての紹介文を、二つ

記事を読む

『佐渡の三人』(長嶋有)_書評という名の読書感想文

『佐渡の三人』長嶋 有 講談社文庫 2015年12月15日第一刷 物書きの「私」は、ひきこもり

記事を読む

『アミダサマ』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

『アミダサマ』沼田 まほかる 光文社文庫 2017年11月20日初版 まるで吸い寄せられるように二

記事を読む

『怪物の木こり』(倉井眉介)_書評という名の読書感想文

『怪物の木こり』倉井 眉介 宝島社文庫 2023年8月10日 第6刷発行 第17回

記事を読む

『崖の館』(佐々木丸美)_書評という名の読書感想文

『崖の館』佐々木 丸美 創元推理文庫 2006年12月22日初版 哀しい伝説を秘めた百人浜の断崖に

記事を読む

『人面瘡探偵』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『人面瘡探偵』中山 七里 小学館文庫 2022年2月9日初版第1刷 天才。5ページ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑