『吉祥寺の朝日奈くん』(中田永一)_書評という名の読書感想文

『吉祥寺の朝日奈くん』中田 永一 祥伝社文庫 2012年12月20日第一刷


吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

 

彼女の名前は、上から読んでも下から読んでも、山田真野(やまだまや)。吉祥寺の喫茶店に勤める細身で美人の彼女に会いたくて、僕はその店に通い詰めていた。とあるきっかけで仲良くなることに成功したものの、彼女には何か背景がありそうだ・・・・。愛の永続性を祈る心情の瑞々しさが胸を打つ表題作など、せつない五つの恋愛模様を収録。(祥伝社文庫より)

この物語は、既に結婚もし子供もいる「山田真野」なる26歳の女性と、片や25歳になった今も定職はなく役者になるという夢は限りなく夢になりつつある「朝日奈ヒナタ」なる青年(もちろん独身です)にまつわる不倫の話 -

と言うには、如何ばかりか控え目で、それでいて確かに惹かれ合う二人の心情が鮮やかに見て取れる、儚いばかりの恋愛模様のように映ります。

二人してちょっと変わった名前ではありますが、それは単にきっかけでしかなくさほどのことはありません。むしろ、ある程度親しくなったあとにおいても彼らは互いを「山田さん」「朝日奈くん」と、やや他人行儀に呼び合います。

その距離感こそがリアルで、この先にまで「踏み込みたい」気持ちは山ほどあるのに、二人の間は「ある程度」以上に深まることはありません。気持ちを押し留めるもう一方の「気持ち」・・・・

身も心も、まこと「そういう関係」になったとしたら、と朝日奈くんは考えます。

仰々しい儀式を経て契約し夫婦となった二人のうちの、たとえば奥さんと僕がおつきあいをするというのは、これは一般的にかんがえて不道徳なことにちがいない。しかし、おつきあいといっても、いろいろある。
どこからどこまでがゆるされて、どこからがゆるされない範囲なのだろう。配偶者以外の異性と言葉を交わすだけで罪なのだろうか。手をつないで、皮膚が接触するのはどうだろう。いっしょに夕飯を食べるのはいけないことなのか。メールのやりとりはどうだ。文章のなかに「愛」と書いたら、それはもう、神に罰せられる行為なのだろうか。

ある日朝日奈くんは真野に誘われて、真野の娘・遠野と三人で吉祥寺にある井の頭恩寵公園にやって来ます。仕事一辺倒の父親に代わり、彼は二人の散歩に付き合うことになります。

その帰り際、朝日奈くんはちょっと心配になります。「この子、パパに話しちゃうんじゃないですか。今日、しらないおにいさんとあそんだって」- と言うと、「まあ、だいじょうぶだよ。ごまかしとくから」と真野は言います。

「このちいさな嘘がきっかけで、夫婦円満に亀裂が入るかもしれない。そんなのは、僕の本望ではありません」と朝日奈くんが言うと、真野は「勝手にうちを円満な夫婦と決めつけないでほしい」と言い、歩きながら朝日奈くんを横目でジロリと睨み、

でも、すぐに口元を緩めて、おかしそうにしています。「何をわらっているんですか。山田さんは今、夫婦の危機に直面しているのかもしれないんですよ」と言う朝日奈くんに、「それ以上、言ったら、ぶつよ」と真野が言い返し、山田家の話はそれで終わりになります。
・・・・・・・・・
すごく胸はときめいているのに素直にその気持ちを打ち明けられないでいるときに交わされるような、もどかしさが甘やかさに紛れ込んで永遠にこんな時間が続けばいいのにと心から願いたくなるような、そんな時を、二人は確かに味わっているかのように思えます。

間違いなく二人には「常ならぬ気配」が見え隠れしています。はてさて、この先二人はどうなってしまうのか・・・・、と思いきや、最後に、思いもかけない顛末が待ち受けています。

※ その他の収録作品 「交換日記はじめました! 」「ラクガキをめぐる冒険」「三角形はこわさないでおく」「うるさいおなか」

 

この本を読んでみてください係数 85/100

 


吉祥寺の朝日奈くん (祥伝社文庫)

 

◆中田 永一
1978年福岡県生まれ。本名は安達寛高。
豊橋技術科学大学工学部卒業。別名義で乙一としても執筆している。

作品 「百瀬、こっちを向いて。」「くちびるに歌を」「私は存在が空気」他

関連記事

『ギブ・ミー・ア・チャンス』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『ギブ・ミー・ア・チャンス』荻原 浩 文春文庫 2018年10月10日第1刷 ギブ・ミー・ア

記事を読む

『起終点駅/ターミナル』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『起終点駅/ターミナル』桜木 紫乃 小学館文庫 2015年3月11日初版 起終点駅(ターミナル

記事を読む

『綺譚集』(津原泰水)_読むと、嫌でも忘れられなくなります。

『綺譚集』津原 泰水 創元推理文庫 2019年12月13日 4版 綺譚集 (創元推理文庫)

記事を読む

『孤独の歌声』(天童荒太)_書評という名の読書感想文

『孤独の歌声』天童 荒太 新潮文庫 1997年3月1日発行 孤独の歌声 (新潮文庫) &

記事を読む

『隠し事』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『隠し事』羽田 圭介 河出文庫 2016年2月20日初版 隠し事 (河出文庫) &nbs

記事を読む

『GIVER/復讐の贈与者』(日野草)_書評という名の読書感想文

『GIVER/復讐の贈与者』日野 草 角川文庫 2016年8月25日初版 GIVER 復讐の贈

記事を読む

『問いのない答え』(長嶋有)_書評という名の読書感想文

『問いのない答え』長嶋 有 文春文庫 2016年7月10日第一刷 問いのない答え (文春文庫)

記事を読む

『私の消滅』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『私の消滅』中村 文則 文春文庫 2019年7月10日第1刷 私の消滅 (文春文庫)

記事を読む

『ユリゴコロ』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

『ユリゴコロ』沼田 まほかる 双葉文庫 2014年1月12日第一刷 ユリゴコロ (双葉文庫)

記事を読む

『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『ここは退屈迎えに来て』山内 マリコ 幻冬舎文庫 2014年4月10日初版 ここは退屈迎えに来

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『逃亡刑事』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『逃亡刑事』中山 七里 PHP文芸文庫 2020年7月2日第1刷

『太陽の塔』(森見登美彦)_書評という名の読書感想文

『太陽の塔』森見 登美彦 新潮文庫 2018年6月5日27刷

『ここは、おしまいの地』(こだま)_書評という名の読書感想文

『ここは、おしまいの地』こだま 講談社文庫 2020年6月11日第1

『カウントダウン』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『カウントダウン』真梨 幸子 宝島社文庫 2020年6月18日第1刷

『悪の血』(草凪優)_書評という名の読書感想文

『悪の血』草凪 優 祥伝社文庫 2020年4月20日初版 悪の

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑