『吉祥寺の朝日奈くん』(中田永一)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/12
『吉祥寺の朝日奈くん』(中田永一), 中田永一, 作家別(な行), 書評(か行)
『吉祥寺の朝日奈くん』中田 永一 祥伝社文庫 2012年12月20日第一刷
彼女の名前は、上から読んでも下から読んでも、山田真野(やまだまや)。吉祥寺の喫茶店に勤める細身で美人の彼女に会いたくて、僕はその店に通い詰めていた。とあるきっかけで仲良くなることに成功したものの、彼女には何か背景がありそうだ・・・・。愛の永続性を祈る心情の瑞々しさが胸を打つ表題作など、せつない五つの恋愛模様を収録。(祥伝社文庫より)
この物語は、既に結婚もし子供もいる「山田真野」なる26歳の女性と、片や25歳になった今も定職はなく役者になるという夢は限りなく夢になりつつある「朝日奈ヒナタ」なる青年(もちろん独身です)にまつわる不倫の話 -
と言うには、如何ばかりか控え目で、それでいて確かに惹かれ合う二人の心情が鮮やかに見て取れる、儚いばかりの恋愛模様のように映ります。
二人してちょっと変わった名前ではありますが、それは単にきっかけでしかなくさほどのことはありません。むしろ、ある程度親しくなったあとにおいても彼らは互いを「山田さん」「朝日奈くん」と、やや他人行儀に呼び合います。
その距離感こそがリアルで、この先にまで「踏み込みたい」気持ちは山ほどあるのに、二人の間は「ある程度」以上に深まることはありません。気持ちを押し留めるもう一方の「気持ち」・・・・
身も心も、まこと「そういう関係」になったとしたら、と朝日奈くんは考えます。
仰々しい儀式を経て契約し夫婦となった二人のうちの、たとえば奥さんと僕がおつきあいをするというのは、これは一般的にかんがえて不道徳なことにちがいない。しかし、おつきあいといっても、いろいろある。
どこからどこまでがゆるされて、どこからがゆるされない範囲なのだろう。配偶者以外の異性と言葉を交わすだけで罪なのだろうか。手をつないで、皮膚が接触するのはどうだろう。いっしょに夕飯を食べるのはいけないことなのか。メールのやりとりはどうだ。文章のなかに「愛」と書いたら、それはもう、神に罰せられる行為なのだろうか。
ある日朝日奈くんは真野に誘われて、真野の娘・遠野と三人で吉祥寺にある井の頭恩寵公園にやって来ます。仕事一辺倒の父親に代わり、彼は二人の散歩に付き合うことになります。
その帰り際、朝日奈くんはちょっと心配になります。「この子、パパに話しちゃうんじゃないですか。今日、しらないおにいさんとあそんだって」- と言うと、「まあ、だいじょうぶだよ。ごまかしとくから」と真野は言います。
「このちいさな嘘がきっかけで、夫婦円満に亀裂が入るかもしれない。そんなのは、僕の本望ではありません」と朝日奈くんが言うと、真野は「勝手にうちを円満な夫婦と決めつけないでほしい」と言い、歩きながら朝日奈くんを横目でジロリと睨み、
でも、すぐに口元を緩めて、おかしそうにしています。「何をわらっているんですか。山田さんは今、夫婦の危機に直面しているのかもしれないんですよ」と言う朝日奈くんに、「それ以上、言ったら、ぶつよ」と真野が言い返し、山田家の話はそれで終わりになります。
・・・・・・・・・
すごく胸はときめいているのに素直にその気持ちを打ち明けられないでいるときに交わされるような、もどかしさが甘やかさに紛れ込んで永遠にこんな時間が続けばいいのにと心から願いたくなるような、そんな時を、二人は確かに味わっているかのように思えます。
間違いなく二人には「常ならぬ気配」が見え隠れしています。はてさて、この先二人はどうなってしまうのか・・・・、と思いきや、最後に、思いもかけない顛末が待ち受けています。
※ その他の収録作品 「交換日記はじめました! 」「ラクガキをめぐる冒険」「三角形はこわさないでおく」「うるさいおなか」
この本を読んでみてください係数 85/100
◆中田 永一
1978年福岡県生まれ。本名は安達寛高。
豊橋技術科学大学工学部卒業。別名義で乙一としても執筆している。
作品 「百瀬、こっちを向いて。」「くちびるに歌を」「私は存在が空気」他
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