『水たまりで息をする』(高瀬隼子)_書評という名の読書感想文

『水たまりで息をする』高瀬 隼子 集英社文庫 2024年5月30日 第1刷

いまもっとも注目される芥川賞作家が現代社会と家族が孕む問題を鋭利に描きとった作品 第165回芥川賞候補作

これはあなたにも起こりうる物語 ある日、夫が風呂に入らなくなった - 。

「風呂に入らない」。ある夜、夫がそう告げた。問うと、水が臭くて体につくと痒くなるという。何日経っても風呂に入らない彼は、ペットボトルの水で体を濯ぐことも拒み、やがて雨が降るたび外に出て雨に打たれに行くようになる。結婚して10年、この先も穏やかな生活が続くと思っていた衣津実は、夫と自分を隔てる亀裂に気づき - 。誰しもが感じ得る、今を生きる息苦しさを掬い取った意欲作。(集英社文芸)

夫が風呂に入らない・・・・・・・その理由こそが問題で、事が微妙で深刻な分、妻の衣津実はどう対処すべきかの判断に迷います。夫の弱さを責めるわけにもいかず、かといって、垢まみれの夫を放っておくわけにもいきません。

主人公は三十五歳になる女性であり、いかにも 「普通」 に生きてきて、このまま凡庸な日常が続いていくことを信じて疑わなかった人物である。

ところが特段の問題もなく生活してきたはずの彼女の夫が、突如入浴を拒むようになる。会社の後輩に水を浴びせられて以来、彼は水道水を忌み嫌うようになってしまったのだ。会社の人間関係における問題に端を発するだろう彼の行動は、ある程度の清潔さを保つべきであるという規範からの逸脱であり、傷をやり過ごせない弱さでもある。

夫の逸脱はエスカレートする - 入浴をやめた当初、代替的にミネラルウォーターで体をすすいでいた夫は雨を浴びるようになり、ついには川へ入るようになる。彼らは会社をやめ、彼女の祖母がかつて住んでいた家へ、人里離れた川の付近へ引っ越すに至るのだ。

耐えがたい夫の体臭、周囲の視線、義母からの非難、あらゆるものが彼女を追い詰める。彼女は考える。夫が弱いこと、狂うことを許したい、けれども許せないのだと。そして彼女が彼の弱さに寄り添いきれなくなっていく様を、小説は克明に描き出す。だから風呂、雨、川、と章立てされ区切られた物語は、弱さを抱えた夫とその妻が、東京から故郷への物理的な移動でもあると同時に、社会から追いやられていく過程そのものだったのだ。

正常/逸脱、そして東京/地方 - 小説にとって、この重なりは決定的である。(解説より)

「弱い夫」 に対し妻の衣津実は、母に似て、大概は 「持ち堪えて」 しまうのでした。それが普通の衣津実の人生は、「夫の弱さ」 をどこまで受け入れ、共有し続けるられるのでしょう。それとも - 端からそんなことは無理なのでしょうか。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆高瀬 隼子
1988年愛媛県生まれ。
立命館大学文学部卒業。

作品 「おいしいごはんが食べられますように」「犬のかたちをしているもの」「いい子のあくび」他

関連記事

『あの日のあなた』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『あの日のあなた』遠田 潤子 角川事務所 2017年5月18日第一刷 交通事故で唯一の肉親である父

記事を読む

『ピンザの島』(ドリアン助川)_書評という名の読書感想文

『ピンザの島』ドリアン 助川 ポプラ文庫 2016年6月5日第一刷 アルバイトで南の島を訪れた

記事を読む

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(谷川俊太郎)_書評という名の読書感想文

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』谷川 俊太郎 青土社 1975年9月20日初版発行

記事を読む

『マザコン』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『マザコン』角田 光代 集英社文庫 2010年11月25日第一刷 この小説は、大人になった息子や

記事を読む

『真鶴』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『真鶴』川上 弘美 文春文庫 2009年10月10日第一刷 12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」

記事を読む

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』(天童荒太)_書評という名の読書感想文

『ペインレス あなたの愛を殺して 下』天童 荒太 新潮文庫 2021年3月1日発行

記事を読む

『藻屑蟹』(赤松利市)_書評という名の読書感想文

『藻屑蟹』赤松 利市 徳間文庫 2019年3月15日初刷 一号機が爆発した。原発事

記事を読む

『オブリヴィオン』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『オブリヴィオン』遠田 潤子 光文社文庫 2020年3月20日初版 苦痛の果てに、

記事を読む

『男ともだち』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『男ともだち』千早 茜 文春文庫 2017年3月10日第一刷 29歳のイラストレーター神名葵は関係

記事を読む

『宰相A』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『宰相A』田中 慎弥 新潮文庫 2017年12月1日発行 揃いの国民服に身を包む金髪碧眼の「日本人

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『雪の花』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『雪の花』吉村 昭 新潮文庫 2024年12月10日 28刷

『歌舞伎町ゲノム 〈ジウ〉サーガ9 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『歌舞伎町ゲノム 〈ジウ〉サーガ9 』誉田 哲也 中公文庫 2021

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』誉田 哲也 中公文庫 2

『救いたくない命/俺たちは神じゃない2』(中山祐次郎)_書評という名の読書感想文

『救いたくない命/俺たちは神じゃない2』中山 祐次郎 新潮文庫 20

『歌舞伎町ダムド 〈ジウ〉サーガ7 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『歌舞伎町ダムド 〈ジウ〉サーガ7 』誉田 哲也 中公文庫 2022

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑