『半島へ』(稲葉真弓)_書評という名の読書感想文
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『半島へ』(稲葉真弓), 作家別(あ行), 書評(は行), 稲葉真弓
『半島へ』稲葉 真弓 講談社文芸文庫 2024年9月10日 第1刷発行
親友の自死、元不倫相手の死、東京を離れ、志摩半島の海を臨む町に移住した私。人生の棚卸しをしながら、自然に抱かれ日々の暮らしを耕す。究極の 「半島物語」。

親友の自死、元不倫相手の死、住み慣れた東京のマンションを離れて、私は志摩半島の海岸からつづく、いのちの恵み溢れる森のそば傾斜地に建つ家に暮らし始める。二十四節気の暦を買い、月の満ち欠け、潮の満ち引きを感じながら気分のままに寝起きする、理想的人生の休暇。静かな旋律の流れる自然のなか半島の人々と交歓し、日々の暮らしを耕す。ソロー、ヘッセ、環境批評の系譜にも連なる名著再び。(講談社文芸文庫)
志摩半島の海岸縁に 「私」 が建てたのは、間違っても “別荘“ ではありません。「私」 はそれを 「小屋」 と呼んでいます。必要に駆られてのことでした。慎ましく、ただあるがままの自然を受け入れる。何気に過ぎゆく日々は、やがて 「私」 の中の何かを目覚めさせ、改めて 「生きる力」 の意味を知ることになります。
前へ前へとがむしゃらに生きてきて、ふと自分のいのちに限りがあることを悟ってしまう瞬間がある。それは母親の老いを目の当たりにしたときかもしれない。あるいは親しかった友人が一人またひとりとあの世に行ってしまうのを経験するときかもしれない。雑事にかまけたこれまでの暮らしを整理して、生きることそれ自体を味わってみたいと思うときがくる。
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長編小説 『半島へ』 が書かれる前に、志摩半島での暮らしは 『海松 (みる)』 所収の短編小説に断片的に描かれている。表題作 「海松」 によると、四十代の主人公は更年期と思われる体の不調を感じていて、高齢による鬱状態にあった母親のためにもなるだろうと一九九五年に急傾斜の土地を手に入れ、一九九六年にそこに家を建てたのだった。
もう一つの短編 「光の沼」 では、『半島へ』 に印象深く描写される家の前の沼地をはじめてみつけたときのことが記されている。東京からたまに通う別邸は半年近く留守にすると 「猛烈な勢いで植物たちが庭に押し寄せ」 ている有り様だった。主人公が笹竹やシダと格闘しているとふと沼地が姿を現わす。それが二〇〇〇年初夏のこと。沼地が整いだすとそこを生息地とした蛍が飛び交うようになる。主人公はそうして少しずつ土地の素顔を発見していく。そのたびに 「アア、マタ、ミツケタネ」 と原野のささやく 〈聲〉 がきこえてくる。
これらの短編を経て、主人公が東京のマンションを引き上げて一年近くを半島で暮らす日々をつづったのが 『半島へ』 である。東京との往復のあいまにひととき泊まっていくのとはちがって主人公の毎日は 「起きるのも眠るのもその日の気分まかせ」。理想的な人生の 「休暇」 を謳歌する。
竹林を所有し、タケノコの季節になるとせっせと掘り出し、近所に配ってまわる倉田さんは、「竹林を通ると、この先、死にそうにないような気がするよ」 という。一日に何十センチも伸びるタケノコのエネルギーが乗り移るというのだ。倉田さんは定年後にこの土地を買い、妻や子供たちを街に残して一人できままに暮らしている。
会社をクビになった佳世子さんは同じ頃会社に嫌気がさした洋司さんと知り合い、半島に移住して養蜂をはじめた。こうした魅力的な隣人を先人に持ち、教えられるままに二十四節気の暦を手に入れて天気や気温、月齢をみるようになると、自然界の変化に自分の身体が呼応するのを感じるようになっていく。
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半島へ、半島へ。
なぜこの土地にこんなにも惹かれるのか。読めば読むほどV字の傾斜地に敷地面積が足りずに上へと延ばして建てた 「ノッポで細身の家」 はみなが不安そうに見上げるほど頼りなげだし、車の運転もできず一時間に一本しかでない循環バスで町まで買い物にでかけるのはあまりに不便そうだ。
主人公自身もなぜそんなにもこの土地に惹かれるのかはうまく説明できないのだろう。人に何度も問われて、雉がいるのをみたから、禁欲的で無愛想な崖だらけなのがよかったからなどと嘯いてはみるが、何をいっても実感とは一致しない。だからこそこの小説は書かれた。『半島へ』 は、この土地の魅力を一冊かけて存分に知らしめてくれる小説だ。(解説より)
帯に 「第47回谷崎潤一郎賞受賞作」 とあります。稲葉真弓という人のことは何も知らずに買いました。「環境批評の系譜にも連なる」 というのはどうかと思いますが、「名著」 ではあるらしい。
これといった事もなく、あるがままの自然を受け入れてただ淡々と過ごす日々が綴られています。小屋の前には海があり、急峻な崖があり、沼には蛍が飛んでいます。猫がおり、夏にはマムシが出ます。季節ごとの野菜は豊富で、森に入れば木の実や山菜が採り放題で。海は牡蠣だらけ、いくら食べても飽きることがありません。たまには町まで買い物に。一時間毎に、循環バスが出ています。
※余計なことではありますが、この本は文庫としては破格の¥1800 (税別) で売られています。何かの間違いではないかと思うくらい “高額“ ですので、ご購入の際にはくれぐれも留意ください。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆稲葉 真弓
1950年愛知県海部郡佐屋町 (現:愛西市)生まれ。
愛知県立津島高等学校卒業。
作品 1973年 「蒼い影の傷みを」 で女流新人賞を受賞。「琥珀の町」 で1990年下期芥川賞候補となり本格的に作家活動を開始。1992 『エンドレス・ワルツ』 で女流文学賞、2008年 短編 「海松」 で川端康成文学賞、2010年 『海松』 で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。『半島へ』 で2011年谷崎潤一郎賞、中日文化賞、2012年親鸞賞を受賞。2014年紫綬褒章を受賞。同年膵臓癌のため逝去。享年64歳。
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