『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文
『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版
1933年、私は「天皇」と同じ日に生まれた - 東京オリンピックの前年、男は出稼ぎのために上野駅に降り立った。そして男は彷徨い続ける、生者と死者が共存するこの国を。高度経済成長期の中、その象徴ともいえる「上野」を舞台に、福島県相馬郡(現・南相馬市)出身の一人の男の生涯を通じて描かれる死者への祈り、そして日本の光と闇・・・・。「帰る場所を失くしてしまったすべての人たち」へ柳美里が贈る傑作小説。(河出文庫)
終戦の時、男は12歳。国民学校を出てすぐにいわきの小名浜漁港への出稼ぎを2年、その後父親の手伝いでホッキ貝採りが4、5年、それが出来なくなると今度は北海道へ昆布の刈り採りの仕事に行きながら、季節季節に家に戻って農作業などをして暮らしを立てます。
北海道と福島の行き来を3年ほど続け、東京オリンピックの前の年、昭和38年12月27日、暮れも押し迫った寒い朝、まだ暗いうちに家を出て鹿島駅に行き、5時33分の常磐線の始発列車に乗ります。男は、東京へ行こうと腹を決めたのでした。
故郷の福島・八沢村を後にして、以後48年、男は出稼ぎ稼業で家族を支えます。その間、息子の浩一が21歳という若さでこの世を去ります。出稼ぎをやめてしばらくは平穏な暮らしが続くのですが、今度は妻の節子が、65歳であっけなく死んでしまいます。
男は生きる甲斐を失くします。自分の人生はなんだったんだろう、なんて虚しい人生だったんだろうと。思えば子どもとはさして触れ合わず、出稼ぎの間、妻といたのは1年ほどのことにしかなりません。疲れていた。疲れていない時はなかった、と男は思います。
人生は、最初のページをめくったら、次のページがあって、次々めくっていくうちに、やがて最後のページに辿り着く一冊の本のようなものだと思っていたが、人生は、本の中の物語とはまるで違っていた。文字が並び、ページに番号は振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない。
残る - 。朽ちた家を取り壊した空地に残った庭木のように・・・・ 萎れた花を抜き取った花瓶に残った水のように・・・・ すべてを失ってしまったあとの人生において、それでも生きろというなら、では何を思って生きればいいのだろうと。
生きて、終わる。妻が死に、ほどなくして、男は家を出て再び東京へ行くことを決心します。この先戻るつもりはありません。このとき男は67歳になっています。歳をとり、独りになって、男はホームレスになろうと思い立ちます。
・・・・・・・・・
男が初めて上野駅のプラットホームに降り立った時の自分の姿を回想する場面 - 山手線内回りの到着を待つ人々の中に、男はかつての自分の姿を探しています。
鏡や硝子や写真に映る容姿を見て、自信を持ったことはなかった。とりわけ不細工ではなかったと思うが、誰かに見詰められるような容姿であったためしは一度もなかった。容姿よりも、無口なことと無能なことが苦しかったし、それよりも、不運なことが耐え難かった。運がなかった。
男には、忘れたくても忘れられない「音」があります。「音」に混ざって聞こえるのは、「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がりください」- という、JR上野駅公園口で聞いたアナウンスの声。
そして、もうひとつ。ラジオから聞こえてきた「皇太子妃殿下は、本日午後四時十五分、宮内庁病院でご出産、親王がご誕生になりました。御母子共にお健やかであります」- というニュースの声。昭和35年2月23日。親王殿下が誕生したその日は、男にとって、一人息子・浩一が生まれた日でもあったのです。
男は上野恩賜公園にいて、コヤから漏れるラジオの国会中継を聞いています。不意に雨が落ち、コヤの天井のビニールシートを濡らします。
雨が、雨の重みで落ちる。生の重みのように、時の重みのように、規則正しく、落ちる。雨が降る夜は、雨音から耳を逸らすことができず、眠ることができなかった。不眠、そして永眠 - 、死によって隔てられるものと、生によって隔てられるもの、生によって近付けるものと、死によって近付けるもの、雨、雨、雨 - 。
男は一人いて、ふと思います。そういえば昔、息子が死んだ日も雨が降っていたんだと。
※ 読むと、単にホームレスの話だけではないのがわかります。切々と綴られる浩一の葬儀の様子。そしてラスト。男は、またも上野駅公園口で聞いたあのアナウンスを聞くことになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆柳 美里
1968年神奈川県横浜市中区生まれ。在日韓国人。韓国籍。
横浜共立学園高等学校中退。後、演劇活動を経て小説家デビュー。
作品 「魚の祭」(岸田國士戯曲賞)「家族シネマ」「フルハウス」「ゴールドラッシュ」「命」「8月の果て」「雨と夢のあとに」他多数
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