『ただいまが、聞きたくて』(坂井希久子)_書評という名の読書感想文

『ただいまが、聞きたくて』坂井 希久子 角川文庫 2017年3月25日発行


ただいまが、聞きたくて (角川文庫)

埼玉県大宮の一軒家に暮らす、和久井家。一見幸せそうに見える家族だったが、高2の次女は彼氏にフラれて非行に走り、ひきこもりの長女はBL趣味に夢中、商社勤務の父は社内で不倫、そしてキャバクラで働く母は家事を放棄。どこにでもあるごく普通の家族に潜む問題が次々と噴出していく。やがて和久井家を思いがけない事態が襲い・・・・。不器用でいびつな家庭の崩壊から再生までをリアルかつ鮮烈に描いた、心温まる感動の物語。(角川文庫)

ぱんつ、譲ってくれませんか。
それがあたしと彼との、ファースト・コンタクトだった。

足元を山手線の、黄緑のラインが通り抜けてゆく。ニーハイソックスから覗く太腿は一月の風にさらされて、紫色の細い血管を浮き上がらせている。(中略)それでもあたしはまるで自分を虐めるみたいに、そこに立っていた。

複数の線路をまたぐ池袋大橋の歩道橋からは、夕日も拝めない。西の空はあっという間に暮れ果てて、ラブホのネオンに埋め尽くされた。うまくいけば今ごろあのどれか一つで前園くんと、イチャイチャしていたかもしれないのに。(第一話「一年で今日だけ主役の日」の冒頭より抜粋)

物語はあられもない、こんな場面から始まってゆきます。和久井家の次女・杏奈は、高校2年生。17歳の誕生日当日、彼女は付き合ってまだ一ヶ月の前園くんという男子にフラれてしまいます。

その直後、スーツ姿の見知らぬ男 - 彼は中川紳一郎と名乗る、「大人だけどおじさんじゃない、爽やかなお兄さん」みたいな男性です - から声を掛けられ、通りすがりにパンツが欲しいとねだられます。彼は、それが為に名古屋から来ているのだと言います。

杏奈の姉・沙良は、引っ込み思案で奥手な女性。家にいる時は、グレーにオレンジのラインが入った高校ジャージを着ています。部屋には鍵をかけ、自分以外には入れないようにしています。彼女は、BL趣味(ボーイズラブ:男性同士の同性愛)にはまっています。

ある日母の万千子が、町で偶然出逢ったという中学時代の知合い・佐藤瑛作を連れて帰ってきます。十年ぶりに出会った佐藤は、ずいぶんとスマートな男子に変身しています。万千子が言うには、彼は今、外務省で仕事をしています。(第二話「女の子の成長を喜ぶ日」より)

第三話「寂しさの数を重ねる日」は、杏奈と沙良、二人のお祖母ちゃんの話。彼女は赤坂で置屋を営む大叔母の養女となって育った元芸者で、「はな乃」という名前で座敷に上がり、やがて誰もが知る大実業家に見染められ妾となり、娘・万千子を産むことになります。

※ 私的には、この第三話がとても好きです。粋でいなせで、でしゃばらない。出目の不幸はさらりと流し、娘の万千子の不憫もよく承知した上で、それでも安に阿ずしゃんと生きる「はな乃」ばあさんに、人としてどうあるべきかを諭されているような気がします。

第四話「星に願いを託してみる日」が十年ぶりに沙良が出会った、佐藤瑛作の話。
第五話「人生の再出発と信じた日」は、母・万千子が〈美熟女コンテスト〉に出るために豊胸手術を受けようとする話。

そして最終章。第六話「永遠の愛を誓った日」に至って、ようよう、和久井家の主・和久井徳雄が登場します。

徳雄は、商社マン。長い間の単身での海外勤務のせいで、二人の娘とはうまく意思疎通が図れないでいます。ひょんなことから社内の後輩と不倫をし、それが万千子に知れて、二人は禄に口も聞かないようになります。

ところが、(最後になって)まさかこの小説で泣かされるとは思いもしなかった、ある出来事が起こります。それまではバラバラだった形だけの家族が、ある出来事がきっかけでみごと再生を果たします。それを目の当たりにし、不覚にも涙することになります。

この本を読んでみてください係数 80/100


ただいまが、聞きたくて (角川文庫)

◆坂井 希久子
1977年和歌山県生まれ。
同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科卒業。

作品 「虫のいどころ」「ヒーローインタビュー」「虹猫喫茶店」「ただいまが、聞こえない」「泣いたらあかんで通天閣」「ウィメンズ・マラソン」「こじれたふたり」他

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