『いい子のあくび』 (高瀬隼子)_書評という名の読書感想文
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『いい子のあくび』 (高瀬隼子), 作家別(た行), 書評(あ行), 高瀬隼子
『いい子のあくび』 高瀬 隼子 集英社文庫 2026年5月30日 第1刷
ぶつかったる。駅で、街中で、どうしてわたしばかりぶつかられるのか。「割り切れなさ」 と 「歪み」 を描く3編

いい子に押し付けられたイメージ、日常で起きる些細な理不尽の連続。それを打破するためには・・・・・・・。
会社でも、彼氏の前でも、わたしは “いい子“ 。でも - 。駅や街中でぶつかってくる男をよけるのは、職場でコーヒーやお茶を補充するのは、なぜいつもわたしなのか? スマホを操作しながら自転車に乗ってこちらに向かってくる中学生を前にして、今日こそは自分から “ぶつかったる“ と決意し ・・・・・・・(「いい子のあくび」)。日常の中のちょっとした違和感や不条理、納得のいかなさを描いた小説集。(表題作は) 第74回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞作。(集英社文庫)
「いい子のあくび」 の主人公・佐元直子は誰からも好かれる美形の女性ではあったのですが、そんな自分のことを、素直に認めているわけではありません。むしろ否定的で、意思に反してついしてしまう己の言動に、返す返すも嫌気が差しています。割に合わない。損をしている。そんな気持ちを常に抱えています。
そんな彼女にある日、積もり積もった鬱憤をついに晴らす瞬間が訪れます。「割に合わない」 ことを 「割に合わせる」 ために、それはまたとないシチュエーションでした。是非はともかく、彼女は固く決心し、その行動に出たのでした。物語の冒頭はこうです。
ぶつかったる。
まずはそう思い、それから、体が熱くなる。腹の下あたりに火がともる。手足に力が入り、目と耳が冴えわたる。わたしの体が、絶対に許さないと決める。自転車が震えながら近づいてきていた。中学生らしい男子が、ハンドルにひじをついて前かがみになり、両手で持ったスマートフォンを覗き込んでいる。体が勢いの弱まったコマのように左右に揺れている。ぶるぶるとのろい。そんなスピードならいっそ止まってしまえばいいのに、蛇行するでもなく進んでくる。さっと周りに視線を走らせて確認する。一車線だけの狭い道。後ろから車が来ているけれどまだ距離がある。歩いているのはわたしだけ。
絶対手帳に書いておかなきゃと、まだ何も起こっていないうちから思う。いつもより大きな字で書きたい。
自転車、中学生、スマホながら運転、ぶつかる
近づいてくる自転車から視線を外す。首ごとしっかり違う方向に向ける。(中略) わざとらしさが透けない程度、もしくは透けても咎められない程度に。体を少し斜めに、鞄をかけている右側を前にして歩く。秒数ではなくメートルでカウントダウンを始める。ご、よん、さん、に、いち。
いち、のあたりで中学生が弾かれたように顔をあげて、大きくハンドルを切った。進路を急に変えた自転車の銀色の前かごが、側面をなすり付けるようにわたしの右腕に当たる。カーディガン越しの肌に何かが突き刺さる痛みが走った。体がよろける。ほらね、大丈夫。自転車と歩行者じゃ絶対に歩行者の方が痛い。だからわたしは悪くない。痛い。痛いぶんだけ、わたしは正しい。
жжжжж
なんで、ぶつかったる、って思ったんだっけ。
なんてことを考える。ながら運転が危ないから止めてほしいのなら、「前見て運転しないと危ないよ! 」 と離れた場所から声をかけるのだって良かったはずだ。大地だったら、そうするだろう。右腕の傷が空気にさらされて痛む。人をよけないでぶつかったのは初めてじゃないけど、怪我をしたのは初めてだった。駅や街中で人にぶつかられることがあると話した時、大地は信じられないという顔をして、実際に疑っているような声色で 「おれ、ぶつかられたことないよ」 と言った。何言っているんだろうこの人、百八十センチ以上ある身長、腕にも足にも筋肉がそれと見て分かるようについている体。そんなものに誰もぶつかりに行くわけがない。と、そこまで考えて、なんだわたしやっぱり、こいつならいいやって選別されてぶつかられてたんだな、と今更のように気付いたのだった。分かっていたけど、分かっていないことにしていたような。
それで、わたしもよけるのを止めにした。よけない人のぶんをよけないことにした。(本文より)
物語の後半、ある出来事があり、そこで直子は頭の中でこんな言葉を発します。
くそぼけ、とまた汚いことばが頭に浮かぶ。これはわたしのことばじゃない、っていうのは嘘だ。ほんとはいつも頭の中のことばが汚い。くそぼけくされまんこめ。ちんこもげて死ね。電柱の下、植込みの間に嘔吐の跡がある。投げ捨てられてひしゃげたビール缶が転がっている。泥水を吸ってコンクリートにはりついているハンカチは誰にも拾われない。こんなところで、丁寧なことばだけで、どうやって生きていけというの。
※生きていれば一度や二度は、いや三度も四度も、もっと何度も経験する 「割に合わない」 と思う 「理不尽な」 あれやこれやを、あなたはきっと思い出しながら読むことでしょう。“人に合せる“ うちに、いつの間にやらそんな自分が 「自分」 になってしまう。毒を吐くのは胸の内だけで、口に出そうとすれば、喉に痞えてうまく話せない。態度で示すとなれば、なおさら事は難儀になるに相違ありません。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆高瀬 隼子
1988年愛媛県生まれ。
立命館大学文学部卒業。
作品 「おいしいごはんが食べられますように」「犬のかたちをしているもの」「水たまりで息をする」他
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