『それを愛とは呼ばず』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『それを愛とは呼ばず』(桜木紫乃), 作家別(さ行), 書評(さ行), 桜木紫乃

『それを愛とは呼ばず』桜木 紫乃 幻冬舎文庫 2017年10月10日初版

妻を失った上に会社を追われ、故郷を離れた五十四歳の亮介。十年所属した芸能事務所をクビになった二十九歳の紗希。行き場を失った二人が東京の老舗キャバレーで出会ったのは運命だったのか - 。再会した北海道で孤独に引き寄せられるように事件が起こる。そこにあったものは「愛」だったのか? 驚愕の結末が話題を呼んだ傑作サスペンス長編。(幻冬舎文庫)

四十過ぎまで結婚しそびれた男が、ようやくにして掴み取った幸福。妻を得て、伊澤亮介は妻が経営する会社の副社長となります。妻・章子が六十四歳の誕生日を迎えた日、彼女は不慮の事故に遭い、未来永劫目を覚まさなくなります。

寄る辺を失くし職を追われた伊澤は、故郷の新潟を離れ、以前暮らした東京へと舞い戻ります。新たな職に就き、そこで彼は北海道へ行き、バブル期の残骸のようにうち捨てられた古びたリゾートマンションを売れと命じられます。結婚して十年。彼は五十四歳になっています。

二十九歳になり、どう足掻いても芽が出ない白川紗希は、十年間所属した芸能事務所をクビになります。色白のとびきり美人でありながら、彼女には芸能界を生き抜くための才気がありません。副業でする老舗キャバレーで、彼女は客として来た伊澤亮介と出会います。

紗希はかるく居住まいを正し、ポーチから「ダイヤモンド」の店名が入った名刺を差し出した。伊澤にも一枚もらえないかと頼んでみる。いつもは儀礼だが、なぜなのか彼にはもう一度来店してほしいと思っている。

心が弱くなっているのかもしれない - 。きっとそうだ。タレント廃業を宣告された日だから、誰かに頼りたいのだろう。「東京にお戻りのときに、またお立ち寄りいただけたら嬉しいです」 言葉にすると、それが本音のような気もしてきた。

「実は、いきなり北海道の勤務というので正直へこんでいたんです。あなたに会えて良かった。ありがとう」 伊澤は、上着のポケットから名刺入れを取り出し、そう言ったのでした。

行ったこともない土地での仕事を告げられた伊澤と戦力外通知を受けた紗希の、自分たちをとりまく景色を変えた一日を思った。なにやら内側からおかしみともかなしみともつかない感情がこみ上げてくる。
・・・・・・・・・
新千歳空港から車で十五分。南神居町のリゾートマンション「パラディーゾ カムイヒルズ」は、たしかに湖を見下ろす小高い場所にある七階建ての白っぽい建物ではあります。緑に包まれた楽園。息を呑む絶景。伊澤亮介は思わず「ヒルズ- 」とつぶやきます。

季節は春。建物に続く坂道は簡易舗装のため、亀裂という亀裂から草が生えています。いっそ砂利道のほうがここまで貧相に見えないだろう、建物まで三十メートルはありそうな坂道の斜度はスキー場でいうなら上級コースだ - これが伊澤が見た最初の景色で、

近づくと、坂の下から見たときより建物はずっと古い気配で、これが「残り六戸」をうたう人気のリゾート型マンションとは到底思えません。車が一台も停まっていない駐車場は坂道と同じく舗装に亀裂が入り、妙に背丈のあるタンポポが生えています。

はじめての北海道で、廃墟のようなリゾートマンションを前に茫然とする伊澤。失意のうちに日が過ぎ、やがて五月の連休が明けたあと、ふいに、彼のもとに紗希がやって来ます。釧路へ帰るついでに寄ったという彼女は、(釧路の)実家には二泊しただけで、すぐに伊澤のもとへ戻って来ます。

この物語の「本当」は、二人の、そんな道行きから始まってゆきます。

思いを深める女の純一(じゅんいつ)が、妻を失い仕事を奪われて孤独を抱える男を搦めとる。それはいいとしても、与える愛が奪う愛へと行き着いた果ての後半、物語は一気に加速して驚きの結末に至る。こちらは少々混乱して、タイトル『それを愛とは呼ばず』が問うところを改めて自問することになるのである。(近藤勝重/解説より)

※伊澤と紗希は、いわゆる男女の関係には至りません。伊澤が愛しているのはあくまで十歳上の妻・章子で、紗希には紗希の、彼女がそうと信じる別の〈愛し方〉があります。普通に思うと、それを愛とは呼べないのですが。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆桜木 紫乃
1965年北海道釧路市生まれ。
高校卒業後裁判所のタイピストとして勤務。24歳で結婚、専業主婦となり2人目の子供を出産直後に小説を書き始める。

作品 「起終点駅/ターミナル」「凍原」「ラブレス」「ワン・モア」「ホテルローヤル」「硝子の葦」「誰もいない夜に咲く」「無垢の領域」「蛇行する月」「星々たち」「ブルース」他

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