『カンガルー日和』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『カンガルー日和』(村上春樹), 作家別(ま行), 書評(か行), 村上春樹

『カンガルー日和』村上 春樹 平凡社 1983年9月9日初版

村上春樹が好きである。

私が持っている『カンガルー日和』は、ほぼ真四角で函入りの単行本。本の表紙は半透明のパラフィン紙に包まれています。おかげでポップで鮮やかな本体の黄色がすぐに目に入らないのは、いささか残念には思うのですが・・・・、

佐々木マキさんの絵は、やっぱり良いですね。この短編集では本文にもマキさんの絵がたくさん挿入されていて、うれしい本になっています。村上春樹の小説と佐々木マキさんの絵は実にお似合いで、まことに都会的なのであります。
・・・・・・・・・・
この短編集には、独立した17の短編と「図書館奇譚」(1)~(6)が収められています。1981年から83年にかけて「トレフル」という小さな雑誌に発表された作品群です。

村上作品は時に難解で、現実にはあり得ない状況や人でない物が平気で話しかけたりします。金星生まれの物静かな男が、自分の住む星の死生観を語ったりもするのです。その設定が一体どのような意味を持つのか、なぜ物静かな男は金星生まれでなければならないのか、正直なところ私にはよく分かりません。分からないだけに、解釈も様々なのです。

「カンガルー日和」にも様々な意味付けがされているのを読むのですが、私には今一これだと思うようなものがありません。一緒に暮らす若い男女が、人気のない動物園に、月曜日の朝、カンガルーの赤ん坊を見物に行く「だけ」の話だと思うのですが。

一々意味を考え、表向きの文章に隠された真実を掘り当てる、といった作業がしんどくて、そんなことしながら読んでも楽しくないなら、いっそのこと何も考えずにありのまま読んだ方が精神衛生上も良かろうと、最近は勇気をもって居直っているのです。

子供の視点を取り戻すために「カンガルー日和」を書いたと、村上春樹は説明しています。道理で彼女はまるで少女のように、カンガルーについてやたらと細かく幾つもの質問を彼に浴びせます。彼女の質問攻勢に丁寧に答える彼ですが、時期は夏の盛りでさすがに二人は少々疲れ気味...「ねえ、ビールでも飲まない?」と言う彼女に、彼は「いいね」と返事を返すのでした。

「この短編を読み終わったら、とてもビールが飲みたくなりました。それが私の感想です。」
と言ったら、村上氏は怒るでしょうか。何だかニコニコして、「そういうことです・・」と言ってくれそうな気もするのですが。そう言えば、『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』を読んだときも、やたらビールが飲みたい気分になったなぁ。関係ないけど。
・・・・・・・・・・
もう一作品、「鏡」は高校の国語の教科書に載った短編です。20歳くらいの青年が、アルバイトで中学校の夜警をしたときの恐怖体験を語る話です。

夜中の3時に時計のベルが鳴った時、僕はすごく変な気がします。体が起きようとする僕の意志を押しとどめているような感じです。仕切り戸の音もさっきとは違うような気がして、うまく体に馴染まないのです。僕は意を決して見回りに行きます。

玄関を通り過ぎたとき、下駄箱の横の壁に鏡があることに僕は驚きます。昨日まではなかったはずの鏡に映る自分にびっくりしたことが分かると、ほっとすると同時に馬鹿馬鹿しくなり、くだらないと思うのでした。

ところが、急に奇妙なことに気付きます。鏡の中の像が僕であって僕ではないのです。外見はその通りですが、鏡の中の僕は絶対に僕ではないことが本能的に分かったのです。僕がそうあるべきではない形での僕、だったのです。

その時ただひとつ理解できたこと、それは鏡の中の相手が心の底から僕を憎んでいるということでした。暗い氷山のような憎しみ、誰にも癒すことのできない憎しみでした。

まるで僕の方が鏡の中の像みたいに、奴の方が僕を支配しようとしている・・・、その時、僕は大声で叫びながら、持っていた木刀を鏡に向かって投げつけました。
・・・・・・・・・・
鏡が割れる音がして、僕は一目散にそこから走り去る・・・、しかし、下駄箱の横には最初から鏡などなかったのです。鏡がついたことなど一度もなかった、という話です。

これ、読み様によったらただの怪談ですよね。この話から導き出される文学的意味とは何なのでしょうか。鏡の中の自分が自分を酷く憎んでいると感じた原因が一体何にあるのか、そもそもないはずの鏡を僕はなぜ見てしまう羽目になったのか、という部分が議論の的になるのでしょうが、そんな疑問に対して高校生たちは何と答えるのでしょう。

現代国語の先生はこの「鏡」をどう解釈して、生徒たちにどんな説明をするのかしら。ぜひ、授業風景を覗いてみたいものです。どうせ、尤もらしい正解がちゃんと用意されてはいるのでしょうが。

この本を読んでみてください係数 90/100


◆村上 春樹

1949年京都府京都市伏見区生まれ。兵庫県西宮市、芦屋市で育つ。

早稲田大学第一文学部演劇科を7年かけて卒業。在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺に開店する。

作品 「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「女のいない男たち」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
おかげさまでランキング上位が近づいてきました!嬉しい限りです!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『教団X』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『教団X』中村 文則 集英社文庫 2017年6月30日第一刷 突然自分の前から姿を消した女性を探し

記事を読む

『この世の喜びよ』(井戸川射子)_書評という名の読書感想文

『この世の喜びよ』井戸川 射子 講談社文庫 2024年10月16日 第1刷発行 第168回芥

記事を読む

『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『木洩れ日に泳ぐ魚』恩田 陸 文春文庫 2010年11月10日第一刷 舞台は、アパートの一室。別々

記事を読む

『国境事変 〈ジウ〉サーガ4 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『国境事変 〈ジウ〉サーガ4 』誉田 哲也 中公文庫 2024年3月25日 改版発行 Key

記事を読む

『神様からひと言』(荻原浩)_昔わたしが、わざとしたこと

『神様からひと言』荻原 浩 光文社文庫 2020年2月25日43刷 大手広告代理店

記事を読む

『携帯の無い青春』(酒井順子)_書評という名の読書感想文

『携帯の無い青春』酒井 順子 幻冬舎文庫 2011年6月10日初版 黒電話の前で、「彼」からの電話

記事を読む

『蹴りたい背中』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『蹴りたい背中』綿矢 りさ 河出文庫 2007年4月20日初版 これまでに幾度も書いているの

記事を読む

『カラヴィンカ』(遠田潤子)_書評という名の読書感想文

『カラヴィンカ』遠田 潤子 角川文庫 2017年10月25日初版 売れないギタリストの多聞は、音楽

記事を読む

『コロナと潜水服』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『コロナと潜水服』奥田 英朗 光文社文庫 2023年12月20日 初版1刷発行 ちょっぴり切

記事を読む

『セルフィの死』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『セルフィの死』本谷 有希子 新潮社 2024年12月20日 発行 もう二度とSNSができな

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『黒い絵』(原田マハ)_書評という名の読書感想文

『黒い絵』原田 マハ 講談社文庫 2025年11月14日 第1刷発行

『この地獄を生きるのだ』(小林エリコ)_書評という名の読書感想文

『この地獄を生きるのだ』小林 エリコ ちくま文庫 2025年11月1

『カラスは言った』(渡辺優)_書評という名の読書感想文

『カラスは言った』渡辺 優 中公文庫 2025年11月25日 初版発

『崩壊』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『崩壊』塩田 武士 PHP文芸文庫 2025年10月22日 第1版第

『禁断の中国史』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文

『禁断の中国史』百田 尚樹 幻冬舎文庫 2025年11月10日初版発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑