『昨夜のカレー、明日のパン』(木皿泉)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『昨夜のカレー、明日のパン』(木皿泉), 作家別(か行), 書評(や行), 木皿泉

『昨夜のカレー、明日のパン』木皿 泉 河出文庫 2016年2月20日25刷

7年前、25歳で死んでしまった一樹。遺された嫁・テツコと今も一緒に暮らす一樹の父・ギフが、テツコの恋人・岩井さんや一樹の幼馴染みなど、周囲の人物と関わりながらゆるゆるとその死を受け入れていく感動作。本屋大賞 第2位&山本周五郎賞にもノミネートされた、人気夫婦脚本家による初の小説。書き下ろし短編 「ひっつき虫」 収録! (河出文庫)

私のおススメは、「山ガール」。”ガール” は小川里子さんといい、ギフは彼女のことを「師匠」 と呼びます。

物語は、以下のような出来事をきっかけに始まってゆきます。但し、すぐにではありません。大人になった一樹が結婚し、幸せだった家族が突然不幸に見舞われた後に続くことになります。思いもしない、遠い先のことです。

明日のパン、買ってきて
と夕子に言われ、本から顔を上げ、一樹は ええっっと顔をしかめた。
ここ、読んじゃってから
なおも読み続けようとしたが、容赦なく本を取り上げられてしまった。

いつものやつね
と追いやられる。
一樹はしかたなく立ち上がり、
アイス、買っていい?
と聞くと、冷蔵庫に、肉やら野菜を詰めながら母は、
私、ピーチ
と叫んだ。

いつものパン屋で、五枚切りを一斤買い、それを雨に濡らさないように注意深く歩いていると、突然、後ろからばしゃばしゃと水たまりをけちらす音が近づいてきて、おかっぱ頭の小学校低学年ぐらいの女の子が、
入れて下さい
と傘の中に飛び込んできた。

一樹が驚いていると、女の子も驚いた様子だった。傘の柄が婦人物だったので、女の人だと思い込んでいたのだろう。でもすぐ、人懐っこい顔でニッと笑ってみせた。よく見ると、その子は、子犬を抱いていた。

この傘、いい音がするね
女の子が、一樹を見上げ、大人びた様子でそう言った。下からにらむような黒目がちの目で、
私のも、いい音なんだよ
と自慢した。女の子は、かすかにカレーの匂いがした。

今日のお昼、カレーだったの?
一樹が聞くと、女の子はへへと笑って、
ゆうべのカレー
と歌うように言った。

その犬、何て名前?
一樹が尋ねると、
まだ決めてない
と、女の子は子犬を優しくなでた。

ふーん、そうなんだ
お兄ちゃんが持っているのは、何て名前?
女の子は、一樹が大事そうに持っているパンを見て聞いた。一樹は、ちょっと考えて、
明日のパン
と答えた。

女の子は、突然、
私、こっちだから
とスカートに子犬をくるむと、雨の中へ飛び出して行った。細い足がぴょんぴょんと、泥をけり上げ走ってゆく。急に女の子は立ち止まると、こちらを向いて、
パンって名前にしていい?
と大声で聞いた。

いい名前だと思うよ
一樹が叫ぶと、女の子は、また激しい雨をものともせず走り抜けて行った。その後ろ姿を一樹は、呆然と見送った。何だったんだ、今のは。一瞬、自分も小さな子犬を抱き上げたような、不思議な気持ちだった。

この日の話は、誰にもしていない。していないが、その後もなぜかずっと心に残った。雨の中、水たまりをはねのけるように、地面をけっていた、あの小さな足は何だったんだろう。(本文より/一部割愛)

この本を読んでみてください係数  85/100

◆木皿 泉
1952年生まれの和泉努と、57年生まれの妻鹿年季子による夫婦脚本家。

作品 「すいか」「野ブタ。をプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」「Q10」「木皿食堂」「6粒と半分のお米 木皿食堂2」他多数

関連記事

『乳と卵』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『乳と卵』川上 未映子 文春文庫 2010年9月10日第一刷 娘の緑子を連れて大阪から上京した

記事を読む

『夜の床屋』(沢村浩輔)_書評という名の読書感想文

『夜の床屋』沢村 浩輔 創元推理文庫 2014年6月28日初版 久しぶりに新人作家の、しかも

記事を読む

『銀の夜』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『銀の夜』角田 光代 光文社文庫 2023年11月20日 初版1刷発行 「これは、私たちにと

記事を読む

『世にも奇妙な君物語』(朝井リョウ)_書評という名の読書感想文

『世にも奇妙な君物語』朝井 リョウ 講談社文庫 2018年11月15日第一刷 彼は子

記事を読む

『桃源』(黒川博行)_「な、勤ちゃん、刑事稼業は上司より相棒や」

『桃源』黒川 博行 集英社 2019年11月30日第1刷 沖縄の互助組織、模合 (

記事を読む

『学校の青空』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『学校の青空』角田 光代 河出文庫 2018年2月20日新装新版初版 いじめ、うわさ、夏休みのお泊

記事を読む

『路上のX』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『路上のX』桐野 夏生 朝日新聞出版 2018年2月28日第一刷 こんなに叫んでも、私たちの声は

記事を読む

『祝山』(加門七海)_書評という名の読書感想文

『祝山』加門 七海 光文社文庫 2007年9月20日初版 ホラー作家・鹿角南のもとに、旧友からメー

記事を読む

『よみがえる百舌』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『よみがえる百舌』逢坂 剛 集英社 1996年11月30日初版 『百舌の叫ぶ夜』から続くシリーズ

記事を読む

『サンブンノニ』(木下半太)_書評という名の読書感想文

『サンブンノニ』木下 半太 角川文庫 2016年2月25日初版 銀行強盗で得た大金を山分けし、

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行

『存在のすべてを』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『存在のすべてを』塩田 武士 朝日新聞出版 2024年2月15日第5

『我が産声を聞きに』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『我が産声を聞きに』白石 一文 講談社文庫 2024年2月15日 第

『朱色の化身』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『朱色の化身』塩田 武士 講談社文庫 2024年2月15日第1刷発行

『あなたが殺したのは誰』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『あなたが殺したのは誰』まさき としか 小学館文庫 2024年2月1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑