『そこへ行くな』(井上荒野)_書評という名の読書感想文
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『そこへ行くな』(井上荒野), 井上荒野, 作家別(あ行), 書評(さ行)
『そこへ行くな』井上 荒野 集英社文庫 2014年9月16日第2刷
長年一緒に暮らす男の秘密を知らせる一本の電話、
中学の同窓生たちの関係を一変させたある出来事・・・・
見てはならない 「真実」 に引き寄せられ、平穏な日常から足を踏み外す男女を描く短編集。第6回中央公論文芸賞受賞作。(集英社文庫)
遊園地、学校、ベルモンドハイツ401、サークル、団地、野球場、そして、病院 - 。
そこへ行くな。行けば、それがあなたの命取りになる、取り返しがつかないことになる、ということが書いてあります。
何気に過ぎる日常が当然のように思えていたものが、まるで違う景色に変ってしまう。信じていたものの一々が、実はそうではなかったのだと知らされる。見過ごせば済むものを、
往々にして人は行ってはならない場所へ行き、見てはならないものを見たくなります。
「遊園地」
二人が出会ったのは十二年前のことでした。「私」 は二十九歳、彼は二十八歳でした。出会うとすぐに一緒に暮らしはじめ、今では七歳になる息子・太郎がいます。
三人はごく普通の家族ではあったのですが、今にして思えば、実はその “気配” はありありとあったのでした。「私」 はそれに気付きながらも、敢えて気付かないふりをしています。気にするには些細なことに思え、なにより今が幸せだったからです。
そんな折、見知らぬ女から電話がかかってきます。
川野純一郎の本当のことを教えます。
機械みたいな一本調子で、女はそう言ったのでした。女の口から出たある町の名前。ある日、純一郎が出かけたあと玄関で拾った一枚の紙切れ - 。
女からの電話のあと、私は財布の中からその紙切れを探し出した。控えに記された所番地と、女に告げられメモをした所番地は同じだった。その事実より、その控えを今まで自分が捨てずにとっておいたのだということに、私は動揺した。控えを保管しておいたのは、いつかこういう日が来ることがわかっていたからだった。くぐもった声の女が電話をかけてくるずっと前から、自分が疑いはじめていたことに、私は気がついたのだった。
そのときすでに純一郎さんは、今の仕事をしていた。芸能プロダクション所属のマネージャー。奇妙に思えるけれどそれも純一郎さんの真実のひとつだ。どのみち私には別世界の仕事で、だからそれは、様々な不自然さの理由にもなった。
たとえば純一郎さんが私の友だちに会うことはあるけれど、私が彼の友人知人に会う機会がないこと。純一郎さんの両親は早くに亡くなったというが、その墓を訪れたこともないし、彼の親戚ともまったく往き来がないこと。そうして、ともに暮らしはじめても太郎が生まれても、籍を入れようとしないこと。
「籍なんてどうでもいいよな、紙切れ一枚のことじゃないか」- 結局その言葉でいつも 「私」 は自分を納得させるのでした。十分に幸せなのだからと。「私」 がこの世で何よりも必要なものは純一郎さんで、それはもう手に入っているのだからと。
純一郎さんはやさしい人だ。私は思う。たぶん彼と一緒になってから、私にとっての 「やさしい」 は 「弱い」 という意味を含むものになっているけれど、それでもそれは、私に純一郎さんを愛させる理由にほかならない、と考える。
純一郎さんは太郎のために、じつはひどく心を痛めている。ほとんど動揺しているのだ。どうしていいかわからなくて、でも何かせずにはいられなくて、そうして、彼が思いついたのが、遊園地だったのだろう。
※この遊園地でする 「私」 との会話で、純一郎は小さなミスとも言えないミスを犯します。それだけならまだよかったものの、ミスをミスと気付かせないように更にミスを重ねます。
実はその時の 「私」 にとって、そんなことは今更どうでもよかったのです。なぜなら、先から 「私」 は彼に対し 「言いたいこと」 があり、それを口に出して言う機会を、今か今かと待ち構えていたのですから。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆井上 荒野
1961年東京都生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。
作品 「潤一」「虫娘」「ほろびぬ姫」「切羽へ」「つやのよる」「誰かの木琴」「ママがやった」「赤へ」「その話は今日はやめておきましょう」「あちらにいる鬼」他多数
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