『満潮』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『満潮』朝倉 かすみ 光文社文庫 2019年7月20日初版

満潮 (光文社文庫)

わたし、ひとがわたしになにをしてもらいたがっているのか、分かるの。

人に迎合し、喜ばせることが生きがいの眉子。彼女の結婚式で配膳係のバイトをしていたコミュ障で自意識過剰な大学生・茶谷は、美しい花嫁姿の眉子に一目惚れをする。そして眉子の夫に取り入り、彼女に近付いていく。眉子は必ず僕を好きになる - 。眉子。茶谷。眉子の夫。絡み合う三人の関係は? 眉子がかつて体験した、強烈な過去とは? 真実と心の闇は、着々と明かされていく。ロングセラー 『田村はまだか』 の著者が放つ恋愛サスペンス。(光文社)

わたし、分かったの。そのままのわたしでいればだれかを喜ばせることができるって。そうして、そのままのわたし はひとつじゃなくて、目の前のだれかの数だけいるの

断片的かつ抽象的な自分語りに 〈と、言われましても〉 と困惑していた同級生は 〈ところで 『そのままのわたし』 ってなに? 〉 と訊ねます。そのあとの会話が不穏です。

だれかがこうだったらいいな、って思う眉子
それはまゆちゃんからすると そのままのわたしじゃないよね?
どうして?
ちがうじゃん
おんなじよ

おそらく多くの読者が、眉子が思うところの 「理想の自分」というものを理解できないと思います。何を言っているのだろうと。周囲は、彼女が思う “自分” についていけずに、自然、距離を置くようになります。

眉子には友達らしい友達がいません。それで構わないと思っています。そもそもが、彼女は人に対し対等な関係を望んでなどいません。これと定めた人に、一心に “尽くしたい” と考えています。尽くすことこそが、なりたいと願う理想の自分なんだと。

眉子という人には主体性がほぼありません。誰かの夢の形に自分をあてはめることによって初めて生きている実感が得られます。中小企業の社長のトロフィーワイフは、彼女にとって願ってもない役割でした。自分の価値を上げてくれる妻がほしいという夫の欲望はわかりやすかったからでしょう。

ところが、ある程度欲望を満たされると、夫は眉子がどんなに尽くしてもあまり喜ばなくなってしまいました。そんなときに眉子は茶谷という青年と出会うのです。茶谷は一目惚れした眉子に近づくため、彼女の夫の会社にアルバイトとして入社します。眉子は茶谷の歪んだ夢のヒロインに選ばれたのでした・・・・・・・(解説より by石井千湖)

異常かどうかということで言えば、明らかに常軌を逸しているのが茶谷で、眉子はただ一心に、あるがままの眉子という自分を演じているに過ぎません。

但し、基本それは夫に対してのみのことで、必ずしも彼女は “与し易い” 女性ではありません。いたずらに男性と交わることを善しとしません。たとえ夫と違う男性と知り合ったとしても、せいぜいが喫茶店でお茶を飲む程度のことでした。

※茶谷は早稲田の政経に通う学生で、自分に対し、強い自信と自負があります。元来優秀で有能な彼は、働き出すとすぐに眉子の夫の運転手を命じられます。気に入られた彼はアルバイトの身ながら、夫が主催するホームパーティーに参加するようになります。

思惑通りに事が運び、言葉を交わす機会が増え、やがて茶谷は眉子と二人だけで食事に行くようになります。ところが、話は弾まず、眉子はいっこうに茶谷に靡く気配がありません。眉子にとって茶谷は、茶谷が思うほどには魅力的ではなかったのです。

但し、茶谷はそうは考えません。彼の一途に過ぎる感情は、ある日を境に、二人の関係を大きく変えることになります。

この本を読んでみてください係数 85/100

満潮 (光文社文庫)

◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「肝、焼ける」「田村はまだか」「夏目家順路」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」「静かにしなさい、でないと」「平場の月」他

関連記事

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(伊集院静)_書評という名の読書感想文

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(上巻)伊集院 静 講談社文庫 2016年1月15日第一刷

記事を読む

『Mの女』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『Mの女』浦賀 和宏 幻冬舎文庫 2017年10月10日初版 Mの女 (幻冬舎文庫) ミステ

記事を読む

『岬』(中上健次)_書評という名の読書感想文

『岬』中上 健次 文春文庫 1978年12月25日第一刷 岬 (文春文庫 な 4-1)

記事を読む

『こちらあみ子』(今村夏子)_書評という名の読書感想文

『こちらあみ子』今村 夏子 ちくま文庫 2014年6月10日第一刷 こちらあみ子 (ちくま文庫

記事を読む

『さよなら、ビー玉父さん』(阿月まひる)_書評という名の読書感想文

『さよなら、ビー玉父さん』阿月 まひる 角川文庫 2018年8月25日初版 さよなら、ビー玉父

記事を読む

『未必のマクベス』(早瀬耕)_書評という名の読書感想文

『未必のマクベス』早瀬 耕 ハヤカワ文庫 2017年7月25日発行 未必のマクベス (ハヤカワ

記事を読む

『むらさきのスカートの女』(今村夏子)_書評という名の読書感想文

『むらさきのスカートの女』今村 夏子 朝日新聞出版 2019年6月20日第1刷 むらさきのス

記事を読む

『迷宮』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『迷宮』中村 文則 新潮文庫 2015年4月1日発行 迷宮 (新潮文庫)  

記事を読む

『夢魔去りぬ』(西村賢太)_書評という名の読書感想文

『夢魔去りぬ』西村 賢太 講談社文庫 2018年1月16日第一刷 夢魔去りぬ (講談社文庫)

記事を読む

『いつかの人質』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『いつかの人質』芦沢 央 角川文庫 2018年2月25日初版 いつかの人質 (角川文庫) 宮

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『夏の騎士』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文

『夏の騎士』百田 尚樹 新潮社 2019年7月20日発行 夏の

『我らが少女A』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『我らが少女A』高村 薫 毎日新聞出版 2019年7月30日発行

『平凡』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『平凡』角田 光代 新潮文庫 2019年8月1日発行 平凡 (

『真夜中のマーチ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『真夜中のマーチ』奥田 英朗 集英社文庫 2019年6月8日第12刷

『ちょっと今から人生かえてくる』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『ちょっと今から人生かえてくる』北川 恵海 メディアワークス文庫 

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑