『八月の路上に捨てる』(伊藤たかみ)_書評という名の読書感想文

『八月の路上に捨てる』伊藤 たかみ 文芸春秋 2006年8月30日第一刷

第135回 芥川賞受賞作

下世話な話ですが、この人が角田光代さんの元ダンナだったこと、みなさんはご存じでした? 私、全然知りませんでした。知らずに本を買って、買ったことも忘れて10年近く放置したままでした。手に取ったのは偶然で、何気にネットでみたらそんなことでした。

残念ながら、選評を読むと圧倒的に他を退けての受賞ではなかったようです。概ね及第点で、他に推薦する作品が見当たらない中で残った作品、みたいなニュアンスで書かれています。候補に挙がるだけでも快挙だと思うのですが、やはりプロの目は厳しいのです。

とりわけ、村上龍の評価は辛辣です。「生きにくさを描く小説はもううんざりだ。そんなことは小説がしなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリーで、自明のこととして、誰もが毎日目にしている」と言い、〈扱いのありきたりなさ〉を嘆いています。

読む前に余計なアナウンスは不適切だと思いますが、今回は敢えて『八月の路上に捨てる』という小説を教材にして、〈扱いのありきたりなさ〉を計ってみたいと思います。
・・・・・・・・・・
その前にひとつ、注意事項。読み始めた当初、私は主人公がてっきり自販機の飲料を補充して回るトラックの女性ドライバー・水城さんだと思い込んでいました。ところが、主役は水城さんの助手でアルバイトの敦なのです。書出しが、やや紛らわしく感じます。

この小説は、敦と、敦の結婚相手の智恵子に関する話です。それに気付くまでにちょっと時間がかかって、気が付けば「何だ、そうかよ」と少し落胆します。それは、水城さんがとてもガッツ溢れる、魅力的な、いかにも主人公らしい人物として書かれているからです。

水城さんは正社員で、シングルマザー。実家に子供を預けて、単身で仕事をしています。男勝りの力持ちで、「残業代を稼ぐため」に志願してドライバーをしています。水城さんが敦の離婚話の聞き役となって話は進んで行くのですが、どこまで行っても水城さんのキャラの方が立ってるように感じるのです。水城さんの話ならよかったのに。

〈扱いのありきたりなさ〉を一番に指摘されたのは、敦と智恵子の馴れ初めと顛末でしょう。

敦と智恵子は大学時代に知り合い、互いの夢に惹かれ合って同棲から結婚へと至ります。
敦は映画の脚本家になるのが夢で、智恵子は雑誌の編集者を目指していました。しかし、夢はいつまでも夢のままで、ささくれた生活に2人は見切りをつけようとしています。

そもそも、2人の結婚はスタート時点ですでに破綻の兆しが見え隠れするような危ういものでした。確約のない夢物語だけに支えられた生活は、現実を前にして何とも脆く、不足ばかりが炙り出されます。離婚は、煮詰まった末の、迎えるべくして迎えた結末でした。

脚本家志望と雑誌の編集者-これはいかにも工夫がないと言われたら、さすがに言い返せないでしょう。2人の心が離れていく過程での細かなエピソードも、身につまされる程の切実さは感じられません。言いたいことは分かるのですが、(スイマセン)分かるだけです。

〈扱いのありきたりなさ〉の二番目は、「けむりづめ」です。

水城さんが唐突に切り出します。「けむりづめ」とは詰め将棋の問題で、最初の一手を指したあとはがむしゃらに駒をどんどん取られながら玉を追い詰めて行くことで、「駒は煙みたいに消えて行くけれど、上手くやったら最後の最後で玉を追い詰められる。」・・・

一手でも間違うとあとはゲームオーバーしかないけれど、上手くやりさえすれば問題はいつかちゃんと解けるんだよ、と言う話です。これは水城さん自身のことで、決して敦に向けられたものではありません。

色んなものを失くすだけ失くして、それでも最後は勝つかも知れないと夢みているのは水城さんなのですが、この話はやはり唐突で浮いた感じが拭えません。何より、この教訓めいた言葉にストレートに感動するような読者は、おそらくいないと思います。

水城さんにせよ、敦や智恵子に向けられた暗示であっても、これはあまりにも陳腐と言わざるを得ません。喩にもなっていない、それこそ自明のことです。書かない方がかえって幾分も深みが増すのではないかと感じるくらいです。

芥川賞作家に限って、そんな見え透いた意図だけで書いたわけではないと思いますが、敦が最後まで、それでも自分は本気だった、と言っているのが気がかりです。そんな気持ちも知らないで、水城さんは再婚するためにさっさと千葉へ転勤してしまうのです。

この本を読んでみてください係数 75/100


◆伊藤 たかみ
1971年兵庫県神戸市生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。

作品「助手席にて、グルグル・ダンスを踊って」「ミカ!」「ぎぶそん」「ドライブイン蒲生」「フラミンゴの家」「海峡の南」「ゆずこの形見」他多数

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