『ほかに誰がいる』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『ほかに誰がいる』(朝倉かすみ), 作家別(あ行), 書評(は行), 朝倉かすみ

『ほかに誰がいる』朝倉 かすみ 幻冬舎文庫 2011年7月25日5版

あのひとのことを考えると、わたしの呼吸はため息に変わる。十六歳だった。
あのひとに出会うまで十六年もかかってしまったという気持ちは、後悔に少し似ている。
眠れない夜よりも長いわたしのため息は、いつか、あのひとに届くのだろうか。

 わたしは鳩の鳴き声を聞いていた。雨の降る日は、旧い校舎の廊下の壁から鳩の鳴き声が聞こえてくる。ひとの近づく気配を感じ、わたしは壁から耳を離した。向こうから、四、五人の集団が歩いてくる。笑っているなかに、懐かしい顔があった。なぜ、懐かしいのかわからなかった。すれちがったあとで振り返ると、二日前のできごとがまぶたの裏をすぎていく。
 わたしはプラットフォームへの階段を駆け上がっていた。空がぶれながら大きくなった。車ひだのスカートが腿にまとわりつき、埃のにおいも立ってきて、どちらもひどくわずらわしかった。乗るはずの電車の出発時間が迫っている。改札時間は終わったばかりだったので、まだ、間に合うかもしれなかった。視界の右すみに山吹色の電車が入ってきた。もう、動き始めている。わたしの足が遅くなった。轟音をひびかせ、加速する電車を横目で見ながら、最後の数段をゆっくりとのぼっていった。プラットフォームにでたら、ひとりの乗客がせりだして見えた。最後尾。乗降口。ガラスにこめかみをあてているひとがいる。目が合った、と、思ったら、電車が走り去った。風を吹き上げ、わたしの前髪をあおっていた。
 あのひとだった。あのひとも振り返っていた。目で驚き、目で笑い、かぶりを振って、首をもどした。その横顔がわたしの胸に残っている。からだが前に傾いて、床が湿った音を立てた。手の甲をひたいにあてて、うつむいた。斜めに目を上げると、向かいがわに窓がある。六月の夕方だった。空はまだ明るかったが、遠くのほうに深い青がひそんでいた。ぼやけて見えるのは、わたしの目に水の膜が張っているせいだ。まばたきをしたら、涙が落ちた。(本文より)

- そして物語がはじまってゆきます。高校一年生のえりは、同じ高校に通う同級生に恋をしたのでした。

相手の名前は、賀集玲子といいます。えりは、自分と同じ女性に恋をしたのでした。それは突然訪れた、”ひと目惚れ” だったのでしょう。えりの、玲子に向けた恋情は並大抵のものではありません。

最初思うのは、女性同士の、これは同性愛を扱った話ではないだろうかと。それが読むうち段々と、まるで違う話だというのがわかってきます。

えりは、玲子と同じ肌色になるために、わざわざ自分の白い肌を灼こうと躍起になります。えりは玲子と、”ふたごのように” なりたいのでした。強く願えば叶うと思い 「賀集玲子。賀集玲子」 と、恋しい人の名前を一心に、ひたすらノートに書き連ねるのでした。

えりの願うところは、限りなく玲子と一体化することでした。その一念で、そのための努力をえりは惜しみません。そうなるために、彼女は自分の全精力を傾注します。

そんなえりの思いを、玲子は半ば理解しており、半ば理解できずにいました。それはある意味当然で、玲子はえりのことを “普通に” 親友だと思っていただけのことでした。

何の問題もないように思えた二人の関係は、えりの一方的な思い込みで、次第次第に違うものへと変化してゆきます。その挙げ句、やがてえりの人生を根底から覆す事態を招くことになります。ただの偶然が、偶然では済まない帰結へとえりを駆り立ててゆきます。

十六歳だった。あのひとに出会うまで十六年もかかってしまったという気持ちは、後悔に少し似ている - 」 本城えりが電車の窓越しに、賀集玲子の姿を見初めたのは、高校一年のことだった。玲子に憧れ、近づき、ひとつになりたいと願うえり。その強すぎる思いは彼女自身の人生を破滅へと向かわせてゆく。読み始めたら止まらない、衝撃作。(幻冬舎文庫)

この本を読んでみてください係数 80/100

◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「肝、焼ける」「田村はまだか」「夏目家順路」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」「静かにしなさい、でないと」「満潮」「平場の月」他

関連記事

『ひりつく夜の音』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文

『ひりつく夜の音』小野寺 史宜 新潮文庫 2019年10月1日発行 大人の男はなかな

記事を読む

『脊梁山脈』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『脊梁山脈』乙川 優三郎 新潮文庫 2016年1月1日発行 上海留学中に応召し、日本へ復員する

記事を読む

『白磁の薔薇』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『白磁の薔薇』あさの あつこ 角川文庫 2021年2月25日初版 富裕層の入居者に

記事を読む

『パリ行ったことないの』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『パリ行ったことないの』山内 マリコ 集英社文庫 2017年4月25日第一刷 女性たちの憧れの街〈

記事を読む

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発行 朝日、読売、毎日、日

記事を読む

『天国までの百マイル 新装版』(浅田次郎)_書評という名の読書感想文

『天国までの百マイル 新装版』浅田 次郎 朝日文庫 2021年4月30日第1刷 不

記事を読む

『プラスチックの祈り 上』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『プラスチックの祈り 上』白石 一文 朝日文庫 2022年2月28日第1刷 「これ

記事を読む

『てらさふ』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『てらさふ』朝倉 かすみ 文春文庫 2016年8月10日第一刷 北海道のある町で運命的に出会っ

記事を読む

『ロスジェネの逆襲』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『ロスジェネの逆襲』 池井戸 潤  ダイヤモンド社 2012年6月28日第一刷 あの、半沢直樹シ

記事を読む

『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『ポイズンドーター・ホーリーマザー』湊 かなえ 光文社文庫 2018年8月20日第一刷 女優の弓香

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑