『八日目の蝉』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『八日目の蝉』角田 光代 中央公論新社 2007年3月25日初版


八日目の蝉 (中公文庫)

 

この小説は、不倫相手の夫婦に生まれた赤ちゃんを奪い、3年半もの間逃亡生活を続けた一人の女と、誘拐犯を母と信じて育った娘の話です。1章では、誘拐犯・野々宮希和子の逃亡の記録、2章では、誘拐された女児・秋山恵理菜の後に辿る人生が語られます。

テーマは「母性と再生」と言えばよいでしょうか。〈八日目の蝉〉というタイトルは、自分を誘拐した女に育てられ、やがて大人になっていく女性・恵理菜の心の変遷を象徴したものです。

忘れたいと願い続けた遠い日の記憶が形を変え、成長した恵理菜はやがて生きることへの新しい意味を知ることになります。
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【私はこの子を知っている。そしてこの子も私を知っている。なぜか希和子はそう思ったのです。私なら、絶対にこんなところにひとりきりにしない。私があなたを守る。】

希和子が留守宅から連れ出したのは、かつての職場の上司・秋山丈博と妻の恵津子の間に生まれた、生後6ヶ月になる長女・恵理菜でした。希和子は、その子を〈薫〉と名付けます。〈薫〉は、生まれてくる自分の子供につけようと彼女が前から決めていた名前でした。

彼女が辿る逃走経路はすべてその場の思い付きで、およそ計画とは呼べないものでした。苦し紛れに友人の康枝を訪ねた後はともかく身を隠す一心で、東京から名古屋、名古屋から奈良、奈良から瀬戸内の小豆島へと、転々と居所を変えて行くのでした。

特に奈良の生駒(市街地からは遠く離れた山間地)に拠点を置く《エンジェルホーム》での生活と、最後の逃亡先・小豆島の生活に多くのページが割かれています。それらは2章で語られる、保護された後の〈薫〉=恵理菜の人生に大きな影響を及ぼすことになります。

《エンジェルホーム》は、怪しい宗教団体に似て、一般の社会とは隔離された施設でした。広い庭の隅には50体ほどの人形が並んでおり、つるんとした子供のような像は〈エンゼルさん〉と呼ばれています。施設に男性の姿はなく、いるのは大人も子供も女だけです。

希和子はここで、相続分を含めた4,000万円近い財産を全てホームに差し出します。不安は残るものの、大金よりも希和子が欲しかったものは安住の地でした。生活が保障され、世間とは隔絶している《エンジェルホーム》は、彼女にとって理想的な棲み家でした。

しかし、ここでの生活も長くは続きません。2年余りの後、行政の調査が入ることが分かると、希和子と薫は慌てて逃げ出すことになります。2人の事情を薄々感付いていた久美が、逃亡を手助けします。久美の実家がある小豆島へ行けと、密かに2人へ伝えるのでした。

小豆島での希和子は「宮田京子」と名前を変え、最終的に久美の実家が営む素麺屋で働くことになります。久美の母親・昌子は、親身になって2人を支えます。昌子にとって2人は最後まで、娘の知り合いの京子と薫でした。
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2章は、マロンとリカが18年ぶりに再会する場面から始まります。マロンは千草、リカが恵理菜で、《エンジェルホーム》にいたときの呼び名です。千草と恵理菜は、かつてホームのアコモ(寝起きする部屋をこう呼んでいた)で一緒に暮らした者同士です。

千草もまた、母親と共に施設で育った子供です。彼女は、希和子の事件を本にするために恵理菜を捜していました。千草は、あの異様な体験をした当事者がなぜ自分だったのか、断ち切れずにいるその思いに結着をつけたいと考えています。

このとき恵理菜はまだ大学生で、じつは妊娠しているのですが、その事実と向き合えずにいます。相手の岸田は大手の塾の講師で、ひとつ年下の妻と2歳になる子供がいました。それを知ったとき、恵理菜は思わず笑ってしまいます。

自分を育てた「誘拐犯」と自分の姿がだぶって見えたからです。血のつながりなどないのに似ているのを、茶化すように笑ったのでした。子供を堕ろして、岸田とはもう会わない・・・、それしかないのに、思いを断ち切るのは言うほどに簡単なことではありません。

好きになる、と、好きでいるのをやめる、ということがどういうことなのか、恵理菜にはよく分かりません。会わなければ忘れられるはずなのに、会いにこられたらどうすればいいのか分からない恵理菜です。
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恵理菜は千草に導かれ、《エンジェルホーム》を経て、小豆島へ行こうとしています。

「憎むことは私を楽にはしたけれど、狭く窮屈な場所に閉じ込めた」と、思う恵理菜です。本当は、あの女も、父も母も、自分自身の過去も、憎みたくなどなかったのです。

「あんたと一緒に、閉じ込められたような場所から、もっと違うところへ出ていきたい」「恵理菜と一緒なら、ずっと抱えているものを手放すことができる」と、千草は言います。「自分が持っていないものを数えて過ごすのはもういやなの」と、つぶやく千草です。

恵理菜が岸田と別れて子供を産もうと決心したのは、自分の中に自分ではない誰かがいて、その誰かにこの世にあるすべてのきれいなものを見せる義務があると思ったからでした。恵理菜は今、生まれてくる赤ん坊に、あなたが世界でいちばん好きだと何度でもささやこうと思っています。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


八日目の蝉 (中公文庫)

◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「空中庭園」「対岸の彼女」「紙の月」「ロック母」「ツリーハウス」「かなたの子」「私のなかの彼女「笹の舟で海をわたる」「幾千の夜、昨日の月」ほか多数

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