『最後の命』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『最後の命』中村 文則 講談社文庫 2010年7月15日第一刷


最後の命 (講談社文庫)

 

中村文則の小説はミステリーとしても読めるといった解説がありますが、私にはそれが随分無理をした解釈に思えてなりません。確かにミステリー仕立てではありますが、そもそもこの人の小説に最初から謎解きを期待する読者などいないのです。

殺人者が誰かということも、さほど重要ではありません。謎めいた話を準備するのは、偏に抽象的な心象をより具現化するための、それこそトリックと言っていいかも知れません。この人の小説は難解な哲学ですが、そう感じさせない著者ならではの方便だと思うのです。
・・・・・・・・・・
「お前に会っておきたい」-冴木からの7年ぶりの連絡が、唐突に入ります。〈私〉と冴木には、深く心に刻まれ、囚われ続けた遠い日の記憶があります。その記憶を避けるように、長い間2人は出会うことなく時間が過ぎていました。

帰宅したアパートの部屋で〈私〉が発見したのは、いつも指名していたデリヘル嬢・エリコの死体でした。部屋には物色された形跡があり、エリコの腹には精液が付着しています。
容疑は当然〈私〉に向けられますが、〈私〉にも何が起こったのかが分かりません。

部屋に残された指紋と血液型から判明した新たな容疑者は、つい最近7年ぶりに出会った幼なじみの冴木でした。冴木は既に、連続婦女暴行事件の容疑者として指名手配中の身です。事件の真相を知るべく、〈私〉は冴木の居場所を探し始めます。
・・・・・・・・・・
同じものを見て、同じ体験をし、互いに悩み苦しんだ過去の記憶。すべて共有していたはずなのに、その後に歩む人生は確実にズレて行きます。2人が再会したとき、〈私〉は「不良品」となり、冴木は「犯罪者」になっていました。

最初の出来事は、ホームレスの男による強姦事件でした。小学2年も終わろうとする頃、〈私〉と冴木は、一人の女性が何人もの男に犯されている現場を目撃します。挙句に男たちに見つかって、押さえつけられ助けを乞う女の体に触れと、力ずくで強要されます。

2人の少年は、口封じのために強制的に「共犯者」にさせられたのでした。被害者のやっちりは、やたらと背が高いのに背筋は曲がり、鼻の下はいつも鼻水で固まっている、30代くらいの知的障害者でした。ぼんやりと座っていることが多く、時々小便の臭いがします。

2度目は中学2年の夏休み、強姦の現場だった工場の跡地へ行った時のことです。あの時と同じように、跡地に張られたビニールシートのテントから女の喘ぐ声が聞こえてきます。悲鳴が絶叫に変わり、2人にはあの日のやっちりに群がる男たちの映像が甦ります。

テントを覗くと、以前やっちりの腕を押さえていた男が低級なエロテープを聞きながら性器を握っています。男は興奮しながらも具合が悪そうで、死ぬ間際の様相です。この醜い生き物、醜い存在。〈私〉は持っていた鉄の棒を、思わず振り下ろしそうになります。

最後の出来事は高校1年の秋、このとき2人は強姦の当事者と目撃者という立場で偶然出会うことになります。夜のランニングをしていた〈私〉は、コースにしている神社を過ぎた辺りで悲鳴を聞きます。それは微かですが、罵倒するような、女の悲鳴でした。

〈私〉は、声のする方へ近づきます。やっちりの苦痛に満ちた表情が、目の前に浮かびます。〈私〉は、すぐに女性を助けなければならないと思います。男を止めるために叫び、草むらの中に走り寄った〈私〉の前にいたのは、動きを失った冴木でした。
・・・・・・・・・・
これらの偶然の出来事は、その後の〈私〉と冴木の心を拘束し滞留し続けることになります。〈私〉は小学5年で精神科の治療を受け、高校2年で自律神経失調症と鬱病だと診断されます。大学時代に知り合った恋人の香里は、〈私〉を「不良品」だと言います。

〈私〉が自らに問いかける疑問は厳しく、深刻です。ホームレスの男たちによる強姦を止められなかった自分は責められるべきか否か。低俗で醜く、自慰しながら死にゆく男を見殺しにしたのは倫理的に許されることなのか。そもそも、倫理とは何なのか?

暴力的な性欲を持つ人間とは何者で、自分にもその性向は内在しているのか。ならば、その原因は? 幾重にも連なる疑問を放置したまま生きることが〈私〉には出来ません。時折考えるのは、踏切の遮断機から身を乗り出して列車に向かって飛ぼうとするイメージです。

一方の冴木については、後段の〈私〉宛ての長いメールで詳細が語られるのですが、彼が悩んだのは自分の性癖でした。高校時代の未遂事件が示すように、「女を襲いたい」という欲望自体の虜になり、抑制が効かない自分に絶望しています。

我を忘れていく感覚、性に自分を失う感覚がたまらく好きだと冴木は言います。彼がこの端緒を掴んだのは、明らかに幼い日の出来事です。醜く呻くやっちりに触れと男たちから言われた時の冴木は、恐怖とはうらはらに強く興奮していたのでした。
・・・・・・・・・・
2人の呻吟は、続きます。冴木の歪んだ性癖と〈私〉の潔癖症、元をたどれば過去の惨たらしい出来事に行き着くかと思いきや、彼らはさらにその先にあるものに目を向けます。それは、「必然性の彼方にある偶然」とでも呼べばいいのでしょうか。

自分たちには元々その資質があったのではないか、事件に遭遇せずとも早晩同じ帰結を迎えたのではないかという思いです。時を同じくして、この思いに行き着く2人です。死と狂気を目前にして、2人は罪の償い方を模索しています。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


最後の命 (講談社文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「悪意の手記」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」「世界の果て」「掏摸<スリ>」「悪と仮面のルール」「去年の冬、きみと別れ」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
おかげさまでランキング上位が近づいてきました!嬉しい限りです!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『坂の途中の家』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『坂の途中の家』角田 光代 朝日文庫 2018年12月30日第一刷 坂の途中の家 (朝日文庫

記事を読む

『静かに、ねぇ、静かに』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『静かに、ねぇ、静かに』本谷 有希子 講談社 2018年8月21日第一刷 静かに、ねぇ、静かに

記事を読む

『悪と仮面のルール』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『悪と仮面のルール』中村 文則 講談社文庫 2013年10月16日第一刷 悪と仮面のルール (

記事を読む

『ヒポクラテスの誓い』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『ヒポクラテスの誓い』中山 七里 祥伝社文庫 2016年6月20日初版第一刷 ヒポクラテスの誓

記事を読む

『この話、続けてもいいですか。』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『この話、続けてもいいですか。』西 加奈子 ちくま文庫 2011年11月10日第一刷 この話、

記事を読む

『形影相弔・歪んだ忌日』(西村賢太)_書評という名の読書感想文

『形影相弔・歪んだ忌日』西村 賢太 新潮文庫 2016年1月1日発行 形影相弔・歪んだ忌日 (

記事を読む

『ゆれる』(西川美和)_書評という名の読書感想文

『ゆれる』西川 美和 文春文庫 2012年8月10日第一刷 ゆれる (文春文庫) &nb

記事を読む

『ぼくは落ち着きがない』(長嶋有)_書評という名の読書感想文

『ぼくは落ち着きがない』長嶋 有 光文社文庫 2011年5月20日初版 ぼくは落ち着きがない

記事を読む

『事件』(大岡昇平)_書評という名の読書感想文

『事件』大岡 昇平 創元推理文庫 2017年11月24日初版 事件 (創元推理文庫) 196

記事を読む

『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『空飛ぶタイヤ』 池井戸 潤 実業之日本社 2008年8月10日第一刷 @1,200 &n

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『人間タワー』(朝比奈あすか)_書評という名の読書感想文

『人間タワー』朝比奈 あすか 文春文庫 2020年11月10日第1刷

『かか』(宇佐見りん)_書評という名の読書感想文

『かか』宇佐見 りん 河出書房新社 2019年11月30日初版

『希望病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『希望病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2020年11月11日初版

『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版

『裏アカ』(大石圭)_書評という名の読書感想文

『裏アカ』大石 圭 徳間文庫 2020年5月15日初刷 裏アカ

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑