『レキシントンの幽霊』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2020/05/26 『レキシントンの幽霊』(村上春樹), 作家別(ま行), 書評(ら行), 村上春樹

『レキシントンの幽霊』(沈黙)村上 春樹 文春文庫 1999年10月10日第1刷


レキシントンの幽霊 (文春文庫)

『レキシントンの幽霊』には7つの短編が収められています。中で「沈黙」という作品は村上春樹には珍しくとても〈わかりやすい〉作品です。元々それぞれの物語は独立しており、統一したテーマは見当たらないのですが、特に異質で記憶に残った作品が「沈黙」でした。

よくよく考えてみると、村上春樹の小説に登場する主人公たちは、目の前で起きている〈非日常的な出来事〉を、往々にして無反応なままやり過ごします。過剰に慌てたりはせず、その場は何ごともなかったようにして、さらりと場面転換することがよくあります。

真意を掴みかねるところですが、その不思議な余韻こそ村上作品の魅力だとも言えます。表題の「レキシントンの幽霊」は、文字通り幽霊の話ですが、幽霊が出たからといって主人公が驚くわけでもありませんし、幽霊の方も徒に人間に干渉したりはしません。

友人から留守番を頼まれた主人公が大勢の幽霊と出会います。幽霊は居間で勝手にパーティーを開き、主人公は気味悪くなるのですが、何をしてよいのか分からずに、結局そのまま部屋に戻って寝てしまいます。そして、翌朝目覚めると外は雨が降っていました、というお話です。

この物語を読んだ人はどんな感想を抱くのか・・・、それは読者それぞれにお任せします、といった著者ならではのスタンスです。それに対し「沈黙」は、明確な問題意識を提示して具体的に核心がどこにあるかが詳しく書かれている作品です。言わんとすることを言い切って終わる、じつに〈わかりやすい〉話なのです。

小説は、僕が大沢さんに向かって、これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか、と訊ねるところから始まります。しばらく沈黙したあと、大沢さんは話し始めます。本当はしたくない、できるならきっぱりと忘れてしまいたい話だけれど「忘れたいものは絶対に忘れられないんです」と、大沢さんはそう言って笑います。

大沢さんがかつて一度だけ殴ったことがあるのは、同級生の青木という男でした。大沢さんは、一目見たときから青木が嫌いでした。それは生理的なもので、理屈抜きに嫌いなのでした。そして、大抵の場合、相手の方も同じような感情をこちらに対して持っているものです。

青木は、成績は良いけれど偉ぶらず、さばけていて、気楽に冗談も言います。しかし、大沢さんは彼の背後にほの見える、要領の良さや本能的な計算高さに気付いています。青木の体から発散するエゴとプライドの匂いが、大沢さんには我慢できなかったのです。

ある日英語のテストで大沢さんは一番を取ります。英語の試験では一番を続けていた青木はかなりのショックを受け、教師にからかわれたりします。自分が笑い者になった気がした青木は、卑劣にも大沢さんがカンニングをしたと嘘の噂を流します。

大沢さんは青木を問い詰めますが、青木はとぼけるばかりです。大沢さんが反射的に青木を殴ったのは、この時でした。しかし、殴った直後にもう大沢さんは後悔しています。殴ったところで何の役にも立たない、大沢さんはすぐにそう思い直したのでした。

青木が虎視眈々と狙っていた復讐の機会は、同じ高校へ進学して迎えた3年生のときに訪れます。夏休みに一人の同級生が自殺します。その生徒は誰かに殴られては金を巻き上げられていたのですが、いじめた張本人として真っ先に疑われたのが大沢さんでした。

大沢さんは、中学の頃からボクシングジムに通っていました。過去に青木を殴ったこともあります。教師に尋問され、警察にも事情聴取を受けたことが分かると、もはや大沢さんは犯人扱いされ、クラスメイトからは徹底的に無視されてしまうのです。

同級生の自殺を利用して、すべては青木が仕組んだ噂話でした。大沢さんは、卒業までの半年間耐えに耐えます。〈つぶされまい〉と踏ん張り続ける大沢さんに、遂に青木の態度が変化します。それは明らかに負けを認める態度で、大沢さんの意志が青木の非道な思惑を打ち砕いた瞬間でした。

一連の話から大沢さんが得た結論はこうです。
【怖いのは、青木のような人間ではない。本当に怖いのは、青木のような人間の言い分を無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さないけれど、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。

彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて考えないし、誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないことに思いあたりもしない。彼らは自分たちの行動がどういう結果をもたらそうと、何の責任も取りはしないんです】

大沢さんがつらい状況にじっと耐えたのは、人生そのものに負けるわけにはいかないという強い思いがあったからでした。自分が軽蔑し侮蔑するものに簡単に押し潰されるわけにはいかないという、固い信念があったからです。

この本を読んでみてください係数 85/100


レキシントンの幽霊 (文春文庫)

◆村上 春樹
1949年京都府京都市伏見区生まれ。兵庫県西宮市、芦屋市で育つ。
早稲田大学第一文学部演劇科を7年かけて卒業。在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺に開店する。

作品 「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「女のいない男たち」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
おかげさまでランキング上位が近づいてきました!嬉しい限りです!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『絶唱』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『絶唱』湊 かなえ 新潮文庫 2019年7月1日発行 絶唱 (新潮文庫) 悲しみしかな

記事を読む

『ハコブネ』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『ハコブネ』村田 沙耶香 集英社文庫 2016年11月25日第一刷 ハコブネ (集英社文庫)

記事を読む

『輪 RINKAI 廻』(明野照葉)_書評という名の読書感想文

『輪 RINKAI 廻』明野 照葉 文春文庫 2003年11月10日第1刷 輪(RINKAI

記事を読む

『1973年のピンボール』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『1973年のピンボール』村上 春樹 講談社 1980年6月20日初版   1

記事を読む

『火花』(又吉直樹)_書評という名の読書感想文

『火花』又吉 直樹 文芸春秋 2015年3月15日第一刷 火花   又吉

記事を読む

『孤虫症』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『孤虫症』真梨 幸子 講談社文庫 2008年10月15日第一刷 孤虫症 (講談社文庫) 真梨幸子

記事を読む

『月魚』(三浦しをん)_書評という名の読書感想文

『月魚』三浦 しをん 角川文庫 2004年5月25日初版 月魚 (角川文庫) 古書店 『無窮

記事を読む

『69 sixty nine』(村上龍)_書評という名の読書感想文

『69 sixty nine』村上 龍 集英社 1987年8月10日第一刷 69 sixty

記事を読む

『あの日、君は何をした』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『あの日、君は何をした』まさき としか 小学館文庫 2020年7月12日初版 あの日、君は何

記事を読む

『くっすん大黒』(町田康)_書評という名の読書感想文

『くっすん大黒』町田 康 文春文庫 2002年5月10日第一刷 くっすん大黒 (文春文庫)

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『やわらかな足で人魚は』(香月夕花)_書評という名の読書感想文

『やわらかな足で人魚は』香月 夕花 文春文庫 2021年3月10日第

『ふたりぐらし』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『ふたりぐらし』桜木 紫乃 新潮文庫 2021年3月1日発行

『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー)_書評という名の読書感想文

『生きるとか死ぬとか父親とか』ジェーン・スー 新潮文庫 2021年3

『飼い喰い/三匹の豚とわたし』(内澤旬子)_書評という名の読書感想文

『飼い喰い/三匹の豚とわたし』内澤 旬子 角川文庫 2021年2月2

『白磁の薔薇』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『白磁の薔薇』あさの あつこ 角川文庫 2021年2月25日初版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑