『文庫版 オジいサン』(京極夏彦)_なにも起きない老後。でも、それがいい。

『文庫版 オジいサン』京極 夏彦 角川文庫 2019年12月25日初版

文庫版 オジいサン (角川文庫)

72歳の益子徳一は定年定職後、公団アパートで一人暮らし。誰かに優しく 「オジいさん」 と呼びかけられたことを思い出したり、大した用もないのに訪ねてくる田中電気の2代目と言い合いしたり、調子に乗って変な料理を作ったり - 。1日1日をきちんと大事に、そしてあるがままに生きる徳一は、何気ない日常の中で、ささやかだけれど大切なことに気づいてゆく。ほっこり笑えてちょっぴり胸が温まる、連作短編集。解説・宮部みゆき (角川文庫)

読み出した途端にもう面白い (に違いない)- というのがわかります。一番の理由は、私が歳を取ったからだと思います。若い人にとってどうかはわかりません。

何においても、してみて、なってみてはじめてわかるということはあると思います。孫ができ、人から 「オジいサン」 と呼ばれるようになるとは、(ついこの間までは) 思いもしませんでした。

それは不思議といえば不思議、同時にちょっと面映ゆくもある体験でした。悪くはない。徳一さんの (年齢と) 心境にはまだ遠く及びませんが、私が感じたことは、おそらく徳一さんがその時感じたことと何ら変わりなかっただろうと。

歳を取って、はじめてわかる “感覚” というものがある。若いときには思いもしない、老いたからこそ気付く事柄がある。きらきら輝く、そんなことはなにも起きないが、それがいい。思うほどには、悪くない。(この小説は) それを教えてくれます。

まだ就学前かもしれない小さな男の子に、
- オジいサン。
と呼びかけられ、公園のベンチに忘れ物をしていることを教えてもらった主人公・益子徳一さん。本書は、この徳一さんが慎ましく生活している様を、淡々と、ただ淡々と綴った小説です。

徳一さんは72歳で、定年退職後の一人暮らし (独居老人という言葉は一発で意味がわかって便利ですが、何となく失礼な気がするのは私だけでしょうか)。全編、徳一さんの視点で語られるお話なので、必然的に大半がモノローグです。読み進むうちに、私たち読者には徳一さんの声が聞こえてきますが、作中で徳一さんが声を出して誰かと会話するシーンはとても少ない。あらゆる意味で物静かな小説なのです。
本書のいちばんユニークな点は、短編連作的にまとめられ、並べられている7つのエピソードが、言葉の真の意味で 「時系列」 であること。それも分刻みなんですよ。「ストーリーの都合による時間のジャンプ」 という技法が、(徳一さんが就寝し、それによって日付けが変わるところだけは別として) 徹底的に排除されている。
ですから私たち読者は、徳一さんが起き抜けに布団の上でぼんやり考え事したり、スーパーに買い物に行ったり、買ってきたソーセージをどうやって食べようかと思案したりするその一挙手一投足を、ずうっと見守ることになります。

そして、解説の宮部みゆきさんはこう続けます。

これが面白い。
単行本初読のとき、最初のうちは、
「心静かに読める老境小説なんだろう」 と思っていました。(中略)

ところが、蓋を開けてみたら大違い。私は何度もふき出してしまいました。その後もしばしば読み返していますので、耐性がついてきて、さすがに大笑いはしなくなりましたが、やっぱり好きなシーンではニヤニヤしてしまいます。

なぜか面白い。
徳一さんだけじゃなく、田中電気の二代目とか、肉屋の権藤さんとか、徳一さんの同級生たち (物故者もいます) とか、笹山眼鏡とか、石川さゆりのカセットテープとか、消し方がわからない留守番電話とか、「地デジ」 とか、若者が出入り口にたむろしているコンビニとか。
すごく面白い。(解説P374 ~ 376)

大事なのは、これが、なぜか、すごく面白いのは、その背景にある日常が、いかばかりか平穏であるということです。慎ましくも、恙なく平凡に過ぎる日々を、徒や疎かに扱ってはなりません。

この本を読んでみてください係数 85/100

文庫版 オジいサン (角川文庫)

◆京極 夏彦
1963年北海道小樽市生まれ。
北海道倶知安高等学校卒業。専修学校桑沢デザイン研究所中退。

作品 「鉄鼠の檻」「魍魎の匣」「嗤う伊右衛門」「百鬼夜行-陰」「覘き小平次」「後巷説百物語」「邪魅の雫」「西巷説百物語」他多数

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