『AX アックス』(伊坂幸太郎)_恐妻家の父に殺し屋は似合わない

公開日: : 最終更新日:2024/01/08 『AX アックス』(伊坂幸太郎), 伊坂幸太郎, 作家別(あ行), 書評(あ行)

『AX アックス』伊坂 幸太郎 角川文庫 2020年2月20日初版

最強の殺し屋は - 恐妻家。
グラスホッパー』 『マリアビートルに連なる殺し屋シリーズ 最新作

「兜」 は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ。この物騒な仕事をしていることは、もちろん家族には秘密だ。克巳が生まれた頃から、兜はこの仕事を辞めたいと考えていたが、それは簡単ではなかった。「辞めるにはお金が必要です」 という仲介役の言葉を受け、仕方なく仕事を続けていた兜はある日、爆発物を仕掛ける計画を立てていた集団の一人を始末せよ、との依頼を受ける。標的を軽々と始末した兜だったが、意外な人物から襲撃を受け・・・・・・・(「AX」)。「AX」 「BEE」 「Crayon」 「EXIT」 「FINE」 の全5篇の連作集。(KADOKAWA)

それがいつ、どんなことだったのかは、何も書かれていません。しかし、兜にはずいぶん辛い過去があるようです。

人並みに生きることが難しく、やむなく殺し屋になった彼は、結婚し、子どもができたことで、長く続けてきた裏稼業から身を引きたいと強く望んでいます。最近の彼は、依頼された仕事に対し、ことごとく二の足を踏むようになっています。

兜の表の顔は会社員だ。偽装ではなく、ちゃんと文房具メーカーの会社員として働いている。家に帰れば克巳という高校生の息子がいる普通の父親でもある。普通と違うのは彼が並外れた恐妻家だという点か。解説から目を通す習慣のある方は、とりあえずここで表題作の冒頭数ページだけでもお目通し願いたい。熟睡している妻を物音で起こすのが怖いから夜食は魚肉ソーセージに限る、と力説している人物。それが我らが主人公の兜なのだ。これでも腕利きの殺し屋である。(解説より)

兜が最強の殺し屋である、ということ。標的に対し、一切容赦がないということ。それに間違いはありません。但し、兜は兜である前に、人として、妻や子を持つ夫として、すこぶる優しく穏やかな人物に他なりません。

いささか妻には気を使い過ぎるところがありますが、それはそれで彼なりに、妻に向けた深い愛がなせることでしょう。こればかりは一人息子の克巳にも理解できません。母に対する父のあまりの卑屈さに呆れはするものの、とはいえ、克巳は父を蔑ろにはしません。

一人息子を間に、父と母 - 夫と妻は、たえず絶妙なバランスのもとにいるのでした。これは殺伐とした 「殺し屋」 の話ではありません。ある 「家族」 の物語です。

参考
殺し屋シリーズとは -
累計260万部を突破する、伊坂幸太郎屈指の人気シリーズ。「蟬」「蜜柑」「檸檬」「槿」「天道虫」「スズメバチ」「兜」 など、個性的な殺し屋たちが登場。日常の裏側で、組織や殺し屋たちが交錯する。『グラスホッパー』 『マリアビートル』 『AX アックス』 の3作がシリーズ作品。各作品は関連するものの続編ではなく、独立した作品となっている。

本作における主要なキャラクター
- 「蟷螂の斧を見くびるな」 業界でも一目置かれる超一流の殺し屋。しかし、極度に妻を恐れる恐妻家。普段は文具メーカーの営業社員。特定の武器は使わず、驚異的な身体能力で相手を圧倒する。他人の感情をうまく理解できない。
克巳 - 「いつも親父は謝ってばかりだからなあ」 兜の一人息子。第一話 「AX」 では、大学受験を控えた高校生。母の機嫌の雲行きが怪しくなると、絶妙なフォローで父を助ける。だが父と母、どちらの味方にもなるので油断大敵。
- 「やれるだけのことはやりなさい、それで駄目ならしょうがないんだから」 兜の妻。共働きで朝早くから働いている。言葉の 「裏メッセージ」 に敏感で、表しかないメッセージに裏を見つける天才、と兜は思っている。
医師 - 「あなたには、この手術をおすすめします」 兜の裏稼業の仲介役。都内のオフィス街に診療所を構える医師。カルテに標的の情報を記し、兜とは医療用語に偽装した符牒で仕事のことを話す。「手術」 は殺害する行為を指し、「悪性」 は標的がプロであること、など。

余計な追記
個人的には、こんな文章が印象に残りました。

普段は文具メーカーに勤める会社員でもあるから、それなりに人付き合いは経験している。営業社員として得意先と接し、同じ部内の飲み会に参加することも少なくない。ただ、それらはあくまでも表面的なもので、「親しい人間同士はこう振る舞うのではないか」 と考えたものを、自ら模倣しているに過ぎなかった。(本文 P162)

兜にはこれといった友人がいません。思い返してみると、私も (少なくとも) 職場ではそうでした。人より明るく振る舞ってはいたものの、それはどこか借り物のような、自分ではないもう一人の自分がしているような。そんな感じがしていました。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆伊坂 幸太郎
1971年千葉県生まれ。
東北大学法学部卒業。

作品 「オーデュポンの祈り」「アヒルと鴨のコインロッカー」「死神の精度」「ゴールデンスランバー」「グラスホッパー」「重力ピエロ」他多数

関連記事

『義弟 (おとうと)』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

『義弟 (おとうと)』永井 するみ 集英社文庫 2019年5月25日第1刷 克己と

記事を読む

『悪と仮面のルール』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『悪と仮面のルール』中村 文則 講談社文庫 2013年10月16日第一刷 父から「悪の欠片」と

記事を読む

『アンダーリポート/ブルー』(佐藤正午)_書評という名の読書感想文

『アンダーリポート/ブルー』佐藤 正午 小学館文庫 2015年9月13日初版 15年前、ある地方

記事を読む

『火のないところに煙は』(芦沢央)_絶対に疑ってはいけない。

『火のないところに煙は』芦沢 央 新潮社 2019年1月25日8刷 「神楽坂を舞台

記事を読む

『4TEEN/フォーティーン』(石田衣良)_書評という名の読書感想文

『4TEEN/フォーティーン』石田 衣良 新潮文庫 2005年12月1日発行 東京湾に浮かぶ月島。

記事を読む

『王国』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『王国』中村 文則 河出文庫 2015年4月20日初版 児童養護施設育ちのユリカ。フルネーム

記事を読む

『暗いところで待ち合わせ』(乙一)_書評という名の読書感想文

『暗いところで待ち合わせ』 乙一 幻冬舎文庫 2002年4月25日初版 視力をなくし、独り静か

記事を読む

『八月は冷たい城』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『八月は冷たい城』恩田 陸 講談社タイガ 2018年10月22日第一刷 夏流城(か

記事を読む

『影裏』(沼田真佑)_書評という名の読書感想文

『影裏』沼田 真佑 文藝春秋 2017年7月30日第一刷 北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の

記事を読む

『花や咲く咲く』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『花や咲く咲く』あさの あつこ 実業之日本社文庫 2016年10月15日初版 昭和18年、初夏。小

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』 堀川 惠子 講談社文庫 

『セルフィの死』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『セルフィの死』本谷 有希子 新潮社 2024年12月20日 発行

『鑑定人 氏家京太郎』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『鑑定人 氏家京太郎』中山 七里 宝島社 2025年2月15日 第1

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行

『死神の精度』(伊坂幸太郎)_書評という名の読書感想文

『死神の精度』伊坂 幸太郎 文春文庫 2025年2月10日 新装版第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑