『我が家の問題』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『我が家の問題』(奥田英朗), 作家別(あ行), 奥田英朗, 書評(わ行)

『我が家の問題』奥田 英朗 集英社文庫 2014年6月30日第一刷

まず、この本に収められている6つの短編の冒頭の文章を読んでみてください。

第一話「甘い生活?」 【新婚なのに、家に帰りたくなくなった】
第二話「ハズバンド」 【どうやら夫は仕事ができないらしい】
第三話「絵里のエイプリル」 【どうやらうちの両親は離婚したがっているらしい】
第四話「夫とUFO」 【夫がUFOを見たと言い出した】
第五話「里帰り」 【結婚して初めてのお盆休み、それぞれの実家に帰省することになった】
第六話「妻とマラソン」 【妻がランニングにはまった】
・・・・・・・・・・
どうです、何やらどこかで耳にしたようなセンテンスじゃありません? いや、もしかすると、あなた自身が過去に呟いたセリフや、あなたに向かって発せられた言葉が混ざっていたりして。

少なくとも、良い話が始まる雰囲気ではありません。というか、話の続きを想像するに、事態はそれぞれに深刻で、ことによっては身につまされて立ち直れないくらいのダメージを喰らってしまうんじゃないか。冗談ではなく、私はそう感じたのです。

【どうやら夫は仕事ができないらしい】
世のサラリーマンの10人に7人、いや8人までは、何はさておきこの書出しに目が留まるはずです。自分の職場での出来の悪さを妻に知られてしまう・・・、このとんでもない事態を宣言するような文章にしばし呆然となり、そして人知れず動揺するのです。

百歩譲って、会社の中で自分が言われる分は善しとしましょう。自分だって、自分のことぐらいは分かっているのです。とりたてて優秀な社員ではないこと、誰もが尊敬するような人間でないのは承知の上です。でも、だからこそ、自分は必死に頑張っているのです。

せめて身内には惨めな姿を晒したくない。部下には理解を示し、上司にもちゃんと意見が言える、会社にはなくてはならない社員だと思われていたい。今はまだ十分に評価されているとは言えないが、必ずや認められる日がやってくる。俺は、やるときにはやる人間だ。

そんなささやかな矜持が一瞬にして崩れ去ったときのダメージに、あなたなら耐えられますか? こんなことなら会社のソフトボール大会に妻のめぐみなど連れてくるんじゃなかったと秀一が後悔したとしても、誰も彼を責めることはできません。

「ぼくがカバーしますよ。いつものことじゃないですか」後輩社員からベンチでこんなことを言われ、守備でエラーをした秀一は言葉を返すこともなく、ただ顔を引きつらせ、苦笑するだけです。監督の上司は、天まで届きそうな声で笑っています。

直接指摘されたわけではないものの、全体傾向として、我が夫は周囲から軽んじられ、ときとしてからかいの対象にされているのでした。信じていた夫の会社での姿と、それはまるで違います。それに気付くと、元々が悲観的な性格のめぐみは激しく動揺します。

夫は仕事ができない。もしそうだとしたら、秀一の毎日は辛いに違いないとめぐみは思います。会社というところは、不出来な社員に対してとことん冷淡です。そのことは、OLだっためぐみも十分理解できます。彼女にとっても、身内の不憫は何より辛いのです。
・・・・・・・・・・
ここから先がちょっと泣かせるのですが、めぐみは決して秀一を罵倒したり責めたりはしません。彼女なりに夫の会社での辛い状況を理解しようと努め、少しでも秀一の辛さと孤独を緩和するために、妻として何をすれば良いかを必死になって考えます。

『我が家の問題』は〈くすりと笑えて、ホロリと泣ける平成の家族小説〉です。決して悲観的な話ではありません。この第二話でも、めぐみのふとした思いつきが、徐々にではありますが、秀一の辛いばかりの毎日にささやかな希望の光を灯すことになります。

秀一の会社での立場が目に見えて良くなる、などということはありません。相変わらず悪戦苦闘するわけですが、それを支えるめぐみの方が劇的に変化します。実に感動的なフレーズですが、彼女は秀一に対して「これ以上、望まないことにした」のです。

不器用で要領が悪く、到底会社での出世が望めない夫であろうとも、夫婦のしあわせまで奪われるわけではないと、めぐみは思います。そして、お腹の中の子供に向かって、
「君が大きくなったときに望むことは、冗談が通じること、諦められること、二つだけです-」と、言い聞かせるのでした。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。

作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「東京物語」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「ララピポ」「オリンピックの身代金」「ナオミとカナコ」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
おかげさまでランキング上位が近づいてきました!嬉しい限りです!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『ひりつく夜の音』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文

『ひりつく夜の音』小野寺 史宜 新潮文庫 2019年10月1日発行 大人の男はなかな

記事を読む

『夜明けの音が聞こえる』(大泉芽衣子)_書評という名の読書感想文

『夜明けの音が聞こえる』大泉 芽衣子 集英社 2002年1月10日第一刷 何気なく書棚を眺め

記事を読む

『夜明けの縁をさ迷う人々』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川 洋子 角川文庫 2010年6月25日初版 私にとっては、ちょっと

記事を読む

『ホテル・アイリス』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ホテル・アイリス』小川 洋子 幻冬舎文庫 1998年8月25日初版 これは小川洋子が書いた、ま

記事を読む

『新装版 人殺し』(明野照葉)_書評という名の読書感想文

『新装版 人殺し』明野 照葉 ハルキ文庫 2021年8月18日新装版第1刷 本郷に

記事を読む

『あひる』(今村夏子)_書評という名の読書感想文

『あひる』今村 夏子 書肆侃侃房 2016年11月21日第一刷 あひるを飼うことになった家族と学校

記事を読む

『よみがえる百舌』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『よみがえる百舌』逢坂 剛 集英社 1996年11月30日初版 『百舌の叫ぶ夜』から続くシリーズ

記事を読む

『白磁の薔薇』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『白磁の薔薇』あさの あつこ 角川文庫 2021年2月25日初版 富裕層の入居者に

記事を読む

『飼い喰い/三匹の豚とわたし』(内澤旬子)_書評という名の読書感想文

『飼い喰い/三匹の豚とわたし』内澤 旬子 角川文庫 2021年2月25日初版 下手な

記事を読む

『四とそれ以上の国』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文

『四とそれ以上の国』いしい しんじ 文春文庫 2012年4月10日第一刷 高松の親戚にひきとられた

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『オーブランの少女』(深緑野分)_書評という名の読書感想文

『オーブランの少女』深緑 野分 創元推理文庫 2019年6月21日

『揺籠のアディポクル』(市川憂人)_書評という名の読書感想文

『揺籠のアディポクル』市川 憂人 講談社文庫 2024年3月15日

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑