『ブラフマンの埋葬』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/08 『ブラフマンの埋葬』(小川洋子), 作家別(あ行), 小川洋子, 書評(は行)

『ブラフマンの埋葬』小川 洋子 講談社文庫 2017年10月16日第8刷

読めば読むほどいとおしくなる。

胴の一・二倍に達する尻尾の動きは自由自在、
僕が言葉を発する時には目をそらさないブラフマン。

静謐な文章から愛が溢れだす。第32回泉鏡花賞受賞作

ある出版社の社長の遺言によって、あらゆる種類の創作活動に励む芸術家に仕事場を提供している 〈創作者の家〉。その家の世話をする僕の元にブラフマンはやってきた - 。サンスクリット語で 「謎」 を意味する名前を与えられた、愛すべき生き物と触れ合い、見守りつづけたひと夏の物語。(講談社文庫)

あまたある中で、真に 「物語」 とは、こんな小説を言うのでしょう。

いつの時代の、どこの国の話なのかはさっぱりわかりません。話の進行上最低限必要な情報以外、余計な説明は一切ありません。なのに読んでしまう、惹き込まれてしまうのは、何なのでしょう?

夢で見たお伽話のような。あるいは、遠い異国であった出来事のような。えらく現実味のない話に感じるかもしれません。

登場する人物らに名前はなく、各々の素性についても、知らされるのは僅かばかりの事柄です。「ブラフマン」 と名付けられた生き物の正体も、結局最後まで明かされることはありません。

おそらくそれらは、(この物語にとって) さほど重要ではない、ということなんだろうと。

小説は全体に明け方に見る夢に似た印象をもたらす。ひょっとしたら南仏へ旅した作者が旅先で見た夢ではないのかとすら思ってみたくなる。しかし、もちろん夢は夢にすぎない。夢は小説ではない。むしろここでは、きわめて淡い色彩の絵の具を使いながら、一個の宇宙を画布の上に描き出す作者の手腕に感嘆すべきだろう。

それは周到に選び出され、磨き上げられた言葉とイメージが縒りあわされ、編み上げられることで果たされる。オリーブ林、サンスクリット語の墓碑銘、クラリネット、ラベンダーの棺、ひまわりの種、競歩、貝殻形の髪留め、緑色の泉、スズカケの並木、古代墓地、ホルン、レース編み、季節風・・・・・・・次々と現れ配置される言葉のイメージが、互いに微妙なバランスを保ちながら、淡く、しかし確固たる世界が構築されて行く様は、下書きもなしにいきなり絵筆を動かす、職人の熟練の手技を想わせるものがある。

この技術は、別に小川洋子の特許ではないし、また小説というものが細部の集積である以上、樹の幹枝と葉花を分けて考えることはそもそもできないともいえる。とはいうものの、小川洋子の個性は、とりわけその技術において独自の魅力を発揮し、際立っている。小川洋子のたしかな技術は、読者に上質の読書の時間を約束するだろう。(奥泉光/解説より)

※たまには意識して “上質な” 思いに浸りたい。そんなときは、この人 (小川洋子) が書いた 「物語」 を読むのが良いでしょう。不思議な、それでいて心洗われるここではないどこかへ、きっとあなたを連れて行ってくれるはずです。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆小川 洋子
1962年岡山県岡山市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「揚羽蝶が壊れる時」「妊娠カレンダー」「博士の愛した数式」「沈黙博物館」「貴婦人Aの蘇生」「ことり」「ホテル・アイリス」「ミーナの行進」他多数

関連記事

『平成くん、さようなら』(古市憲寿)_書評という名の読書感想文 

『平成くん、さようなら』古市 憲寿 文春文庫 2021年5月10日第1刷 安楽死が

記事を読む

『ふたりぐらし』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『ふたりぐらし』桜木 紫乃 新潮文庫 2021年3月1日発行 元映写技師の夫・信好

記事を読む

『Blue/ブルー』(葉真中顕)_書評という名の読書感想文

『Blue/ブルー』葉真中 顕 光文社文庫 2022年2月20日初版1刷 ※本作は書

記事を読む

『バラカ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『バラカ』桐野 夏生 集英社 2016年2月29日第一刷 アラブ首長国連邦最大の都市・ドバイ

記事を読む

『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介)_書評という名の読書感想文

『向日葵の咲かない夏』道尾 秀介 新潮文庫 2019年4月30日59刷 直木賞作家

記事を読む

『地獄への近道』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『地獄への近道』逢坂 剛 集英社文庫 2021年5月25日第1刷 お馴染み御茶ノ水

記事を読む

『僕のなかの壊れていない部分』(白石一文)_僕には母と呼べる人がいたのだろうか。

『僕のなかの壊れていない部分』白石 一文 文春文庫 2019年11月10日第1刷

記事を読む

『金魚姫』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『金魚姫』荻原 浩 角川文庫 2018年6月25日初版 金魚の歴史は、いまを遡ること凡そ千七百年前

記事を読む

『HEAVEN/萩原重化学工業連続殺人事件』(浦賀和宏)_書評という名の読書感想文

『HEAVEN/萩原重化学工業連続殺人事件』浦賀 和宏  幻冬舎文庫  2018年4月10日初版

記事を読む

『彼岸花が咲く島』(李琴峰)_書評という名の読書感想文

『彼岸花が咲く島』李 琴峰 文春文庫 2024年7月10日 第1刷 第165回芥川賞受賞作

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』誉田 哲也 中公文庫 2024年10月

『Phantom/ファントム』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文 

『Phantom/ファントム』羽田 圭介 文春文庫 2024年9月1

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(谷川俊太郎)_書評という名の読書感想文 (再録)

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』谷川 俊太郎 青土社 1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑