『迷宮』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『迷宮』中村 文則 新潮文庫 2015年4月1日発行


迷宮 (新潮文庫)

 

すべての始まりは、日置事件です。

「折鶴事件」とマスコミが名付けたこの迷宮事件は、1988年に東京都練馬区の民家で発生します。日置剛史(45)、妻の由利(39)、そして長男(15)の3名が殺害され、長女(12)だけが生き残ります。

現場には遺体を飾るように折鶴が無数に散乱し、特に刺殺されて衣服を身に付けていない状態で発見された妻の由利の遺体は、その折鶴で埋まっています。その数、312個。指紋の付着はありません。
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この小説は、弁護士事務所に勤める新見が「日置事件」の真相に迫る、という形で進行します。しかし、ご承知の通り中村文則の小説は単なる謎解きではありません。

「日置事件」が発生した時、12歳の少年だった新見は事件の犯人像を思い浮かべては、もしやすると自分の代わりに「R」がやったのではないかと空想します。新見にとって事件の光景は自分の願望そのもので、家族が死んで、自分も死ぬことこそが彼の望みでした。

新見は自分の中にもう一人の自分「R」という人格を持つ、いわゆる分裂症ぎみの人間です。誰とも口をきこうとせず、先生に呼ばれても反応しない。新しいお母さんとも上手くやろうとしない『そうやって生きていくと、大人になった時大変なことになる』と言われるような少年でした。

中村文則にとって永遠のテーマである「善と悪」、特に「悪」の本質とは何かという命題がこの小説でも強く問われています。自分が「普通ではない」と知りながら、一方で矯正されることを拒む自分がいる。取り返しのつかない過ちを犯しそうな予感に揺れながらも、湧き上がる衝動に逆らえないでいる自分。そんな矛盾と混沌が描かれます。
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物語は、新見が「日置事件」で一人生き残った長女・紗奈江と知り合うところから動き出します。新見と紗奈江は、中学の同級生です。たまたまバーで飲んだ流れで新見は紗奈江の部屋へ転がり込むことになります。

【1】紗奈江の交際相手の男を探す探偵から、新見が聞いたこと
男が会社ぐるみの不正経理に関わっていて、現在失踪中であること。紗奈江が「日置事件」の遺児であること。新見と紗奈江、2人の出会いがただの偶然でもないこと。殺された妻の由利は、男を駄目にするような、相当な美人だったこと。

犯人は幼い頃から根本的に歪んでいて『大人になってから大変なことをする』ような奴だという感想。紗奈江のパジャマに兄の精液が付いていたこと。相当大柄で、左利きの人間に何度も殴られた跡があること。紗奈江を殺すかどうか、かなり迷った形跡があること。

【2】事件を知る弁護士の佐藤から、新見が聞いたこと
新見が部屋へ入った瞬間、佐藤には新見が「日置事件」の犯人に見えたこと。密室という隠れた空間で、自己を100%解放して逃れ、また日常生活に戻った人間がいるということと、それが鮮やかだということ。由利の自転車を夫の剛史が必死になって分解しているのを近所の人が見ていること。風呂場に何かを燃やした跡があったこと。

「君は、あの事件の奥に自分を見ている。自分の中の得体の知れない部分が、あの事件に反応する。真相に近づけば、その正体が分かるというように。いつか自分を駄目にするするはずの、自分の核心」・・・最後に佐藤はこう言うのでした。

【3】紗奈江の交際相手の男から、新見が聞いたこと
男と新見の雰囲気が似ているということ。紗奈江が殺してほしいと願い、その約束を果たそうと思っていること。彼女は地獄にいて、なぜか「我々みたいな男を」必要としたこと。高校の同級生であること。

【4】フリーライターの神埼カオルから、新見が聞いたこと
長男は精神科へ通い、剛史も通院を勧められていたこと。犯人は由利の愛人ではないかと思うが、家には誰も入った形跡がないこと。剛史が異常なまでに由利を束縛していたこと。
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これ等の聞き込みから分かってくるのは、犯人が誰かということより、むしろ被害者となった日置家の内情です。警察が興味を持って調べたこととそうでないこと、勝手な想像や思い込みも混ざるなかで確かに言えるのは、思う以上に日置家が歪んだ家庭であったということです。

その元凶が、由利の目を見張る美貌であり、夫である剛史の強い嫉妬と異常なまでの束縛です。それらが2人の子どもに与えた影響は計り知れません。長男・太一が通院していた病院の院長・海江田と会うことで、新見はその知られざる暗闇を目の当たりにすることになります。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


迷宮 (新潮文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「悪意の手記」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」「世界の果て」「掏摸〈スリ〉」「悪と仮面のルール」「去年の冬、きみと別れ」他多数

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