『悪意の手記』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『悪意の手記』中村 文則 新潮文庫 2013年2月1日発行


悪意の手記 (新潮文庫)

 

死に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。生きる意味を見出せず全ての生を憎悪し、その悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する-。
人はなぜ人を殺してはいけないのか。罪を犯した人間に再生は許されるか。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家が究極のテーマに向き合った問題作。(文庫本の解説より)

もう、これは、完全に哲学の領域です。私のように不用意に読み出してしまうと、えらいことになる。ドストエフスキーに、カントやニーチェときて、それでも素面で読もうとする人は、それだけでもう偉い人です。

少なくとも、時間潰しに通勤電車の中で読む本ではありません。「人は、なぜ人を殺してはいけないのか」・・・、そもそも、普通の人はそんなこと考えもしないでしょう。たぶん、死ぬまで一度も考えない人の方が圧倒的に多いはずです。

それをこの人は、目一杯考える。しかも、ずうっ~とですよ。人の生き死に、人の善悪について、徹底的に考えているのです。それはとても辛くてしんどい作業だと思います。想像するだけで、具合が悪くなりそうです。

当然書いてある内容は難解なわけですが、それを半ば承知しつつ、それでも中村文則の本を手に取ってしまうのはなぜなのか。自分自身のことなのに、今もって私には〈私の動機〉がよく解らないでいます。
・・・・・・・・・・
心ならずも(で良いと思うのですが)、親友のKを殺してしまった〈私〉が、殺害の経緯とその後に辿る精神の彷徨を綴ったのが『悪意の手記』という小説です。『 手記 1 』『 手記 2 』『 手記 3 』という構成で、15歳から25歳までの〈私〉が語られています。

人を殺してしまった後、人は平静でいられるのか。平静でいるために、自分の心をコントロールすることは可能なのか。何を成せば、贖罪となり得るのか。〈私〉はその答えを求めて、敢えて良心を棄て、全てを憎悪し、人間の屑になろうと決心します。

『 手記 1 』では、その推移の発端が語られています。
語り手の〈私〉は、限りなく不治に近い病に冒されています。未だ病の全容も解明されていない、治療が効かない場合の致死率が80%の絶望的な状況の中で、死の恐怖から逃れるために〈私〉はあらゆる手立てを考えます。

死ぬという現象を受け入れようと努力します。生それ自体を否定して、生きることを無価値とし、むしろ死ぬことを喜んで肯定しようとします。そうすることで死の恐怖から逃れようとするのですが、それは極めて困難で、常に〈私〉を激しく打ちのめし、身悶えさせる結果となります。

〈私〉は、次第に周囲を憎悪するようになります。なぜ自分だけが死に、周囲の人間には生が約束されていると思うだけで、もがくように胸が苦しくなります。病状が悪化し、全身に激痛が走る中で、全てのものを憎悪し、最後には生自体をも憎悪し始めるのです。

死を覚悟して、生に関わるあらゆる事象を否定し軽蔑した後、〈私〉は奇跡的に回復します。退院が近づいたある日、〈私〉は思います。「私は、喜ぶべきなのだろうか? また現実の世界に戻ることにどんな理由があるのか。いずれ死が訪れる生活に、何の意味があるのだろう?」かと。

退院後の〈私〉は、以前とは全く異なった人間になっています。過去の生活が魅力のないものに感じられ、周囲の全てが愚かに見えて、常に死ぬことを意識するようになります。親友のKと会ったのも、死ぬためにロープを鞄に入れてS公園へ向かう途中のことでした。

Kと話しながら、横目で首をくくるための大木を見ています。あと数分のうちに死ぬのだと思い、大木から視線を逸らすと、池を囲う柵から乗り出すように下を覗き込んでいるKがいます。その姿勢は見るからに危な気です。泳げないくせに落ちたらどうするのだろう、と〈私〉は思っています。

その瞬間、意識にひとつの考えが浮かびます。こいつを、落としてやろう。死ぬ前に、何かをする。これはどうでもいい、冗談のようなものだと自分に言い聞かせています。

もがき苦しむKを一旦は助けようとしますが、なぜか助けないまま体の動きを止めた自分に、その後の〈私〉は苦しめ続けられることになります。Kが死に逝く映像に耐えることで、この世界を克服したことになる。自分が死んでいくために必要なことだと、その時の〈私〉は信じ込んでいます。
・・・・・・・・・・
人を殺した〈私〉のあるべき姿とは・・・生を意味あるものとは思わないこと。悪人になり、人間の屑になること。そして、早々に死ぬこと。『 手記 2 』ではそれらのことが試され、『 手記 3 』では予期しなかった再生への兆しが発現します。

果たして、〈私〉が辿り着いた境地とは如何なるもので、私たちはそれを受け入れられるのか、否か。実際に人を殺さない限り、答えなど分からないのかも知れません。殺人の経験がない人間が殺人者の胸中を語る、・・・真に中村文則という作家はツワモノです。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


悪意の手記 (新潮文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「迷宮」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」「掏摸〈スリ〉」「悪と仮面のルール」「最後の命」「去年の冬、きみと別れ」他多数

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