『晩夏 少年短篇集』(井上靖)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『晩夏 少年短篇集』(井上靖), 井上靖, 作家別(あ行), 書評(は行)

『晩夏 少年短篇集』井上 靖 中公文庫 2020年12月25日初版

たわいない遊びや美しい少女への憧れ、そして覚えず垣間見た大人の世界・・・・・・。誰もが通り過ぎるが、二度と帰れない “あの日々” の揺らぐ心を鋭利な感性でとらえた、叙情あふれる十五篇。表題作ほか 「少年」 「帽子」 「赤い実」 など教科書名短篇を含む、文庫オリジナル・アンソロジー。〈巻末エッセイ〉 辻邦生・椎名誠 (中公文庫)

没後30年、過ぎゆく少年の日 詩情と郷愁のゆくえ - とあります。中公文庫2020年12月の新刊案内にありました。

井上靖という作家については、ほとんど何も知りません。読みたいと思うことがありませんでした。初めて読む気になったのは、教科書に載ったという作品を読んでみたいと思ったからです。何か、その頃のことを思い出しはしないかと考えました。

赤い実

十四日は “どんどん焼き” の日であった。どんどん焼きは昔から子供たちの受け持つ正月の仕事になっていたので、この朝は洪作と幸夫が下級生たちを指揮した。子供たちは手分けして旧道に沿っている家々を回り、そこのお飾りを集めた。

お飾りは、たんぼの一隅に集められ、うず高く積み上げられた。幸夫がそれに火をつけた。火勢が強くなると、
「みんな書き初めを投げこめ。」
幸夫はどなった。

この日は、男の子供も女の子供もいっしょだった。一年のうちで、男女の児童たちがいっしょになるのは、この一月十四日しかなかった。書き初めは、それを書いた子供たちが、ほかの者に自分の筆跡を見られるのをいやがって、たいてい丸くまるめられたまま火の中に投じられた。

「それ、開けてはいや! 」
という細い声があがった。洪作はそのほうは見ないでも、そうさけんだ者がだれであるかわかっていた。あき子は、三年生の為雄が今しも棒で広げようとしている一枚の書き初めを、自分の持っている棒でうばい返そうとしていた。あき子の書き初めは一部は焼けていたが、字の書かれた部分は火からまぬかれていた。

- 少年老い易く学成り難し
- 一寸の光陰軽んずべからず

少年老い易く学成り難し。この初めの一行の文章だけが、洪作には意味がわかった。洪作は身内の引き締まるような緊張を感じた。ああ、少年老い易く学成り難し。洪作はいきなり立ち上がって、土蔵へ帰り、二階へ上がって勉強をしたいような気持にさえなった。

洪作は、自分の書き初めを火の中へ突っ込んでいる少女を、尊敬の思いで眺めた。今まであき子にひかれたことはあったが、しかし、今のひかれ方は全く違っていた。自分にこのような感動を与える文章を書き初めに書いた少女への賛嘆であり、賛美であった。(続く)

題名になっている 「赤い実」 に纏わるエピソードは、”どんどん焼き” の場面を経て、物語の後半で語られることになります。

洪作は、明らかにあき子を意識しています。男同士の遊びの場面に彼女が現れて、今度は、あき子を号泣させてしまうことになります。戸惑うばかりの洪作は、その時、幸夫がとった男らしい毅然とした態度に、自分という人間がいやだと思う自己倦厭の感情に、初めて気付くことになります。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆井上 靖
1907年 (明治40年) 北海道旭川町 (現:旭川市) 生まれ。1991年死去。
京都帝国大学文学部哲学科卒業。

作品 「闘牛」「敦煌」「桜蘭」「風濤」「おろしや国粋夢譚」「本覚坊遺文」「孔子」「あすなろ物語」「しろばんば」「風林火山」「氷壁」他多数

関連記事

『僕が殺した人と僕を殺した人』(東山彰良)_書評という名の読書感想文

『僕が殺した人と僕を殺した人』東山 彰良 文藝春秋 2017年5月10日第一刷 第69回 読売文

記事を読む

『午後二時の証言者たち』(天野節子)_書評という名の読書感想文

『午後二時の証言者たち』天野 節子 幻冬舎文庫 2017年10月10日初版 八歳の女児が乗用車に撥

記事を読む

『そこへ行くな』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『そこへ行くな』井上 荒野 集英社文庫 2014年9月16日第2刷 長年一緒に暮ら

記事を読む

『ぼっけえ、きょうてえ』(岩井志麻子)_書評という名の読書感想文

『ぼっけえ、きょうてえ』岩井 志麻子 角川書店 1999年10月30日初版 連日、うだるような暑

記事を読む

『ハラサキ』(野城亮)_書評という名の読書感想文

『ハラサキ』野城 亮 角川ホラー文庫 2017年10月25日初版 第24回日本ホラー小説大賞読者

記事を読む

『君が手にするはずだった黄金について』(小川哲)_書評という名の読書感想文

『君が手にするはずだった黄金について』小川 哲 新潮社 2023年10月20日 発行 いま最

記事を読む

『半島へ』(稲葉真弓)_書評という名の読書感想文

『半島へ』稲葉 真弓 講談社文芸文庫 2024年9月10日 第1刷発行 親友の自死、元不倫相

記事を読む

『幻の翼』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『幻の翼』逢坂 剛 集英社 1988年5月25日第一刷 『百舌の叫ぶ夜』に続くシリーズの第二話。

記事を読む

『生きる』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『生きる』乙川 優三郎 文春文庫 2005年1月10日第一刷 亡き藩主への忠誠を示す「追腹」を禁じ

記事を読む

『緑の花と赤い芝生』(伊藤朱里)_書評という名の読書感想文

『緑の花と赤い芝生』伊藤 朱里 小学館文庫 2023年7月11日初版第1刷発行 「

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『天使のにもつ』(いとうみく)_書評という名の読書感想文

『天使のにもつ』いとう みく 双葉文庫 2025年3月15日 第1刷

『救われてんじゃねえよ』(上村裕香)_書評という名の読書感想文

『救われてんじゃねえよ』上村 裕香 新潮社 2025年4月15日 発

『我らが少女A (上下)』 (高村薫)_書評という名の読書感想文

『我らが少女A (上下)』高村 薫 毎日文庫 2025年5月10日

『黒猫亭事件』(横溝正史)_書評という名の読書感想文

『黒猫亭事件』横溝 正史 角川文庫 2024年11月15日 3版発行

『一心同体だった』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『一心同体だった』山内 マリコ 集英社文庫 2025年4月25日 第

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑