『やわらかな足で人魚は』(香月夕花)_書評という名の読書感想文

『やわらかな足で人魚は』香月 夕花 文春文庫 2021年3月10日第1刷

やわらかな足で人魚は (文春文庫 か 82-1)

一体どうしたら自分は人間になれるのだろう。当たり前に愛される人間の子供に。電話詐欺の嘘によって結びつく偽物の母と息子、前科のある中学教師と孤独な少女。それぞれに悲しみを抱えた主人公たちの、ほろ苦く優しい五つの物語。満場一致でオール讀物新人賞を受賞したデビュー作水に立つ人を含む傑作短篇集。(文春文庫)

逃げてゆく緑の男

「逃げてゆく緑の男」 は、電話詐欺の真似事をする若者が主人公。女友達にそそのかされるようにして、ある時、思い立って六十二歳の女性に、息子と称して電話を掛けてみる。意外なことに女性は、電話に応じ、子供を叱る母親のように冷ややかに答える。

「破産でも破滅でも勝手にすればいいわ。言っておくけど、こっちには一切持ち込まないでよ。あたしは知らないからね。お前がどうなろと」
冷たく拒絶された若者は、そのあと 「母親」 のことが気になり、何度も偽電話をするようになる。そのつど 「母親」 に 「毎日毎日、ご苦労さまだこと」 「なんど話しても無駄よ」 と軽くあしらわれる。

無論、この 「母親」 は電話を掛けてくる若者が 「偽息子」 だとは知っている。若者はそのことを知っている。その二人のあいだで、電話での会話が続いてゆく。

二人を会話へと結びつけているものは何なのだろう。お互いに寂しいから。それぞれ心に屈折を抱えていて誰かに話しを聞いてもらいたいから。偽物の母親と偽物の息子による会話が芝居のようで面白かったから。

(中略)

二人は人にはいえない悲しみを抱えていた。
その悲しみを、普段、他人に素直には語れない。「偽電話」 という嘘の会話だから、悲しみを伝えられるのではないか。「嘘でしか言えない真実」 というものがある。大都会で生きている十九歳の若者と六十二歳の女性。見知らぬ二人が嘘によって結びついている。そしてもしかしたら二人の 「悲しみ」 も 「偽」 なのかもしれない。そこに現代の孤独の深さがある。この短篇の怖さがある。(川本三郎/解説より)

水風船の壊れる朝に
彼女の海に沈む

水に立つ人

「不安な時には、何かをだきしめてみるといいですよ (例えば大きなまくらやクッション)。本当にこまったら先生にも相談しなさいね。じりじりした気持ち、よく分かります。先生もあなたのような子どもでした。そうしてあなたぐらいの年のころには、働き者のお母さんはえらいと思っていましたよ。だから、何かもんくを言いたくてもなかなか言えなくてこまってしまうよね。先生は、言えなかったもんくがたまりにたまって、ある日とうとうばく発しました。くわしいことは言えないけれど、先生は家族とはなればなれになって、一生会わないことに決めました。なつかしくないかって? ふしぎなもので、会えなくなってホッとしています。一人きりになった今の方が、昔よりずっとさびしくない。ただ、むねの辺りに、マンホールのふたがはまって取れなくなってしまったような、変な感じがします。心の中に、何も入ってこないし、何も出てこない。きずつけられることがなくなった代わりに、だれのことも、好きだと思えなくなりました。だから、あなたたちのことも本当は好きじゃないの。でもきらいでもない。本当はどうでもいいと思ってるの。先生は悪い先生だね、ごめんね。でも心の中の水が全部なくなってしまって、どうすることも出来ないんだよ」(本文より)

やわらかな足で人魚は

以上、五篇。

この本を読んでみてください係数  85/100 

やわらかな足で人魚は (文春文庫 か 82-1)

◆香月 夕花
1973年大阪府生まれ。
京都大学工学部卒業。

作品 2013年 「水に立つ人」 で第93回オール讀物新人賞を受賞。他に 「永遠の詩」「昨日壊れはじめた世界で」「見えない星に耳を澄ませて」 がある。

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