『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(大島真寿美)_書評という名の読書感想文

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』大島 真寿美 文春文庫 2021年8月10日第1刷

江戸時代の大坂・道頓堀。穂積成章は父から近松門左衛門の硯をもらい、浄瑠璃作家・近松半二として歩みだす。だが弟弟子には先を越され、人形遣いからは何度も書き直させられ、それでも書かずにはいられない。物語が生まれる様を圧倒的熱量と義太夫のごとき流麗な語りで描く、直木賞&高校生直木賞 史上初W受賞作。 解説・豊竹呂太夫 (文春文庫)

私は、人形浄瑠璃 (今は文楽) のことを何も知りません。見たいと思ったこともありません。そんな私が今、思っています。心から、読んでよかったと。感動したのは当然ですが、何か大きな、得をしたような気分がします。

六代 豊竹呂太夫
のっけから仰天したんは、大島真寿美さんは名古屋の人なのに、なんでこんなディープな大阪弁を全編にわたって書き通せたんやろか、ということでした。
そのうえ、近松ゆうたら門左衛門と来るところを近松半二。近松半二ゆう人は、そら、文楽 (=人形浄瑠璃) に関わる人間に知らんもんはおりませんが、かの 「日本のシェークスピア」 こと近松門左衛門と比べたら圧倒的に半二は無名やないですか。

僕らが知る情報量ですら、ほんまに少ない。作品や解説書の中、それも手垢のにじんだ古本の読みにくい字体でしか拝めん人です。その人が三百年前の大坂・道頓堀に急に出てきて、『あっちかてこんくらい』、『際々んとこ』、『ほなさいなら』、『んな阿呆な』、『このごっつい道頓堀いう渦ん中から』 とか仲間らと言い合いながらふつうに喋っている。

当時の道頓堀ゆうたら、ブロードウェーみたいな芝居小屋の立ち並ぶ街ですけど、その景色がパノラマみたいに目の前に広がってきました。有名な歌舞伎作者の並木正三や、人形遣いの吉田文三郎も出てくる。

こんな会話をようでっち上げるなあ、と思いながらも、ほんまオモロくて、すごい説得力があって、だんだん僕も半二と友達みたいな気持ちにさせられていきました。そんな風景をいきなり見せられたことに、まずびっくりやったんです。(解説より)

[事のはじまり] 半二はある理由でもって奈良に滞在しています。

翌朝、半二は三輪を発ち、吉野の金峯山寺へと向かいます。
空っぽになっていたはずの頭がまた忙しく回り始めます。
ああ、痒い。頭が痒くてたまらん。
ぼりぼりと盛大にかきながら、ふと横を見れば、ゆったりと流れる吉野川を挟んで、妹山と背山が切ない想い人のように向き合っています。

しばし足を止めて半二はそれを眺める。
ええなあ。
ええやないか、この形。この絵柄。
とうに散った桜が半二の頭の中に突如、咲き誇った。そうや、そうや、そのとおりや、吉野とくれば桜やないか。義経千本桜ときたもんや。

この時、半二には、妹山と背山に泣く泣く別れた悲しい恋の話が、今にも書けそうな気がしてきます。これが後の大ヒット作となる 「妹背山婦女庭訓」 のとっかかり、事のはじめとなります。この時、半二のなかに、お三輪という娘の存在は影も形もありません。ある日ある瞬間、それは突然現れたのでした。

この小説のクライマックスは、なんちゅうても 「妹背山」 が作りあげられていく創作の現場でしょうな。半二は、獏 (松田才二) に向かって 『お三輪はな、わしが拵えたんやない。お三輪はな、あらわれたんや』 と突拍子もないことを言います。

最初に読んだとき、僕は 「三千世界」 で展開されるモノローグの本当の意味が分ってなかったんやと思います。今回再読して、お三輪という存在は、『渦 』 という小説や半二の浄瑠璃も超え、時空をも越えた 〈魂〉 のように思えてきました。
実際、お三輪を超えた存在がお三輪を語らせているんや、と。(解説の続き)

このお三輪が、「妹背山婦女庭訓」 における最大の人気者となります。開幕後、お三輪見たさに、連日多くの見物客が押し寄せます。

一介の町娘であるお三輪は、あろうことか、(甚だしく身分の違う) 公卿の藤原淡海 (= 藤原不比等。藤原鎌足の次男) に恋をします。そして、お三輪の恋敵となるのが (こちらもあろうことか) 蘇我入鹿の妹・橘姫というスチュエーション。イケメン男子を間に挟んで、二人は激しく対立します。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆大島 真寿美
1962年愛知県名古屋市生まれ。
南山短期大学人間関係科卒業。

作品 「宙の家」「ピエタ」「チョコリエッタ」「ビターシュガー」「ふじこさん」「あなたの本当の人生は」「ツタよ、ツタ」「ほどけるとける」他多数

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