『きよしこ』(重松清)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/07 『きよしこ』(重松清), 作家別(さ行), 書評(か行), 重松清

『きよしこ』重松 清 新潮文庫 2021年3月5日39刷

少年は、ひとりぼっちだった。名前はきよし。どこにでもいる少年。転校生。言いたいことがいつも言えずに、くやしかった。思ったことをなんでも話せる友だちが欲しかった。そんな友だちは夢の中の世界にしかいないことを知っていたけれど、ある年の聖夜に出会ったふしぎな 「きよしこ」 は少年に言った。伝わるよ、きっと - 。大切なことを言えなかったすべての人に捧げたい、珠玉の少年小説。(新潮文庫)

ぼくは君の顔を知らない。声を聞いたこともない。君は、二年ほど前にぼくが受け取った手紙の中にいた。うつむいて、しょんぼりとして、ひとりぼっちでたたずんでいた。

手紙は仕事の付き合いのある出版社気付で我が家に届いた。差出人は君のお母さんだった。
青いインクの万年筆で書いた、あまり上手ではないけれど温もりのある文字で、お母さんは君のことを紹介していた。

うまくしゃべれない子ども - なんだな、君は。
言葉がつっかえてしまう。無理をしてしゃべろうとすると、言葉の頭の音が止まらなくなる。吃音。どもる、というやつだ。

あなたに励まされた。お母さんは手紙に書いていた。ひと月前にぼくが出演したテレビのドキュメンタリー番組を観たらしい。街を歩きながらカメラに向かって話しているのを聞いて、すぐに、このひとも言葉がつっかえてしまうんだ、とわかったのだという。

君は小学一年生なんだな。男の子だ。言葉がつっかえるのを、いつも友だちにからかわれている。いつそれがいじめに変わるかと思うと、お母さんは怖くてしかたないらしい。うまくしゃべれないせいで引っ込み思案になっている君を見るたびに、胸が締めつけられるという。

ふるさとに暮らす母親の、まだ若かった頃の顔を思い浮かべながら、手紙を読んだ。団体行動が苦手で保育園の登園前にしょっちゅう泣いてしまう下の娘のことも、ふと思った。そして、子どもの頃に巡り会った何人かのひとや、いくつかの出来事を、ひさしぶりに思いだした。

もしよろしければ - と、君のお母さんは手紙の最後に書いていた。息子に宛てて返事を書いてやってもらえませんか。吃音なんかに負けるな、と励ましやってくれれば、息子の心の支えになると思うのです。

何日か迷ったが、けっきょく返事は出さなかった。

君に宛てる手紙のかわりに、短いお話を何編か書いた。

君と同じ小学一年生の頃、ぼくは友だちが訪ねてくるのを待っていた。他のひとには姿を見ることのできない、ぼくだけの友だちだ。名前を、きよしこという。

君は自分の名前をつっかえずに言えるかい?
ぼくは、子どもの頃も、おとなになったいまも、それがいちばん苦手だ。きよし がうまく言えない。だから自己紹介が嫌いで、新しい友だちと知り合うのがおっかなかった。そんなぼくが父親の仕事の都合で転校つづきの少年時代を過ごすなんて、神さまはずいぶん意地悪な筋書きを考えたものだ。

自分の名前をうまく言えないから、ぼくは自分とそっくりの名前の友だちが遊びに来るのを待ちつづけていた。

君にも覚えがあるだろう? 心の中で想像したり、ひとりごとをつぶやいたりするときには、言葉はぜんぜんつっかえない。ぼくがお話を書くようになって、それを仕事にする毎日をけっこう楽しんで過ごしているのは、そんな理由があるからなのかもしれない。

お話を始める。
ぼくとよく似た少年を、主人公にした。
少年は、きっと、君にも似ているはずだ。
(前文より/一部割愛)

もう十分に歳を取った大人なあなたは、昔、この物語の主人公の少年に似た同級生がいたことを覚えているでしょうか? 彼が、彼女がする吃音を、何の気なしに嘲ったりはしなかったでしょうか。

他にもあった、本人にはどうしようもない、たとえば暮らしの状況や境遇について、蔑んだりはしなかったでしょうか。今更ながらではありますが、思い出してみてください。そしてそれを、忘れないでください。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆重松 清
1963年岡山県津山市生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

作品 「ビタミンF」「十字架」「流星ワゴン」「疾走」「カシオペアの丘で」「ナイフ」「星のかけら」「また次の春へ」「ゼツメツ少年」「くちぶえ番長」他多数

関連記事

『このあたりの人たち』(川上弘美)_〈このあたり〉 へようこそ。

『このあたりの人たち』川上 弘美 文春文庫 2019年11月10日第1刷 この本に

記事を読む

『月魚』(三浦しをん)_書評という名の読書感想文

『月魚』三浦 しをん 角川文庫 2004年5月25日初版 古書店 『無窮堂』 の若き当主、真志喜と

記事を読む

『ゴールドラッシュ』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『ゴールドラッシュ』柳 美里 新潮文庫 2019年8月30日8刷 風俗店が並び立つ

記事を読む

『罪の声』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『罪の声』塩田 武士 講談社 2016年8月1日第一刷 多くの謎を残したまま未解決となった「グリコ

記事を読む

『この年齢(とし)だった! 』(酒井順子)_書評という名の読書感想文

『この年齢(とし)だった! 』酒井 順子 集英社文庫 2015年8月25日第一刷 中の一編、夭折

記事を読む

『愚行録』(貫井徳郎)_書評という名の読書感想文

『愚行録』貫井 徳郎 創元推理文庫 2023年9月8日 21版   貫井徳郎デビュー三十周年

記事を読む

『コンビニ人間』(村田沙耶香)_書評という名の読書感想文

『コンビニ人間』村田 沙耶香 文藝春秋 2016年7月30日第一刷 36歳未婚女性、古倉恵子。大学

記事を読む

『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一)_書評という名の読書感想文

『彼女の人生は間違いじゃない』廣木 隆一 河出文庫 2017年7月20日初版 まだ薄暗い、早朝の

記事を読む

『ぼぎわんが、来る』(澤村伊智)_書評という名の読書感想文

『ぼぎわんが、来る』澤村 伊智 角川ホラー文庫 2018年2月25日初版 幸せな新婚生活をおくって

記事を読む

『孤独論/逃げよ、生きよ』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『孤独論/逃げよ、生きよ』田中 慎弥 徳間書店 2017年2月28日初版 作家デビューまで貫き通し

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行

『存在のすべてを』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『存在のすべてを』塩田 武士 朝日新聞出版 2024年2月15日第5

『我が産声を聞きに』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『我が産声を聞きに』白石 一文 講談社文庫 2024年2月15日 第

『朱色の化身』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『朱色の化身』塩田 武士 講談社文庫 2024年2月15日第1刷発行

『あなたが殺したのは誰』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『あなたが殺したのは誰』まさき としか 小学館文庫 2024年2月1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑