『砂に埋もれる犬』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/06 『砂に埋もれる犬』(桐野夏生), 作家別(か行), 書評(さ行), 桐野夏生

『砂に埋もれる犬』桐野 夏生 朝日新聞出版 2021年10月30日第1刷

ジャンルを超えて文学界をリードする著者の新たな傑作
予定調和を打ち砕く圧倒的リアリズム
貧困と虐待の連鎖 - 母親という牢獄から脱け出した少年は、女たちへの憎悪を加速させた。

小学校にも通わせてもらえず、日々の食事もままならない生活を送る優真。母親の亜紀は刹那的な欲望しか満たそうとせず、同棲相手の男に媚びてばかりだ。そんな最悪な環境のなか、優真が虐待を受けているのではないかと手を差し伸べるコンビニ店主が現れる。ネグレクトによって家族からの愛を受けぬまま思春期を迎えた少年の魂は、どこへ向かうのか。その乾いた心の在りようを物語に昇華させた傑作長編小説。(朝日新聞出版)

二日も三日も、母は平気で家を留守にする。僅かばかりの食糧だけ置いて、母は男とどこへ行ったのか。訊くと叱られる。男に殴られる。母はそれを平気でやり過ごす - 。

子を子とも思わず育てられた少年は、それでも母しかいませんでした。母に代わる “誰か” が必要でした。

十二歳の少年・小森優真は、いったいどうなることを望んでいたのでしょう。今いる自分の状況がどう変化すれば事足りたのか。彼も、彼に関わる周りの人間も、その手立てがわかりません。

(これは、ある事をきっかけに、優真の里親になろうと決心したコンビニ店主・目加田からみた優真の様子)

思うに、優真は何かが欠落している。その何かが、ひとことで言えないくらい巨大すぎて、自分の手には余るように思うのだ。

そして、優真の心を蝕んで、巨大な虚 (うろ) を作ったものは何なのか。そのことについて考え始めると、空怖ろしくなるのだった。これまで目加田が生きて、信じてきたものとは大きく違うような気がする。(P366)

(以下は、児童相談所の憎からず思う女性担当者・淵上から連想し、心を寄せる同級生の花梨がする冷酷な横顔を思い出した時の優真本人の気持ち。淵上も目加田の妻・洋子も、誰も優真のそんな気持ちに気付きません)

突然、飢餓にも似た鋭い痛みを心に感じて、優真は思わず小さな声を上げた。だが、自分が何に飢えて、そんな声を上げたのか、わからなかった。目加田の家に引き取られて、食べ物には不自由していない。気儘に好き嫌いが言えるほどだ。

しかし、心の飢えだけは、どうにもおさまらないのだった。
いったい自分は何を欲して、何を得られなくて、苦しんでいるのだろうか。食べるものがなくて辛かった時期とはまた違う苦しみに、優真は内心、身悶えした。
(P419)

優真に対し、周りの誰もが願うのは - あたり前な日常を手に入れて、どうか生まれ変われますようにと。ネグレクトの果てに今は所在のわからぬ母と、いつかまた一緒に暮らせますようにと・・・・・・・。

ところが、その頃優真は、彼に対する周囲の気遣いを疎ましく感じるようになっています。思い通りに生きられず、優真はすでに自分にもあるはずの (将来に向けた) 小さな可能性すら諦めかけています。母はもはや母ではなくて、忌み嫌うだけの存在になっています。

その時、優真の心の中を覗いてみれば、それよりもっと切実な、自分自身でも制御できない絶望的な “欲望” と闘っています。その思いが、激しく彼を追い詰めています。

※正視に耐えない描写の連続は、しかし、おそらくはこれが現実なんだろうと。話は何も解決しないまま、誰ひとりも救われないままに幕を閉じようとしています。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆桐野 夏生
1951年石川県金沢市生まれ。
成蹊大学法学部卒業。

作品 「OUT」「グロテスク」「錆びる心」「東京島」「夜また夜の深い夜」「奴隷小説」「バラカ」「猿の見る夢」「夜の谷を行く」「路上のX」「デンジャラス」「日没」他多数

関連記事

『線の波紋』(長岡弘樹)_書評という名の読書感想文

『線の波紋』長岡 弘樹 小学館文庫 2012年11月11日初版 思うに、長岡弘樹という人は元

記事を読む

『十九歳の地図』(中上健次)_書評という名の読書感想文

『十九歳の地図』中上 健次 河出文庫 2020年1月30日新装新版2刷 「俺は何者

記事を読む

『猫を拾いに』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『猫を拾いに』川上 弘美 新潮文庫 2018年6月1日発行 誕生日の夜、プレーリードッグや地球外生

記事を読む

『おれたちの歌をうたえ』(呉勝浩)_書評という名の読書感想文

『おれたちの歌をうたえ』呉 勝浩 文春文庫 2023年8月10日第1刷 四人の少年と、ひとり

記事を読む

『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『ウィステリアと三人の女たち』川上 未映子 新潮文庫 2021年5月1日発行 大き

記事を読む

『世界でいちばん透きとおった物語』(杉井光)_書評という名の読書感想文

『世界でいちばん透きとおった物語』杉井 光 新潮文庫 2023年7月15日 9刷

記事を読む

『FLY,DADDY,FLY』(金城一紀)_書評という名の読書感想文

『FLY,DADDY,FLY』金城 一紀 講談社 2003年1月31日第一刷 知ってる人は知

記事を読む

『ザ・ロイヤルファミリー』(早見和真)_書評という名の読書感想文

『ザ・ロイヤルファミリー』早見 和真 新潮文庫 2022年12月1日発行 読めば読

記事を読む

『月の砂漠をさばさばと』(北村薫)_書評という名の読書感想文

『月の砂漠をさばさばと』北村 薫 新潮文庫 2002年7月1日発行 9歳のさきちゃんと作家のお

記事を読む

『地獄への近道』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『地獄への近道』逢坂 剛 集英社文庫 2021年5月25日第1刷 お馴染み御茶ノ水

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『海神 (わだつみ)』(染井為人)_書評という名の読書感想文

『海神 (わだつみ)』染井 為人 光文社文庫 2024年2月20日

『百年と一日』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『百年と一日』柴崎 友香 ちくま文庫 2024年3月10日 第1刷発

『燕は戻ってこない』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『燕は戻ってこない』桐野 夏生 集英社文庫 2024年3月25日 第

『羊は安らかに草を食み』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文

『羊は安らかに草を食み』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2024年3月2

『逆転美人』(藤崎翔)_書評という名の読書感想文

『逆転美人』藤崎 翔 双葉文庫 2024年2月13日第15刷 発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑