『ビオレタ』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文
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『ビオレタ』(寺地はるな), 作家別(た行), 寺地はるな, 書評(は行)
『ビオレタ』寺地 はるな ポプラ文庫 2017年4月5日第1刷
「何歳までに結婚 みたいなのって、くだらねぇよな! と思いながら書きました」(著者より)
婚約者から突然別れを告げられた田中妙は、ひょんなことから雑貨屋 「ビオレタ」 で働くことになる。そこは 「棺桶」 なる美しい箱を売る、少々風変わりな店だった・・・・・・・。
人生を自分の足で歩くことの豊かさをユーモラスに描き出す、心にしみる物語。第4回ポプラ社小説新人賞受賞、最注目作家・鮮烈のデビュー作。(ポプラ文庫)
道端で泣くのはやめなさい。泣くのは結構。大いに結構。だけどこんな雨の日に道端にしゃがんで泣くような、そんな惨めったらしい真似はやめなさい。他人に見せつけるような泣きかたをするのはやめなさい。不幸な自分に酔うのはやめなさい。それからそんな風に哀れな子犬のような目でこっちを見るのはやめなさい。
その女の人は一息にそう言うと、猫の首を持ちあげる要領でわたしの襟を摑み、立ちあがらせた。わたしはなにがなにやらわからぬまま、憤怒の形相で立っている相手を見あげていた。雨だか涙だかわからないものが頬をぬるく伝う。
「来なさい」
身長百七十センチほどもある長身のその女の人は、百五十センチのわたしをずるずる引き摺るようにして、自分の家まで連れていった。黒い傘をさしていて、わたしには一切傘を向けることもなく真っ直ぐに前を向いて歩いていく。
・・・・・・・・・・・・・・
「まずいでしょう、それ」
オレンジジュースの缶を振りながら、にやと笑い、それから 「わたしの名前は北村菫です」 と英文和訳のような喋りかたで自己紹介をした。
「そもそも、なんであんなところで泣いてたの、あなたは」
謎の液体のあまりのまずさに悶絶しているわたしを見おろして、菫さんが尋ねてきた。両の拳はぎゅっと握られており、仁王立ちとはこういう状態を言うのだ、とぼんやり思った。それほどに菫さんの姿は迫力に満ちていたのである。
婚約破棄。泣いていた理由は、このように一言で簡潔に説明できる。
・・・・・・・・・・・・・・
「ええと、泣いていた理由については以上です」
おわかりいただけましたでしょうか、という意味を込めて、わたしは菫さんを見あげた。
「わからない」
無理だと思いつつ体裁を気にしてそのまま結婚されるより良かったのではないか、結婚と離婚というのは手続きその他が非常に面倒なものである、聞く限りどうやら彼の言う 「無理」 というのは 「結婚が無理」 であるということなのに、なぜあなたは自分の存在そのものを 「無理」 と否定されたかのように泣いていたのか、という点がどうしてもわからないので詳しく説明を願う、というようなことを菫さんは言った。
「詳しい説明、と言われても」
菫さんは頬に手をあてて、なにか考えている様子だった。
「まあそれは、そのうちわかるかもしれないし。だから、ここで、この店で働きなさい」
なぜこの人とわたしとが、わかり合う必要があるのだろうか。というか、店?
そう言われて、あらためて部屋を見渡した。
「どうする? 」
「働く? 」
その言いかたはほとんど詰問に近かった。お店はかわいい。この人は怖い。かわいいと怖いの板挟みになったわたしは、気づけば 「あっ、はい」 と答えてしまっていた。
それが、わたしと菫さんの出会いだ。
いまから、半年前のことだ。(本文より/途中途中を割愛しています)
※ビオレタは菫を意味するスペイン語。菫の父がひとり娘に因んで名付けたらしい。有限会社ビオレタ。いかにも安直な発想ではある。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆寺地 はるな
1977年佐賀県唐津市生まれ。大阪府在住。
高校卒業後、就職、結婚。35歳から小説を書き始める。
作品 「ミナトホテルの裏庭には」「夜が暗いとはかぎらない」「大人は泣かないと思っていた」「わたしの良い子」「水を縫う」「正しい愛と理想の息子」他
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