『孤虫症』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2019/11/03
『孤虫症』(真梨幸子), 作家別(ま行), 書評(か行), 真梨幸子
『孤虫症』真梨 幸子 講談社文庫 2008年10月15日第一刷
真梨幸子のデビュー作。このデビュー作にして、すでにその才気は溢れんばかりに弾けています。気色悪いことこの上ない。おぞましさに反吐が出そうになります。しかしながら、いや、だからこそ続きが読みたくなります。
この小説を象徴するような一節があります。物語の後半、タクシー運転手が何気にこんなことを言います。
「まったく、お客さんの言う通りだ。欲望の先は、いつだって、虚しい泥の底だ。その泥の底に沈んで浮かんでこない男と女をいやってほど見てきましたからね。つくづくそう思うんです。でも、欲望はまだかわいいもんです。
一番恐ろしいのは、嫉妬と悪意ですよ。これは、いけない。人をも殺す、恐ろしい凶器ですよ。こっちがおとなしく生きていても、どこで嫉妬の対象になるか分かりゃしない。無差別殺人のようなもんですよ。」
長谷部麻美は、夫・隆雄と小学6年生になる娘・美沙子の3人家族。今や多岐森市のシンボルとなっている34階建てマンション「スカイヘブンT」の8階の一室で暮らしています。隆雄は麻美の1つ年下の35歳、大手のK電気本社に勤めています。
何不自由のない暮らしのはずが、実は、彼女は「ある目的」のためにパートタイムで仕事をしています。勤めているのは『はーぶの庭』という名の自然食レストラン。オーナーの山上良江は、元々「スカイヘブンT」の土地の一部を所有していた地主でした。
パート仲間の吉田綾乃、宮里京子も元地主。山上、吉田、宮里の3人は、「スカイヘブンT」の最上階に住んでいます。もう一人のパート仲間の梶原美菜子も「スカイヘブンT」の住人で、部屋は3階、麻美と同じ歳で娘同士も同級生、子供たちは同じ進学塾に通っています。
麻美の10歳下の妹・奈未は最近結婚したばかりで、夫は大崎敏樹という男。奈未にとって敏樹との結婚はなかば成り行きで、実のところは姉・麻美の夫・隆雄への想いを断ち切るための決断です。故に、彼女は敏樹のあからさまな浮気にも動じることがありません。
気になるのは、麻美がパートに出ている理由。これが何ともダイナミックで、のっけから度肝を抜かれます。何と、麻美は週に3度、他の男とセックスすることを習慣にしている「主婦」で、逢瀬の時間を誤魔化すためにパートに出ています。
月水金の3日、それまで妹の奈未が住んでいた築25年の1Kアパートの一室で、人知れず、麻美は淫らな時間を過ごしています。月曜日は25歳のタクヤ、水曜日は22歳のマサト、金曜日は18歳のミノル。男は3人。
いずれもネットの掲示板で釣った人物で、名前や年齢が正しいのかどうかも分りません。しかし、そんなことは大したことではありません。麻美は、ただセックスがしたいだけなのです。欲望は日増しに強まり、制御できなくなっていきます。
始まりは、麻美の身体の変調でした。時々やってくる軽い腹痛と下半身に感じる細かなむず痒さ。特にたまらない掻痒感の原因を調べてみると、セフレのミノルから伝染(うつ)された「毛ジラミ」のせいだとわかります。
怒りながらも、まだこの時は平静な麻ですが、平常心でいられなくなるのは、その次の出来事。月曜日の男、タクヤが死んだと聞かされた時です。
タクヤは、原因不明のまま死んでしまいます。怒鳴り込んできた母親から見せられた写真はショッキングなもので、ブルーベリーより少しだけ大きな瘤が全身にびっしりとできています。その顔にも、頭にも、ブルーベリー状の瘤がいくつも、いくつも・・・・・・・
※その虫の正式な名称は「芽殖孤虫」と言い、「孤」には「親がいない」という意味があります。成虫がまだ見つかっていないことから「孤虫」と呼ばれています。体内に寄生した幼虫は皮下で増殖し、やがて全身の皮膚に膨隆が見られるようになり、内臓や脳へ至り慢性化します。臓器や脳の破壊により、喀血、嘔吐、下痢、腹痛、胸痛、脳障害などさまざまな症状を呈します。致死率は100%、治療法はまだ確立されていません。
この小説では、発病の原因を「生肉の摂取」と推定しています。無理やり生肉を食べさせられたことにより、体内に幼虫が入り込み、分裂増殖を続けた結果、次々と身体全体に瘤のようなものを作って、挙句原因不明のまま死を遂げる。この〈虫〉が、物語の主軸です。
麻美が自分の尻から垂れ下がっていたものを図書館で調べてみると、それは標本写真と同じ、異様に長い、節くれ立った紙テープのような〈虫〉に違いありません。あの、奇妙な排出感。ぬるっと、括約筋の収縮を擦り抜けるように、それは排出されるのです。
特にアナルセックスは控えるように、とあります。感染者のアナルを舐めて、卵を呑み込んでしまうことがよくあるようだと書いてあります。
麻美の中で、嫌な予感が一気に爆発します。体中にたくさん瘤を作って死んだタクヤ。さらに、セフレの3人とは別に付き合っていた高校時代の同級生・沼田も、やはり、瘤をたくさん作って死にました。そして、2人は麻美の性器を舐めるのがとても好きだったのでした。
夫以外の男とのセックスに溺れた挙句、身体を蝕む得体の知れない寄生虫の影に脅える麻美。彼女を擁護する訳ではありませんが、実は麻美の存在が霞んでしまうような悪党が、この後、ぞくぞくと出現します。
物語は予想をはるかに越えて、違う地平へと移って行きます。先に紹介した登場人物は、すべて何らかの災いに関与しているか、あるいは命を失くしてしまいます。特に、麻美が働く『はーぶの庭』の中年女たち、それと妹の奈未に要注意です。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆真梨 幸子
1964年宮崎県生まれ。
多摩芸術学園映画科(現、多摩芸術大学映像演劇学科)卒業。
作品 「えんじ色心中」「殺人鬼フジコの衝動」「深く深く、砂に埋めて」「女ともだち」「あの女」「ふたり狂い」「人生相談」「お引っ越し」他多数
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