『ミュージック・ブレス・ユー!! 』(津村記久子)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/13
『ミュージック・ブレス・ユー!! 』(津村記久子), 作家別(た行), 書評(ま行), 津村記久子
『ミュージック・ブレス・ユー!! 』津村 記久子 角川書店 2008年6月30日初版
オケタニアザミは「音楽について考えることは、将来について考えることよりずっと大事」な高校3年生。髪は赤く染め、目にはメガネ、歯にはカラフルな矯正器。数学が苦手で追試や補講の連続、進路は何一つ決まらないぐだぐだの日常を支えるのは、パンクロックだった!
超低空飛行でとにかくイケてない、でも振り返ってみればいとおしい日々。野間文芸新人賞受賞、青春小説の新たな金字塔として絶賛された名作がついに文庫化。(「BOOK」データベースより)
そう言えば、中学や高校の頃、勉強のデキる奴に限って「洋楽」を聞いていたような記憶、みなさんにはありません? そこそこ裕福で(でないと、そもそも高価なオーディオ機器やレコードそのものが手に入りませんから)、大概は親自身の偏差値が高い家庭の話です。
私にもそんな同級生がいました。中学1年生の夏休み。部活の帰りに寄った奴の家にはグランドピアノがあり、パーツごとに厳選されたであろうオーディオ機器が壁一面に並び、数え切れない数のLPレコードが専用ラックに収まっていました。
別の部屋の二辺の壁が書棚で、そこにはびっしり名も知らぬ本が並んでいます。もちろん大半は両親のもので、一部がお姉さんのためのもの、そのまた残りが奴のもの。奴の自慢は、奴が所有する「洋楽」のLPレコードでした。
丁寧に説明してくれるのですが、私にはそれがさっぱり分りません。そのときの私は、羨ましさよりも知らないことへの気おくれで、何一つ感想らしきものも言えずに固まっているだけ。せめて学校の成績だけでも勝っていればよかったものの、私より奴ははるかに勉強ができたのです。
閑話休題。
私のことはどうでもよいのです。言いたかったのは、この小説の主人公・アザミ-漢字で書くと「字美」。せめて字くらいは上手くなってほしいと親が願ってつけた名前らしいのですが、残念ながら願いは願いのままで終わっているようです-のことです。
言っておかなければならないのは、彼女は決して頭の悪い人間ではない、ということです。むしろ、平均からするとかなり優秀な頭脳の持ち主です。本文では随分謙遜した言い方をしていますが、通っている高校のレベルは高く、同級生たちも皆優等生です。
髪の毛を赤く染め、歯には派手な色の矯正器をつけ、メガネをかけた長身のアザミ。少し間が抜けていて、人と比べて一呼吸反応が遅く、時々心にもないことを口走ります。本当はそんな風に思ってもないのに、つい相手に合わせてしまう自分に閉口もしています。
特筆すべきは、音楽に対するのめり込み具合。アザミが聴いているのは主にアメリカのパンクロック、小遣いのほとんどが欲しいCD代に消え、日々聴いた曲のメモを取り、表計算ソフトに転記した上で、気分にまかせてランキングをつけたりしています。
本当ならとうの昔に決めておくべき進路ですが、アザミには行きたい大学も希望の学部や学科もありません。ここにきて、そうまでして大学に行く必要があるのかなどと、高校生ならとっくに決着をつけている、ごく初手の問題に今更悩んだりしています。
アザミの一番の友人であるチユキは、姉のいる金沢の国立大学へ行くと言います。歯医者で出会った、元野球部で気のいいモチヅキは北海道へ行くことを決めました。
ジャンルこそ違え、アザミとは同好の士であるトノムラ。彼は、見方によってはアザミを凌ぐオタクです。付き合うわけではないのですが、トノムラはアザミを気に掛け、アザミはトノムラを無視することができません。2人は偶然同じ大学を受験するのですが、トノムラは合格、アザミは合格することができません。
・・・・・・・・・・
繰り返しになりますが、アザミは決して頭の悪い人間ではありません。ことさらダメ女みたいに書かれてあるのは、ある意味著者の自虐、大いなる謙遜なのです。アザミという少女は、何を隠そう、若かりし頃の津村記久子その人なのです。
著者である津村記久子が高校生の頃、『ロッキング・オン』や『クロスビート』といった洋楽雑誌を読み耽り、バンドにも入っていたことをご存じでしょうか。最初はキーボードが担当で、ギターを弾く人間が抜けた後はアザミと同じベースもやっていたのです。
どこまでが本当で、どこからが作り話かは分かりませんが、大学受験を間近に控えたアザミが、次々と進路を決めていく周囲の同級生を認めつつ、自分だけが何も決められず前に進めないことに悶々とする様子が、実にリアルに伝わってきます。
何かを始めようとするときにも、音楽はアザミを捉えて離しません。彼女は、音楽がそこにあるとはどういうことだろうと考えます。自分はひょっとしたら、音楽を聴いたという記憶だけで生きていけるのではないかと、そのときのアザミは思っています。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。
作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「カソウスキの行方」「ワーカーズ・ダイジェスト」「アレグリアとは仕事はできない」「ポトスライムの舟」「とにかくうちに帰ります」「婚礼、葬礼、その他」他多数
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