『村田エフェンディ滞土録』(梨木香歩)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/06
『村田エフェンディ滞土録』(梨木香歩), 作家別(な行), 書評(ま行), 梨木香歩
『村田エフェンディ滞土録』梨木 香歩 新潮文庫 2023年2月1日発行

留学生・村田がトルコで過ごしたかけがえのない日々 『家守綺譚』 の姉妹編にあたる青春メモワール
19世紀末の土耳古 (トルコ)、スタンブール。留学生の村田は、独逸 (ドイツ) 人のオットー、希臘 (ギリシャ) 人のディミィトリスとともに英国婦人が営む下宿に住まう。朗誦の声が響き香辛料の薫る町で、人や人ならぬ者との豊かな出会いを重ねながら、異文化に触れ見聞を深める日々。しかし国同士の争いごとが、朋輩らを思いがけない運命に巻き込んでいく - 。色褪せない友情と戻らない青春が刻まれた、愛おしく痛切なメモワール。(新潮文庫)
あとがき - あの頃のこと より
この物語を書き始めたのは、もう二十年も昔のことだ。アメリカ同時多発テロ事件以降、アフガニスタン侵攻に始まる、常軌を逸したアメリカ軍の攻撃があまりにひどい有り様で、世界中の深刻な憂いを集めていた頃だ。
連載のお話しをいただいたとき、今自分が書くとしたら、戦争の惨たらしさ、理不尽さ、さまざまな宗教のもとでも友情は成り立つ、というようなことへ収斂していくのだろうな、と漠然と思った。舞台は中東、東西の要、イスタンブール。それは決まっていた。
*
一番力を注ぎ、心がけたのは、自分のなかに 「当時のスタンブール」 の空気を呼び込み、執筆中、自身がその光景の内部を生きることだった。そこでは、目をあげればモスクの尖塔が聳え、下ろせば敷石の隙間の汚泥が陽の光に当たって鈍い光を反射している。行商人の籠や荷馬車から落ちた野菜屑の影が、しみじみと石畳に伸びている。
耳は朗々と街を流れるエザンの声、土耳古語、希臘語、さらに判別もつかぬ小民族の言葉が雑踏のなかを飛び回るのをキャッチする。何よりも香り。場所によっては幾種類もの香辛料や油のベタつく淀んだ空気の、または清々しい木々の合間を流れる、欧羅巴 (ヨーロッパ) の公園と同じ空気の、そしてむせるような香水の、香の、様々な匂いが鼻孔から皮膚から侵入してくる・・・・・・・。
彼の地も旅行し、百年の昔もあまり変わらないだろうと思われる風物も体験したが、文明開化間もない日本からやってきた書生上がりの青年の目や精神を通して出てくる興奮や感激を、自分のものにしたかった。
***
ただただ、研鑚を重ねたい。土耳古で過ごす日々の村田は、その一念でした。邪心のまるでない彼の気持ちがわかるので、同じ下宿で暮らす異国の留学生や下宿の女主人、食事や雑務にあたる下人のムハンマド、そのムハンマドが通りで拾った鸚鵡までもが村田を愛し、村田に親しんだのでした。のちの村田にとってそれは得がたい、生涯の宝となります。
願ったこととはいえ、はるか東洋の小国から来た村田にとって、そこは風土も来歴も信じる宗教も、彼がこれまで日本で知り得たものとは、まるで異なるものでした。しかし、彼には臆するところがありません。克己し、発掘現場に日参し、ひたすら調査に励みます。
そこには自分と同じく学問に励む友がいて、自分を息子と思う下宿の女主人がいました。何くれとなく気を回し、陰日向なく働くムハンマドがいて、彼に懐き、時々知ったふうな口を利く、一羽の鸚鵡がいたのでした。
やがて、村田が日本へ帰る日がやって来ます。所属する大学の都合で、それは予定よりもずいぶん早い帰郷でした。
※ここで話は終わりません。別れの際、そこにいた誰もが、その後の土耳古の状況が、思いもしない事態になってしまうとは夢にも思わなかったことでしょう。それほどに、かの地の世情は悪化しています。
遠く離れて暮らす村田がその事実を知った時、うずくまり、彼は思わず、
「・・・・・・・国とは、一体なんなのだろう、と思う」 のでした。ときの土耳古の様子は、それほどまでに激変しています。
この本を読んでみてください係数 85/100

◆梨木 香歩
1959年鹿児島県生まれ。
同志社大学卒業。イギリスへの留学経験あり。
作品「羽生都比売(におつひめ)」「エンジェル エンジェル エンジェル」「裏庭」「からくりからくさ」「家守綺譚」「西の魔女が死んだ」「ピスタチオ」他多数
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