『鍵のない夢を見る』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『鍵のない夢を見る』(辻村深月), 作家別(た行), 書評(か行), 辻村深月

『鍵のない夢を見る』辻村 深月 文春文庫 2015年7月10日第一刷

誰もが顔見知りの小さな町で盗みを繰り返す友達のお母さん、結婚をせっつく田舎体質にうんざりしている女の周囲で続くボヤ、出会い系サイトで知り合ったDV男との逃避行--日常に倦んだ心にふと魔が差した瞬間に生まれる「犯罪」。
現代の地方の閉塞感を背景に、ささやかな欲望が引き寄せる奈落を鮮やかにとらえる短編集。ひとすじの光を求めてもがく様を、時に突き放し、時にそっと寄り添い描き出す著者の筆が光る傑作。(文芸春秋BOOKSより)

作品は「仁志野町の泥棒」「石蕗(つわぶき)南地区の放火」「美弥谷団地の逃亡者」「芹葉大学の夢と殺人」「君本家の誘拐」の5編です。いずれも平凡な人々が起こすありふれた事件と、それに翻弄される5人の女性が描かれています。

各編のラストシーンが際立っており、上質なミステリーを読んでいるようでもあります。4作目の「芹葉大学の夢と殺人」に限っては日常的で平凡とは言えない内容ですが、その分底知れない狂気含みで、この作品を推す読者も多いようです。

きっかけは、それこそどこにでもあるような、決してテレビや新聞に取り上げられることのない小さな事件です。それが気付かぬうちに、あるいは半ば承知しつつも、いつしか取り返しのつかない事態を招いてしまう。そんな〈転落〉の様子が描かれています。

「仁志野町の泥棒」は、決してお金に困っているわけではない、人付き合いも愛想もいい主婦が、近所の家々で繰り返し盗みを働いて周囲を困惑させるという話。「石蕗南地区の放火」では、役場の職員であり地元の消防団員でもある男が、あろうことか放火に手を染めていたことが分かります。

「美弥谷団地の逃亡者」- 浅沼美衣が出会い系サイトで男を探すようになったのは、偏に処女を卒業するのが目的でした。美衣はやがて陽次という男と知り合い、付き合い始めます。陽次が実はDV男だと分かるのですが、それでも彼女は付き合うことを止めません。

別れられない、彼女には彼女なりの理由があります。とは言え、陽次のDVはエスカレートするばかりです。遂に警察へ駆け込むことになるのですが、時はすでに遅く、このあとさらなる悲劇が美衣を襲うことになります。

物語は掲載順に深刻度合を増して行くのですが、先にも書いたように、いずれも発端はごくありふれた身近で起こる出来事です。他人事ではなく、誰もが、いつ同じような場面に遭遇したとしても不思議ではありません。
・・・・・・・・・・
それにつけても、ややこしいのが女心です。男にちやほやされたい、昔の男にもう一度会いたい、辛い育児から解放されたい - 彼女たちが願うのは、そんなささやかな希望です。

それが、いつしか、「そうあるべきだ」という確信に変わってしまう。その瞬間が怖ろしいのです。

彼女たちに共通するのは、「こんなはずではなかった」という強烈な思いです。自分はこんなところで、こんなことをしているような人間ではない。もっと輝いて、もっと特別な何者かであるべき存在なんだ-そう信じて疑おうとはしません。

自分の行為や考えをもののみごとに正当化して、省みることがない彼女たち。現実を前にした彼女たちの、微妙ではあるけれど決して擦り合わない〈ズレ〉のようなもの、その心の歪みを、辻村深月は書こうとしたのだと思います。

※ この小説は、第147回の直木賞受賞作品です。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆辻村 深月
1980年山梨県笛吹市生まれ。
千葉大学教育学部卒業。

作品 「冷たい校舎の時は止まる」「凍りのくじら」「ぼくのメジャースプーン」「名前探しの放課後」「ツナグ」「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『GO』(金城一紀)_書評という名の読書感想文 

『GO』 金城 一紀  講談社 2000年3月31日第一刷 金城一紀といえば、小栗旬主演のTV

記事を読む

『コロナと潜水服』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『コロナと潜水服』奥田 英朗 光文社文庫 2023年12月20日 初版1刷発行 ちょっぴり切

記事を読む

『夜蜘蛛』(田中慎弥)_書評という名の読書感想文

『夜蜘蛛』田中 慎弥 文春文庫 2015年4月15日第一刷 芥川賞を受賞した『共喰い』に続く作品

記事を読む

『岸辺の旅』(湯本香樹実)_書評という名の読書感想文

『岸辺の旅』湯本 香樹実 文春文庫 2012年8月10日第一刷 きみが三年の間どうしていたか、話し

記事を読む

『買い物とわたし/お伊勢丹より愛をこめて』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『買い物とわたし/お伊勢丹より愛をこめて』山内 マリコ 文春文庫 2016年3月10日第一刷

記事を読む

『私のことならほっといて』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『私のことならほっといて』田中 兆子 新潮社 2019年6月20日発行 彼女たちは

記事を読む

『つまらない住宅地のすべての家』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『つまらない住宅地のすべての家』津村 記久子 双葉文庫 2024年4月13日 第1刷発行 朝

記事を読む

『青春ぱんだバンド』(瀧上耕)_書評という名の読書感想文

『青春ぱんだバンド』瀧上 耕 小学館文庫 2016年5月12日初版 鼻の奥がツンとする爽快青春小説

記事を読む

『海馬の尻尾』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『海馬の尻尾』荻原 浩 光文社文庫 2020年8月20日初版 二度目の原発事故でど

記事を読む

『きりこについて』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『きりこについて』西 加奈子 角川書店 2011年10月25日初版 きりこという、それはそれ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『滅私』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『滅私』羽田 圭介 新潮文庫 2024年8月1日 発行 「楽っ

『あめりかむら』(石田千)_書評という名の読書感想文

『あめりかむら』石田 千 新潮文庫 2024年8月1日 発行

『インドラネット』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『インドラネット』桐野 夏生 角川文庫 2024年7月25日 初版発

『ブルース Red 』(桜木紫乃)_書評という名の読書感想文

『ブルース Red 』桜木 紫乃 文春文庫 2024年8月10日 第

『境界線』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『境界線』中山 七里 宝島社文庫 2024年8月19日 第1刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑