『妖談』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文
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『妖談』(車谷長吉), 作家別(か行), 書評(や行), 車谷長吉
『妖談』車谷 長吉 文春文庫 2013年7月10日第一刷
ずっとそうなのです。なぜこの人の書く小説が気になるのだろう。何が知りたくて、この人の本を手に取ってしまうのか。この人の本に自分は何を期待しているのだろうと、ずっと考えているのです。
「好きなんでしょ?」と言われると、そうではないのです。そう言われるとむしろ嫌いな方に近くて、できれば目を背けていたいのです。読めば読んだで、心がざわつくことは分っているのです。重々分かっているので読みたくないのに、読まずにいられないのです。
何だか古めかしくて、時代がかった文章なのはまだいいのです。何より落ち着かないのは、時に、語り手や登場人物が吐露する「本音」、あるいは他人には絶対知られたくないような「恥部」が、あまりに露骨に、あまりに遠慮なく語られる点です。
まず普通ならそこまでは言わない、そこまで自分を貶めることはなかろうにと思うような諸々が、執拗なまでに語られます。そしてまた、その一々が的を得ているのです。そうは思いたくないことまでもが、そう認めざるを得ない「真実」として眼前に晒されるのです。
どうかすると、読み手のこちらがその赤裸々さ加減に耐えられなくなって、思わず見ないふりをしてしまいます。どうしようもない、人としての「本性」を真正面から暴かれて、大概の人は打ちのめされてしまうのです。
うちの嫁はんも大便は一日一回か、二回である。が、この人には困った性癖がある。結婚以来、私が便所で大便をしていると覗きに来るのである。(中略)・・・うんうん唸っているのを聞くのが好きなのだそうだ。人には人それぞれ性癖というものがあって、人が大便をしている顔を見るのが好きなのだそうだ。
見られていると、私も励みになるのである。人間というものは、つくづく救いのないものだな、とよく思う。こんど生まれて来る時は絶対に人間だけには生まれて来たくない。(「お水」より)
などという文章があったり、作家という職業についての見解をこんな風に述べたりしています。
作家になることは、人の顰蹙を買うことだ、とは気がついていなかったのである。気づいた時は、もう遅かった。人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。
出版社の編輯者は、自分は人の顰蹙を買いたくはないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求して来る。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなるのである。
読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである。(「まさか」より)
いきなり自分の奥さんの「大便」の話を書くとはいかがなものか、と普通は思います。ましてあんな書き方だと、まるで実際の話、つまり車谷長吉の奥さんの話なんだと思ってしまうではないですか。
二つ目の話にしても、素晴らしく(!?)皮肉が効いて、何と捻くれたものの見方なんだと思われないでょうか? 確かにはじめはそうだったのかも知れませんが、ここまで恨みがましく書かれると何だか笑えてきます。
・・・・・・・・・・
この『妖談』は、あれやこれやで34もの掌編が収められて一冊の本になっています。車谷長吉という作家に少しでも興味のある方には、端緒を知る上でのまたとない読み物だと思います。何しろ、短いのがいい。いきなりの長編は、マジに疲れます。
さらに、この文庫を勧めるもう一つの理由があります。それは、三浦雅士氏が書いている解説です。ここで三浦氏は、「車谷長吉は、果たして私小説家か否か」ということに言及しているのですが、これがなかなかに面白くて頷ける話なのです。
結論だけを書いておきますと、三浦氏は「車谷長吉は私小説家ではない」と結論しています。私小説と言われるものがどのようなものであるかを正確に知っており、それを逆手に取っているのだ、と言うのです。
ま、これだけでは何のことか分からないでしょうが、少なくともこの解説を読んだ上で車谷の小説を読むと、不要な勘違いをしなくて済むようになります。奥さんの大便を持ち出してくるかどうかは別問題ですが、車谷長吉が本当に言いたいことは他にあるのだということがはっきり分かるようになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆車谷 長吉
1945年兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)生まれ。本名は、車谷嘉彦。
慶應義塾大学文学部独文科卒業。
作品 「鹽壺の匙」「赤目四十八瀧心中未遂」「漂流物」「白痴群」「文士の魂」「銭金について」「贋世捨て人」他多数
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