『合意情死 がふいしんぢゆう』(岩井志麻子)_書評という名の読書感想文

『合意情死 がふいしんぢゆう』岩井 志麻子 角川書店 2002年4月30日初版

「熊」とあだ名される、いかつい容貌と体格の巡査。見かけによらず心優しく気弱な彼が、気の強い女房の目を盗んで、つかの間、抱いた夢の顛末とは -(「巡行線路」)。小学校教員、新聞記者、地方小劇団の座長、看守。偏狭な社会でちっぽけな権力をふりまわす木っ端役人、目立たないくせにどこか鬱陶しい地味女、誠実に見えて肝心なところで無神経な好青年・・・。思惑と欲望がうずまく小市民たちの葛藤を、滑稽と恐怖のなかに浮き彫りにした、名手による傑作短編集。(「BOOK」データベースより)

時は明治から大正にかけて、どこにもあるような男と女の生臭い話です。と言ってしまえばそれまでなのですが、とにもかくにも、出てくる男が情けない。揃いも揃って姑息な男ばかりが現れて、まんまと女にしてやられます。

男にはちょっと辛い話かも知れません。考えてもみてください。妙齢の美人が突然目の前に現れて、思わせぶりにこちらを見つめています。おまけに、まんざら無関係なわけでもなくて、話す糸口くらいはあるような場合。そんな時、あなたなら何とします?

もし見過ごすだけであなたが何もしない男だとしたなら、あなたこそが変で、普通なら声ぐらいはかけたくなるのです。声をかけて、親しくなって、今度は二人きりで会いたいものだ、などと思ってしまうわけです。だって、そんな機会は滅多にないのですから。

そういったとき、人は(ここでは「男」なのですが)ちょっとズルくなったりしてしまうのでしょう。相手の心を射止めたいばかりに、自分の卑しい下心を何かの大義名分にすり替えて、無理矢理納得してしまうことだってあるわけです。

たとえそうであっても、一体誰がそれを責めることができるのでしょう。少し笑うくらいはいいのです。しかし、面と向かって意見ができるような人物などそうはいないのです。おそらくは、人というのは、もとからそんな生きものなのです。
・・・・・・・・・・
第一話「はでつくり - 華美粉飾」
岡山民報に勤める秀三は、ろくに確かめもせずにある心中未遂事件の記事を書いてしまいます。女郎と学生の心中で、取材で訊ねた学生の家で出会った姉を見初めた秀三は、出会ってもいない学生を美人の姉と同様に男前だと信じ、女郎を勝手に醜女だと思います。

第二話「がふいしんぢゆう - 合意心中」
岡山第一尋常小学校の教員・久吉は、唯一の楽しみであるカフェで出会った女学生に心惹かれてしまいます。しかし、その女学生が久吉の友人の画家・安藤のモデルになったと聞いて、面白くありません。安藤は端正な顔立ちで、女たらしのどうしようもない男です。

第三話「シネマトグラフ - 自動幻画」
五十嵐正純は、岡山で小さな劇団を主宰しています。その「五十嵐座」の看板女優が、光村フジ子。五十嵐をただ一人、アンタと呼べる女です。対する中田清枝は陰気で痩せた女ですが、自分は認められるべきだという、確固たる自信に満ちた女です。

第四話「みまはり - 巡行線路」
岡山市内を外れた街道沿いの交番に配属されて以来、青木巡査は「熊」と渾名されています。見た目に反して、青木は心優しい男です。青木は、妻のみや以外に女を知りません。そんな青木が、見回り区域に過ごす一人の美女・トミ子に恋をします。

第五話「いろよきへんじ - 有情答語」
岡山県にある孤児院で育った関谷良雄は、孤児院の職員を経て岡山監獄の看守として働き始めます。最初に配属されたのが女囚の監房。良雄は密かに「女の裸」を思い描き、期待もするのですが、現実は只々醜いばかりで、まるで生地獄のような景色です。
・・・・・・・・・・
岩井志麻子と言えば、何と言っても『ぼっけい、きょうてい』が有名ですが、この『合意情死 がふいしんぢゆう』も得意の岡山もので、古い時代が舞台になっています。その古さが独自の怖さを生んで、この人ならではの妖しい世界を創り上げています。

『ぼっけい、きょうてい』と較べてみると、こちらの方が整い過ぎてやや怖さに欠けるといったところですが、五話ともにコンパクトで、適度にエロくもあり、読み物としては文句がありません。男性の方はちょっとだけ、気を確かにして読んでください。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆岩井 志麻子
1964年岡山県和気郡和気町生まれ。
岡山県立和気閑谷高等学校商業科卒業。

作品 「ぼっけい、きょうてい」「夜啼きの森」「岡山女」「自由戀愛」「現代百物語」シリーズ 他多数

関連記事

『彼女が天使でなくなる日』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『彼女が天使でなくなる日』寺地 はるな ハルキ文庫 2023年3月18日第1刷発行

記事を読む

『回遊人』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『回遊人』吉村 萬壱 徳間書店 2017年9月30日初刷 妻か、妻の友人か。過去へ跳び、人生を選べ

記事を読む

『グ、ア、ム』(本谷有希子)_書評という名の読書感想文

『グ、ア、ム』本谷 有希子 新潮文庫 2011年7月1日発行 北陸育ちの姉妹。長女は大学を出た

記事を読む

『ゴースト』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『ゴースト』中島 京子 朝日文庫 2020年11月30日第1刷 風格のある原宿の洋

記事を読む

『かなたの子』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『かなたの子』角田 光代 文春文庫 2013年11月10日第一刷 生まれなかった子が、新たな命

記事を読む

『トワイライトシャッフル』(乙川優三郎)_書評という名の読書感想文

『トワイライトシャッフル』乙川 優三郎 新潮文庫 2017年1月1日発行 房総半島の海辺にある小さ

記事を読む

『朝が来るまでそばにいる』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『朝が来るまでそばにいる』彩瀬 まる 新潮文庫 2019年9月1日発行 火葬したは

記事を読む

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』 白石 一文 講談社 2009年1月26日第一刷 どちらかと

記事を読む

『仮面病棟』(知念実希人)_書評という名の読書感想文

『仮面病棟』知念 実希人 実業之日本社文庫 2014年12月15日初版 強盗犯により密室と化す病院

記事を読む

『風の歌を聴け』(村上春樹)_書評という名の読書感想文(書評その1)

『風の歌を聴け』(書評その1)村上 春樹 講談社 1979年7月25日第一刷 もう何度読み返した

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『タラント』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『タラント』角田 光代 中公文庫 2024年8月25日 初版発行

『ひきなみ』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『ひきなみ』千早 茜 角川文庫 2024年7月25日 初版発行

『滅私』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『滅私』羽田 圭介 新潮文庫 2024年8月1日 発行 「楽っ

『あめりかむら』(石田千)_書評という名の読書感想文

『あめりかむら』石田 千 新潮文庫 2024年8月1日 発行

『インドラネット』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『インドラネット』桐野 夏生 角川文庫 2024年7月25日 初版発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑