『ポトスライムの舟』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『ポトスライムの舟』津村 記久子 講談社 2009年2月2日第一刷


ポトスライムの舟 (講談社文庫)

 

お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳。彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。第140回芥川賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

お金がないのは、まあ良しとしましょう。問題は、その次の「思いっきり無理をしなくても・・・」という部分です。

はっきり言ってナガセは無理のしまくりで、これを無理と言わずして何が無理かというぐらいに働いています。大概の人には真似ができないくらいに働いて、ナガセはなるだけ無駄な時間をなくしたいと思っています。

メインの仕事は、工場でのライン作業 - 流れてきた乳液のキャップを固く閉めて、表裏上下とひっくり返して確かめ、再びコンベアに戻すことの繰り返しなのですが、ナガセには、自分は集中力があり、この仕事には向いているという自負と自覚があります。

元々時給800円のパートだった彼女は、現在月給が手取り138,000円の契約社員に昇格しています。相変わらずの安月給ではあるものの、別のラインでのいざこざなどを聞くにつけ、自分が今いる状況を「宝石に劣らず貴重な」もののようにも思っています。

工場勤めが終わった後は、友人のヨシカが営むカフェへ向かいます。ここでのアルバイトが、月曜から土曜の午後6時から9時まで。時給は、850円。土曜の昼間は商工会館で老人相手にパソコン講師を務め、ときどき自宅でデータ入力の仕事もしています。

もちろん稼ぐがためにいくつもの仕事を掛け持ちしているわけですが、ナガセの場合、どちらかと言えば「何もせずにいる」時間を極力なくしたいので「わざと」過密なスケジュールを自分に課しているようなところがあります。

そして、時にこんなことを思います。

工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細を見て、おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身にではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。

時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。

つまり、ナガセは今ある状況の中で精一杯生きてはいるのですが、満足しているかと言えばそういうことではありません。しかるべき理由があって自分は今ここにいて、この状況を維持する以外に手立てが見つからないのでそうしているまでのことなのです。

こんな状況になる前のナガセには、実は苦々しい経験があります。新卒で入った会社を、上司からの凄まじいモラルハラスメントが原因で退社し、その後の1年間を働くことに対する恐怖で棒に振ってしまっているのです。時はまさに「就職氷河期」のことです。
・・・・・・・・・・
「つつましやかに生きている女性の、そのときどきのささやかな縁によって揺れ動く心が、清潔な文章で描かれていて、文学として普遍の力を持っている」- とは、選考委員の一人・宮本輝氏の選評です。

しかし、本当に「お金がなくても、思いっきり無理をしなくても」、「夢は毎日育ててゆける」のだろうか - と考えてやや複雑な思いになるのは、私がもう若くはないからなのでしょうか。ナガセの実情と較べ、宮本氏の文章があまりに綺麗に過ぎると感じるのは、私だけのことなのでしょうか・・・

津村記久子の小説に登場する「働く女性」のキャラクターが大好きなのですが、この『ポトスライムの舟』に限って言うと、ちょっと痛々しくて読むのが辛くなってしまいます。ナガセの無理の具合が半端なくて、他の作品のように上手に笑うことができません。

ナガセが1年間工場で働いて、まるまるその給料を貯め込んだとするなら、確かに世界一周のクルージング旅行に行くだけの費用は貯まります。それが、163万円。彼女は、パプアニューギニアの海でアウトリガーカヌーに乗るのを、実際に夢見たりもします。

しかし、それはあくまで夢であり、現実的ではありません。およそ行けるはずのない旅行について、そうと分かっていながら、クルージングの資料請求ハガキを工場へ取りに行こうとするナガセが、私には他に拠り所のない若者に見え、不憫に思えてしまうのです。

※ 単行本には「十二月の窓辺」が併録されています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ポトスライムの舟 (講談社文庫)

◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「カソウスキの行方」「ワーカーズ・ダイジェスト」「アレグリアとは仕事はできない」「ミュージック・ブレス・ユー!! 」「とにかくうちに帰ります」「婚礼、葬礼、その他」他多数

関連記事

『憤死』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『憤死』綿矢 りさ 河出文庫 2015年3月20日初版 憤死 (河出文庫)  

記事を読む

『八号古墳に消えて』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『八号古墳に消えて』黒川博行 創元推理文庫 2004年1月30日初版 八号古墳に消えて (創元

記事を読む

『やりたいことは二度寝だけ』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『やりたいことは二度寝だけ』津村 記久子 講談社文庫 2017年7月14日第一刷 やりたいこと

記事を読む

『羊と鋼の森』(宮下奈都)_書評という名の読書感想文

『羊と鋼の森』宮下 奈都 文春文庫 2018年2月10日第一刷 羊と鋼の森 (文春文庫) 高

記事を読む

『私のことならほっといて』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『私のことならほっといて』田中 兆子 新潮社 2019年6月20日発行 私のことならほっとい

記事を読む

『セイジ』(辻内智貴)_書評という名の読書感想文

『セイジ』 辻内 智貴  筑摩書房 2002年2月20日初版 @1,400  

記事を読む

『骨を彩る』(彩瀬まる)_書評という名の読書感想文

『骨を彩る』彩瀬 まる 幻冬舎文庫 2017年2月10日初版 骨を彩る (幻冬舎文庫) 十年

記事を読む

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『とにかくうちに帰ります』津村 記久子 新潮社 2012年2月25日発行 とにかくうちに帰りま

記事を読む

『ファイナルガール』(藤野可織)_書評という名の読書感想文

『ファイナルガール』藤野 可織 角川文庫 2017年1月25日初版 ファイナルガール (角川文

記事を読む

『パリ行ったことないの』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『パリ行ったことないの』山内 マリコ 集英社文庫 2017年4月25日第一刷 パリ行ったことな

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『ゴースト』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『ゴースト』中島 京子 朝日文庫 2020年11月30日第1刷

『人間タワー』(朝比奈あすか)_書評という名の読書感想文

『人間タワー』朝比奈 あすか 文春文庫 2020年11月10日第1刷

『かか』(宇佐見りん)_書評という名の読書感想文

『かか』宇佐見 りん 河出書房新社 2019年11月30日初版

『希望病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『希望病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2020年11月11日初版

『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑