『まぐだら屋のマリア』(原田マハ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『まぐだら屋のマリア』(原田マハ), 作家別(は行), 原田マハ, 書評(ま行)

『まぐだら屋のマリア』原田 マハ 幻冬舎文庫 2014年2月10日初版

〈尽果〉バス停近くの定食屋「まぐだら屋」。様々な傷を負った人間が、集まってくる。左手の薬指がすっぱり切り落とされている謎めいた女性・マリア。母を殺したと駆け込んできた若者。乱暴だが心優しい漁師。そしてマリアの事をひどく憎んでいる老女。人々との関わりを通して、頑なになっていた紫紋の心と体がほどけていくが、それは逃げ続けてきた苦しい現実に向き直る始まりでもあった・・・。生き直す勇気を得る、衝撃の感涙長編。(「BOOK」データベースより)

主人公は、25歳の青年・及川紫紋。彼は、念願かなって東京・神楽坂にある老舗料亭「吟遊」で働いています。女将や料理長の湯田から受ける時に理不尽な叱責にも耐え、母親に美味しい料理を食べさせたい一心で修行に励んでいます。

やがて、浅川悠太という後輩ができ、仲居の春香にほのかな恋心を抱くようになって、紫紋はますますやる気になっています。ところが、春香が取ったある行動が、思いもよらぬ事態を招くことになります。結果、春香は「吟遊」を辞め、悠太は自らの命を絶ちます。

居場所を失くした紫紋が死に場所を求め、無一文でたどり着くのが「尽果」(ついはて)という名の集落で、海ぎわの崖っぷちにぽつりと一軒、小屋のように立っていたのが「まぐだら屋」という小さな食堂です。

「まぐだら屋」には、マリアという女性がいます。彼女は左手の薬指がない、正体不明の女性です。行き倒れのようにして舞い込んだ紫紋に、マリアは何も問い質しません。そうなるようにして紫紋は「まぐだら屋」で働き始め、再び生きる希望を見出していきます。

「まぐだら屋」の女将は、桐江という名の老女。桐江は一人暮らしで、長らく病に臥せっています。マリアは何くれとなく桐江の世話をしていますが、桐江に喜ぶ気配はありません。むしろいつも憎々しげで、どこかしらマリアを怨んでいるようにも思えます。
・・・・・・・・・・
「尽果」にはこんな伝説があります。昔々、大名の姫君が重い病気にかかり、煎じて飲めばたちどころに治るという薬草を求めて、召使いの女が旅に出ます。ようやくのことで女は薬草を見つけるのですが、それは海を臨む崖っぷちに生えています。

薬草を取ろうとした女は、不幸にも足を踏み外して水中に転落してしまいます。しかし、命が尽き果てる寸前に、女は心に念じます。何としても姫君をお助けしたい。海の神よ、どうかわたくしにこの薬草を姫君のもとへ届けさせてくださりませ・・・

そこまで女が姫を思うのには訳がありました。実はこの姫は女が殿様と密通し産んだ子供だったのです。母の愛に打たれた海の神は、女の体から魂を抜き出し、水中に沈みゆく女の真上と真下を偶然に泳いでいた二匹の魚にそれを移し替えます。

二匹の魚はたちまち一匹の怪魚となり、漁師に釣り上げられ、珍味故に殿様に献上されることになります。魚を割いてみると、腹の中から薬草が現れます。試しにこれを煎じて姫君に飲ませたところ、たちどころに病が治りました、というお話。

姿形はどう見ても鱈なのに、つややかな黒い鱗に覆われた身は真っ赤な鮪という、世にも美味な魚 - それが「マグダラ」で、故に店の名前が「まぐだら屋」だという訳です。

「マグダラ」を食べるとどんな病気も治る - すなわち、尽き果てかけた命も救われる。行き場を失くし、死ぬしかないと思いつめた人間が引き寄せられて、癒され、新たに旅立って行く場所 - 「尽果」とは、そんな場所だったのです。
・・・・・・・・・・
「まぐだら屋」の「マリア」- をいかにして聖書の中の「マグダラのマリア」たらしめるか。原田マハには、おそらくそれが何より重要なことだったのでしょう。

小説には、紫紋(シモン)に湯田(ユダ)、与羽(ヨハネ)という男性や、丸狐(マルコ)と名乗る青年までもが登場します。桐江という老女は、もしかするとキリストでは? そう勘繰る人がいてもおかしくないくらいの徹底ぶりです。

ところが、新約聖書に似せた話があるかと言えば、そんな風でもありません。だとするならば、これほど多くの登場人物のそれぞれに、思わせぶりな名前を付ける意味が分からないのです。いかばかりか大仰過ぎて、かえって読者は戸惑ってしまいます。

新約聖書に登場する「マグダラのマリア」は、魅惑的で謎めいた女性です。そんな聖女に現実の「マリア」を限りなく近づけたいという思い。さらには、まったく因縁のなさそうな怪魚伝説に聖書の世界を持ち込もうとしたこと。

分からぬでもないのですが、マリアはマリア、伝説は伝説だけでいいのではないでしょうか。伝説に出てくる召使いの女の名が「キリエ」で、マリアの元の恋人が「与羽」と書いて「ヨハネ」です。ここまでくると、何かの悪い冗談かと思い、泣くよりも、思わずにが笑いしたのは、私ばかりのことなのでしょうか・・・

この本を読んでみてください係数 80/100


◆原田 マハ
1962年東京都小平市生まれ。
関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史学専修卒業。
小説家の他に、キュレーター、カルチャーライターでもある。

作品 「カフーを待ちわびて」「楽園のカンヴァス」「ジヴェルニーの食卓」「あなたは、誰かの大切な人」「さいはての彼女」「異邦人」他多数

関連記事

『ファイナルガール』(藤野可織)_書評という名の読書感想文

『ファイナルガール』藤野 可織 角川文庫 2017年1月25日初版 どこで見初められたのか、私には

記事を読む

『元職員』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『元職員』吉田 修一 講談社 2008年11月1日初版 吉田修一の本の中では、どちらかと言え

記事を読む

『村でいちばんの首吊りの木』(辻真先)_書評という名の読書感想文

『村でいちばんの首吊りの木』 辻 真先 実業之日本社文庫 2023年8月15日 初版第1刷発行

記事を読む

『私の友達7人の中に、殺人鬼がいます。』(日向奈くらら)_書評という名の読書感想文

『私の友達7人の中に、殺人鬼がいます。』日向奈 くらら 角川ホラー文庫 2020年12月25日初版

記事を読む

『さいはての彼女』(原田マハ)_書評という名の読書感想文

『さいはての彼女』原田 マハ 角川文庫 2013年1月25日初版 25歳で起業した敏腕若手女性

記事を読む

『木曜日の子ども』(重松清)_書評という名の読書感想文

『木曜日の子ども』重松 清 角川文庫 2022年1月25日初版 世界の終わりを見た

記事を読む

『カルマ真仙教事件(上)』(濱嘉之)_書評という名の読書感想文

『カルマ真仙教事件(上)』濱 嘉之 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 警視庁公安部OBの鷹田

記事を読む

『百舌の叫ぶ夜』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『百舌の叫ぶ夜』 逢坂 剛 集英社 1986年2月25日第一刷 「百舌シリーズ」第一作。(テレビ

記事を読む

『芽むしり仔撃ち』(大江健三郎)_書評という名の読書感想文

『芽むしり仔撃ち』大江 健三郎 新潮文庫 2022年11月15日52刷 ノーベル文

記事を読む

『もっと超越した所へ。』(根本宗子)_書評という名の読書感想文

『もっと超越した所へ。』根本 宗子 徳間文庫 2022年9月15日初刷 肯定する力

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『スナーク狩り』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『スナーク狩り』宮部 みゆき 光文社文庫プレミアム 2025年3月3

『小説 木の上の軍隊 』(平一紘)_書評という名の読書感想文

『小説 木の上の軍隊 』著 平 一紘 (脚本・監督) 原作 「木の上

『能面検事の死闘』(中山七里)_書評という名の読書感想文 

『能面検事の死闘』中山 七里 光文社文庫 2025年6月20日 初版

『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』(三國万里子)_書評という名の読書感想文

『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』三國 万里子 新潮文庫

『イエスの生涯』(遠藤周作)_書評という名の読書感想文

『イエスの生涯』遠藤 周作 新潮文庫 2022年4月20日 75刷

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑