『恋に焦がれて吉田の上京』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文
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『恋に焦がれて吉田の上京』(朝倉かすみ), 作家別(あ行), 書評(か行), 朝倉かすみ
『恋に焦がれて吉田の上京』朝倉 かすみ 新潮文庫 2015年10月1日発行
札幌に住む吉田苑美は、23歳にして人生初の恋をする。相手は四十男のエノマタさん。不器用な乙女は「会いたい」と「知りたい」と「欲しい」の本能のまま、想い人を張り込んだ。だがある時彼は上京し、吉田は友人の前田の制止(「正気かい? 」)を振り切り後を追う。まだ吉田の存在を知らぬ彼に、ちゃんと出会うために。初恋の全てがここにある! (「BOOK」データベースより)
チョー、オモシロイ。何が面白いといって「吉田」が面白いし、「エノマタさん」も面白い。「エノマタさん」が面白い人だとしたら、「前田」はなおさらに面白い。要するに登場人物が大概に面白いのですが、一番面白いのは何と言っても作者が仕組んだ「状況」です。
もう、まるで、無茶。としか言い様がありません。ただ偶然に行き合っただけで、知り合いでもない、どこの誰かもよく分からない「エノマタさん」を好きになった「吉田」は、「エノマタさん」が上京するのに合わせて、自分までもが東京へ行くことを決心します。
さすがにそれはないだろうと、親友の「前田」は「吉田」を引き止めるのですが、「吉田」の決意は揺るぎません。東京での「エノマタさん」の職場をつきとめ、住み処をつきとめ、近くに部屋を借りた「吉田」は、「エノマタさん」の立ち寄りそうな喫茶店で働き始めます。
「吉田」の努力は、並大抵のものではありません。「エノマタさん」の行動パターンをリサーチし、出会える可能性があるとみるや、即座にその場所へ通い詰めます。もちろん「エノマタさん」に気付いてもらうために行くわけですが、出会い方が重要なのです。
「吉田」にとっては、万が一にもそれが仕組まれたものであることを勘付かれてはなりません。「エノマタさん」と出会うのはあくまで偶然であり、あくまで何かが引き寄せた不意の出来事、突然目の前に訪れた僥倖であるべきなのです。
そうこうしている内に、「吉田」は「エノマタさん」の昼食のメニューが気になり出します。「エノマタさん」は、コンビニや中華料理屋で弁当を買い、勤め先の建物に入っている喫茶店でランチを食べ、そんなに高くないカレー専門店に行く日もあることが分かります。
すると、おそらくローテーションを組んでいるであろうネクタイの総数と、それぞれの柄を知りたいと思うようになります。ネクタイだけでなく、スーツやワイシャツ、靴下、靴、寒くなって着始めたチョッキなど「エノマタさん」のワードローブを知りたくなります。
「吉田」の「知りたい」には際限がありません。昼食のメニューだけでは飽き足らず、店ごとの弁当の種類とランキング、注文するランチがABCのどれであるかの比率を知りたいと思い、カレー専門店で頼むライスの量やルーの辛さ、さらには職場で飲むコーヒーやお茶の統計が取りたいと思うようになります。
その他にも「おさえておきたい」事柄は日毎に増えて、「吉田」は調べたそれらをパソコンに打ち込み、データベースとして完成させたいという欲までもが芽生えてきます。
夢は広がるばかりなのですが、お分かりだとは思いますが、「吉田」は生身の「エノマタさん」にはまったく近づけていません。どんなに周辺情報に精通しても、それだけでは「エノマタさん」にたどりつけっこない - そのことは、「吉田」も重々承知してはいるのです。
「吉田」は、時々「エノマタさん」との関係を確認する作業として、今現在の状況をメモに書き出したりしています。それはいかにもアホらしいメモですが、またその分だけ「吉田」がいかに「マジメ」に暴走しようとしているかを察して余りあるものです。「吉田」の胸中を思いながら、とくとご覧ください。
1.わたしはエノマタさんが好きである。
2.エノマタさんが東京で新しい職についたのを機にわたしも会社を辞めて上京した。
3.東京でのエノマタさんの生活パターンはおおよそ把握した。
4.エノマタさんは依然わたしの存在を知らない。
「前田」が「吉田」に向かって「正気かい? 」、と訊ねた気持ちが十分お分かりいただけると思います。
さて、こんなハチャメチャな話に「共感」できますか? という点ですが、ご心配は無用です。文庫の帯を見てください。そこには「驚異の共感率!!! 」とあります。「!」が3つも付いているのです。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。
作品 「田村はまだか」「そんなはずない」「深夜零時に鐘が鳴る」「感応連鎖」「肝、焼ける」「声出していこう」「夏目家順路」「少しだけ、おともだち」など
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