『ミート・ザ・ビート』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『ミート・ザ・ビート』(羽田圭介), 作家別(は行), 書評(ま行), 羽田圭介

『ミート・ザ・ビート』羽田 圭介 文春文庫 2015年9月10日第一刷

東京から電車で約1時間の地方都市。勉強とバイトに明け暮れる予備校生「彼」の日常は、中古車ホンダ「ビート」を手に入れてから変わってゆく。デリヘル嬢との微妙な関係、地方都市の閉塞感と青春群像、マシンを操る身体感覚、作家の資質を鮮やかに示し、第142回芥川賞候補になった表題作。短編「一丁目一番地」を併録。(文春文庫解説より)

「ビート」を手に入れたあとの「彼」も面白いのですが、むしろ手に入れるまでの様子が可笑しくて、実際に運転する前の、あれやこれやの手続きに戸惑う「彼」のつたなさぶりに思わず同情し、かつての自分を思い出したりもします。

大抵の場合、男はまことに単純で、とくに初めて自分の車を手に入れたときなどというのは、一時であるにせよ、それまでの人生とはまるで違うステージへ自分が踏み出したとでもいうような、まるで根拠のない、しかしすこぶる大きな高揚感に見舞われたりします。

移動時間が画期的に短縮されるという即物的な事実よりも、目の前の景色がそれまでに経験した何倍ものスピードで変化して行くさまを体感するにつけ、すべてが思い通りにいくとでもいうような、ある種「万能感」に似た気持ちになったりするのです。
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彼は、19歳の予備校生。受験勉強の傍ら、建設現場でアルバイトをしています。仕事をしているのは街の振興開発地で、彼は交通整理係をしています。

仕事仲間の、ノブさん、ブヨ、ケン、ザキさん - そして、レイラ。それらの男に彼を加えた6人は、仕事が終わると意味なく集まり、飯を食い、酒を飲み、たまにはボーリングなどをしながら、思い思いに女についての噂話をしています。

中で、イケメンのレイラだけが別格で、昼間は建設現場の作業員ですが、夜はホストの仕事をしています。昼間は現場でのアルバイトで稼ぎ、夜はホストクラブで女を転がし稼ぐ。3つ年上というだけで金も女も手に入れているレイラが、彼には羨ましくてなりません。

平凡な自分が大学に進学後、優良企業に就職し、金を得てから女も得るなどという回りくどい道のり。たまに、その過程の長さを思うと彼はウンザリするのでした。レイラを前にして、19歳の、まだ何者にもなれないでいる彼はこんな風に思います。

もちろん水商売など長く続けられる仕事ではないだろうし、普通の企業に就職したほうが福利厚生はしっかりしていて生涯賃金も断然多いだろう。ただ、興味をもった仕事をぱっと始め、良いと思った女にすぐ話しかけられる初速の速さに、彼はやはり憧れるのでした。

何とも若者らしい、そして、何とあたり前な発想。このあまりに普通で、ありきたりな、だからこそ思わず頷いてしまう心持ちが、おそらく羽田圭介が羽田圭介であることの証なのだと思います。彼は市井に暮らす一市民で、故に、我々庶民の大いなる代弁者なのです。
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さて肝心の車ですが、「彼」がレイラから譲り受けたのは、ホンダの古いクーペ「ビート」という軽自動車です。1991年から96年にかけて販売された5速のマニュアル車で、排気量は656cc、2ドアのオープンカーです。販売後、実に19年の歳月が経過しています。

知ってる人は知っている人気の車ですが、何せ古い。少しくすんだ黄色のボディ、フロントとリアガラスの間には黒い幌が張られています。軽なので、もちろんナンバープレートも黄色です。今月中に車検が切れるというその車を、彼は手に入れることになります。

どう考えても初心者向きとは言えない車ですが、思いもよらぬことで手に入れた彼は、手に入れたからにはと徐々に興味も湧き出し、貯め込んだ貯金をはたいてはタイヤを買い換え、高額な保険にも入ります。名義変更から始まる、これら手続きの諸々が読ませます。

とは言っても、彼は免許を持っているだけのいわゆるペーパードライバーで、車検の間隔を4年などと言って、レイラに笑われるくらいの初心者です。いきなりマニュアル車を運転しようとしても、上手く行く道理がありません。しかし、要らぬ心配は無用です。

そこはまたもや、レイラの出番です。クラッチを繋ごうとする度にエンストするのを予想していたかのように、レイラは彼を優しく教習します。ちなみに、レイラの愛車は三菱・ランサーエボリューション。通称〈ランエボ〉と呼ばれる車をラリー仕様に変えて、レイラは、まるでサーキットを走るように公道を走っています。

※ 書けずに終わってしまいましたが、この小説には、ユナという一人のとても魅力的な女性が登場します。ユナはレイラの店によく来るデリヘル嬢で、レイラがブヨに紹介したことで全員の知るところとなります。

ユナは清楚そうで体を売っているようには見えず、フランス映画にでも出てきそうなすらっとした手足の女性です。当然のことですが、彼は、ビートとはまた違った意味で、彼女に段々と興味を覚えていきます。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆羽田 圭介
1985年東京都生まれ。
明治大学商学部卒業。

作品 「黒冷水」「走ル」「不思議の国の男子」「盗まれた顔」「スクラップ・アンド・ビルド」「メタモルフォシス」他

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