『月の砂漠をさばさばと』(北村薫)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2019/05/31
『月の砂漠をさばさばと』(北村薫), 作家別(か行), 北村薫, 書評(た行)
『月の砂漠をさばさばと』北村 薫 新潮文庫 2002年7月1日発行
9歳のさきちゃんと作家のお母さんは二人暮らし。毎日を、とても大事に、楽しく積み重ねています。お母さんはふと思います。いつか大きくなった時、今日のことを思い出すかな - 。どんな時もあなたの味方、といってくれる眼差しに見守られてすごす幸福。かつて自分が通った道をすこやかに歩いてくる娘と、共に生きる喜び、切なさ。やさしく美しいイラストで贈る、少女とお母さんの12の物語。(新潮文庫解説より)
又吉直樹が推薦する本の中の一冊です。書店へ行って、たまたま目立つ所に置いてあったので買ってみました。前から読みたかったわけではありません。と言うか、この本自体を知りませんでしたし、私は北村薫という人の本をほとんど読んだことがなかったのです。
北村薫が男性なのか女性なのか、そんなことさえ調べもせず、知らない間に長い時間が経っています。沢山の本が出ているのは知っていましたが、何だかまるっと優し過ぎるような感じに思えて読もうという気になれずにいたのです。
読んでみると・・・、優しいことに間違いはありません。しかし、その優しさの本質ともなれば、私が思っていたものとは土台話が違ってきます。ただ単に心が温まる話かというと、そうではないのです。
読み始めた当初の私は、まるで児童文学を読まされているようで、どこを指して又吉がいいと言うのか、何をして他の大勢の読者が口々に素晴らしいと言うのか、その理由が分からずにいました。
仕方がないので途中で一旦諦めて、梨木香歩さんが書いている解説を読んでみることにしました。お恥ずかしいのですが、それでようやくことの「本質」を理解したのです。梨木香歩さんの解説はみごとと言う他ないもので、それはそれは「お手本」のような解説です。
その最後の部分。
数えて7話目に「さばのみそ煮」という掌編があります。この話は「替え歌 ≒ でたらめ歌」がテーマになっています。さきちゃんのお母さんは救いようのない音痴なのですが、それでもよくCDを買ってきては、二人だけの時に限って、ハミングをしたりします。
まったくでたらめの、おかしな歌を口ずさむこともあります。洗濯物を干す時にお母さんがよく歌うのは、お母さんが子供の頃にお母さんのお父さんが一回だけ歌った歌です。
元は学校の先生で、普段は冗談など言わなかったおじいちゃんが歌ったでたらめな歌を、大きくなったお母さんは覚えていたのです。
そして、秋になったある日のこと。夕食の時、お母さんがさばを煮ていました。あたりはしんと静まり返っています。おみその香りが台所に広がります。さきちゃんは、テーブルに向かって、宿題をやっていました。その時、お母さんがゆっくりと歌い出したのです。
月のー砂漠を
さーばさばと
さーばのーみそ煮が
ゆーきました
どうです? なんとも傑作な歌ではないですか。試しに一度、みなさんも声に出して歌ってみてください。何だかほろほろと、優しい気分になるではないですか・・・
お母さんがかつて子供だった頃、お父さんが思いがけにずに、たった一度だけ歌った歌をお母さんは幸福感と共にいつまでも覚えていました。
そして今度は、お母さんが「月の砂漠をさばさばと」とでたらめな歌を口ずさみ、その歌を、おそらくさきちゃんはいつまでも、大人になっても覚えているのでしょう。日常の至福とはそのようにして受け継がれてゆくものだと、梨木香歩さんは言います。
最後の最後の、締めの文章。これがまた痺れます。ここだけ読んでもこの本の素晴らしさが分かるというものです。
日常は意識して守護されなければならない。例えばこういう物語で、幸福の在処(ありか)を再確認する。そういう時代に、私たちは生きている。
この本を読んでみてください係数 85/100
月の砂漠をさばさばと (新潮文庫)
◆北村 薫
1949年埼玉県北葛飾郡杉戸町生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。
作品 「空飛ぶ馬」「夜の蝉」「円紫さんと私」シリーズ、「覆面作家」シリーズ、「時と人の三部作」「鷺と雪」「スキップ」「盤上の敵」他多数
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