『まずいスープ』(戌井昭人)_書評という名の読書感想文

『まずいスープ』戌井 昭人 新潮文庫 2012年3月1日発行


まずいスープ (新潮文庫)

 

父が消えた。アメ横で買った魚で作ったまずいスープを残し、サウナに行くと言ったきり忽然と。以来、母は酒浸りになり、おれの日常もざわつき始め、なんとか保っていた家族は崩壊寸前。悲劇のような状況は、やがて喜劇のように展開し -(「まずいスープ」)。表題作をはじめ、人生に潜む哀しさと愛おしさを、シュールな笑いとリアリズムで描いた三編を収録。気鋭が贈る人間賛歌。(新潮文庫解説より)

何がいいかと訊かれたら、何よりその飄々とした語り口がいい。在ることをあるがままに、斟酌なしに、ただ淡々と語る風情が心地いいのです。ありきたりな(そうでもないのですが)日常を切り取って並べ立てる「間合い」が絶妙なのです。

そもそもアメ横で鮮魚は絶対買わないというのは、以前から家族の誰もが承知していたことです。大晦日が近づいて、アメ横の混雑した映像がテレビのニュースで流れたりすると、父は、ああ、みなさん、ひでえ魚買わされちゃってるよ、とよく言っていたのです。

そんな父が、どういう訳かはわからないのですが、アメ横の魚屋で買ったきた魚でスープを作ります。表面には粉々になったガラスみたいに浮かんだ油が散らばり、ぶつ切りにされた魚の身や骨が無惨に沈んでいます。

「それは、とにかくまずいスープだった。」

戌井昭人のデビュー作「まずいスープ」は、こんな書き出しから始まります。どちらかといえば料理上手な父がいかにもまずいスープを作り、サウナに行くと言って出て行ったきり一週間経っても帰ってきません。

息子の「おれ」は、一週間も音沙汰がないのは心配ではあったものの、今までの所業を考えれば、案外何事もなかったように戻ってくるのではないかとも思っています。父にはそう思うだけの前歴があります。かつて父は、2年もの間家を留守にしていたことがあります。

「おれ」が幼稚園から小学校にあがるまでのことです。子供心に父はもういなくなったのだと思っていた、そんな頃のある日家に帰ると父がいて、照れくさそうに笑っていたことがあります。そのとき父は、アメリカにいたといいます。
・・・・・・・・・・
そもそも大学の同級生だった父と母は思わぬめぐり合わせで結婚し、父は母の実家の八百屋をしばらく手伝っていたのですが、その後職を転々とします。父は、どういうわけか英語と韓国語とフランス語が喋れ、ロシア語も少し喋ることができます。

今は近所のマンションの一室を借りて事務所として使っているのですが、何の仕事をしているのかはよくわかりません。たまに話すとロシアからはちみつを輸入したとか、ベトナムからキャベツを大量に仕入れるとか、蟹の甲羅を砕いた健康食品を売るとか・・・、

主に食品関係の輸入をしているようではあったのですが、どこの国のどんな食べ物かはっきり決まってはいないのでした。

過去にはとんでもない放浪歴があり、今している仕事もはたして儲けがあるのかどうか、いささか茫洋として掴みどころのない父なのですが、この(大宮)一家には、大いに呆れながらもそんな父を許し、受け入れている母がおり、息子がいます。

家には家族同様にして暮らすマーもいます。(マーは父の従妹で、お茶の水にある女子高の3年生。水商売をしている母親に代わって大宮家で面倒をみています)マーにしたところで、よういっちゃん(父・陽一の愛称)はそういう人です。

昔、家に居候していた父の友人で、今は北九州に住んでいるノリタケちゃん。(その頃、父は古物商の免許をとって古道具屋の仕事を始めています)父の高校時代の先輩であり、古道具屋の仕事の師匠でもある関田さんと、息子の正章。

父をよく知るそれらの人に訊ねても、行方は杳として知れません。強がってはいるものの、父が消えた後の母は、正体もなく焼酎を呷るばかりの有り様。かと言って、捜索願を出した方がいいのではないかと問えば、「警察はやめてよ」と母は言います。

警察なんかが動き出して、捕まったりしたらどうするの。家に帰ってこようと思っても、その前に捕まったら可哀想じゃない、と言います。母はどうあっても父のことが大好きなのですが、ただその思いやりの方向が、普通の夫婦とは明らかにズレています。

マーの手を借り、正章の手を借りして、「おれ」は父の行方を捜します。マーと行った父の事務所からは大量の大麻が見つかるわ、(後でわかるのですが)あったはずの拳銃が消えて無くなっているわで、ますます父がしていたことがわからなくなります。

この頃、酔った母が大怪我をして入院するようなことにもなり、客観的にみれば、一家は崩壊寸前のような状況になります。なのに、話は逸れに逸れて、そこではのんきに古今亭志ん生の落語についての薀蓄が語られたりして、まるで危機感というものがありません。

思えば父と母の暮らしは相当いい加減なものですが、息子の「おれ」も大概偉そうなことは言えません。学生の頃からふらっと旅に出ては帰らず、23歳になった今も定職はなし、仲見世を横に入った伝法院通りの団子屋で、また旅に出ようとアルバイトをしています。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


まずいスープ (新潮文庫)

 

◆戌井 昭人
1971年東京都調布市生まれ。
玉川大学文学部演劇専攻卒業。俳優、劇作家。

作品 「鮒のためいき」「どろにやいと」「ぴんぞろ」「ひっ」「すっぽん心中」「俳優・亀岡拓次」「松竹梅」「ただいま おかえりなさい」など

関連記事

『1ミリの後悔もない、はずがない』(一木けい)_書評という名の読書感想文

『1ミリの後悔もない、はずがない』一木 けい 新潮文庫 2020年6月1日発行 1ミリの後悔

記事を読む

『海』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『海』小川 洋子 新潮文庫 2018年7月20日7刷 海 (新潮文庫) 恋人の家を訪ね

記事を読む

『がん消滅の罠/完全寛解の謎』(岩木一麻)_書評という名の読書感想文

『がん消滅の罠/完全寛解の謎』岩木 一麻 宝島社 2017年1月26日第一刷 【2017年・第

記事を読む

『白磁の薔薇』(あさのあつこ)_書評という名の読書感想文

『白磁の薔薇』あさの あつこ 角川文庫 2021年2月25日初版 白磁の薔薇 (角川文庫)

記事を読む

『ようこそ、わが家へ』(池井戸潤)_書評という名の読書感想文

『ようこそ、わが家へ』池井戸 潤 小学館文庫 2013年7月10日初版 ようこそ、わが家へ (

記事を読む

『きみのためのバラ』(池澤夏樹)_書評という名の読書感想文

『きみのためのバラ』池澤 夏樹 新潮文庫 2010年9月1日発行 きみのためのバラ (新潮文庫

記事を読む

『さよなら、ビー玉父さん』(阿月まひる)_書評という名の読書感想文

『さよなら、ビー玉父さん』阿月 まひる 角川文庫 2018年8月25日初版 さよなら、ビー玉父

記事を読む

『ほかに誰がいる』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『ほかに誰がいる』朝倉 かすみ 幻冬舎文庫 2011年7月25日5版 ほかに誰がいる (幻冬

記事を読む

『肝、焼ける』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『肝、焼ける』朝倉 かすみ 講談社文庫 2009年5月15日第1刷 肝、焼ける (講談社文庫

記事を読む

『十二人の死にたい子どもたち』(冲方丁)_書評という名の読書感想文

『十二人の死にたい子どもたち』冲方 丁 文春文庫 2018年10月10日第一刷 十二人の死にた

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『太陽と毒ぐも』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『太陽と毒ぐも』角田 光代 文春文庫 2021年7月10日新装版第1

『夏の終わりの時間割』(長岡弘樹)_書評という名の読書感想文

『夏の終わりの時間割』長岡 弘樹 講談社文庫 2021年7月15日第

『スイート・マイホーム』(神津凛子)_書評という名の読書感想文

『スイート・マイホーム』神津 凛子 講談社文庫 2021年6月15日

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 新潮

『葦の浮船 新装版』(松本清張)_書評という名の読書感想文

『葦の浮船 新装版』松本 清張 角川文庫 2021年6月25日改版初

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑