『八月の青い蝶』(周防柳)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2025/09/28 『八月の青い蝶』(周防柳), 作家別(さ行), 周防柳, 書評(は行)

『八月の青い蝶』周防 柳 集英社文庫 2016年5月25日第一刷

第26回小説すばる新人賞 第5回広島本大賞受賞作

急性骨髄性白血病で自宅療養することになった亮輔は、中学生のときに被爆していた。大日本帝国陸軍・一〇〇式司令部偵察機搭乗員のひとり息子であった彼は、当時、広島市内に住んでいたのだ。妻と娘は、亮輔が大事にしている仏壇で、異様に古びた標本箱を発見する。そこには、前翅の一部が欠けた小さな青い蝶が、ピンでとめられていた。妻も娘も知らなかったが、それは昭和20年8月に突然断ち切られた、切ない恋物語を記憶する大切な品だった。昭和20年と現代の〈8月〉が交錯しながら展開する鮮烈な長編小説。(集英社 文芸単行本公式サイトより)

読むといかにもベテランに思えるのですが、この小説は著者のデビュー作です。(周防柳は女性の作家。本名かどうかは不明です) この小説にはきちんとしたモデルがいます。著者である周防柳の父が辿った半生を顧みて、かつて広島が被った世紀の惨事の下に散りはてた、儚くも切なすぎる恋情を描いて涙する物語です。

熊谷亮輔は陸軍航空の戦隊長として台湾に出動中の熊谷強中佐の一人息子で、彼が広島県立第五中学校の1年生、12歳だったときのことです。

彼ら1年生50人は広島市内の中東部、京橋川にかかる鶴見橋の西詰で建物疎開作業をしています。抜けるような青空に真っ白な雲が湧き、照りつける太陽によって、8時を過ぎたばかりだというのに30度はとっくに超えていた夏の日のことでした。

建物疎開とは空襲を受けたときの延焼、類焼を防ぐため、密集地の建物を除いて防火帯を作るもので、いわゆる 「疎開」 とは違い、邪魔な家屋を破壊する 「打ち壊し」 のことを言います。どの家屋かは一方的に通達され、命じられた当事者は泣くに泣けません。

作業にあたっていたのは亮輔たちのような中学生のほか、高等女学校の低学年、近隣市町村の人々からなる地域国民義勇隊、会社や工場で組織された職域国民義勇隊の人たち。学生たちは夏休みなどという優雅なものはなく、皆が “月月火水木金金” で働かされていました。

そんな非常事態のまっただ中で、亮輔は作業をさぼってチョウなどを見にいこうとしています。いや、していたのでした。しかも、希恵という父・強の年若な愛人とともに。- 必ず行くちゅうて、指切りしたのに・・・・・・・。

作業の間中、亮輔は悔しくて仕方がありません。実は亮輔はちょっとした妨害工作を受けたために約束の場所へ行けなくなってしまっています。心ならずもだいじな約束を反故にしたために、彼は 「心は非国民、からだはよい国民」 の状態で建物疎開の現場にいたのでした。

2010年(平成22年)の8月初め、熊谷亮輔は78年の生涯を閉じようとしています。1年半前に急性骨髄性白血病を発病し入院していたのですが、死期が近づき、自宅で最期を迎えるために退院します。

その亮輔の胸に去来するのは - 65年前の8月初め、広島市内にある第五中学校の1年生だった亮輔は、8月6日の朝、希恵という女性と一緒に、蝶の羽化を見に行く約束をしています。希恵は亮輔の父・熊谷強(つよし) の歳若い愛人で、亮輔の8歳年上の女性でした。

正妻である福子をおいて、強は年端もいかぬ娘の希恵を愛人にしています。強と福子には子がありません。福子の前、強の最初の妻・千鶴子が産んだ子が亮輔で、彼女は亮輔が数えで2歳にもならないときに他界し、後妻にきたのが福子でした。

福子と強がことさら相性が悪かったのかといえば、そうではありません。大方が時代のせいで、強が望んで希恵を愛人にしたのでもなければ、自分とは随分歳の離れたよくは知らない強に対し、希恵の方に何か特別な気持ちがあって望んだわけでもありません。

希恵が強の子を身籠ったのは自然といえば自然なことで、しかし、そのとき強はすでに台湾におり、慌てた希恵の義父は必死になって台湾にいる強と連絡をとります。甲斐あって強は希恵の子をわが子と認め、福子と亮輔がいる広島の家に母子共々に引き取ることを約束します。

こうして、亮輔は希恵という女性と知り合うことになります。歪といえばあまりに歪に過ぎる二人の関係ではありますが、互いが父であり愛人である強をどこか遠い他人のように感じていた分、二人はすぐに気の置けない関係になります。

親しく話す人もなく、鳥籠で暮らすような希恵にしてみても、亮輔は恰好の話し相手でした。何より希恵は蝶が好きで、そんな希恵を亮輔は好ましく感じています。淡いといえばあまりに淡い恋情ではありますが、そのとき亮輔は、もはや希恵以外のことは考えられなくなっています。

約束を取り付けたのが8月6日であったこと。待ち合わせた場所が、爆心に近い元安川の天女橋であったこと - 珍しい虫のいる柳と船のある川べりの、あの厳島さんの木立であったことを、死に際にいる亮輔は、後悔しても後悔しきれない気持ちで思い返しています。

この本を読んでみてください係数  85/100


◆周防 柳
1964年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。

作品 「虹」「余命二億円」など

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