『痺れる』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『痺れる』(沼田まほかる), 作家別(な行), 書評(さ行), 沼田まほかる

『痺れる』沼田 まほかる 光文社文庫 2012年8月20日第一刷

12年前、敬愛していた姑(はは)が失踪した。その日、何があったのか。老年を迎えつつある女性が、心の奥底にしまい続けてきた瞑い秘密を独白する「林檎曼荼羅」。別荘地で一人暮らす中年女性の家に、ある日迷い込んできた、息子のような歳の青年。彼女の心の中で次第に育ってゆく不穏な衝動を描く「ヤモリ」。いつまでも心に取り憑いて離れない、悪夢のような9編を収録。(光文社文庫より)

何を思って歳を重ねるとこんな話が書けるのか - この人の小説を読むと、いつもながらにそんなことを思います。2冊、3冊と続けて読むのはしんどくもありますが、読まずにおくと、何だか取り返しのつかないことをしているような気持ちになります。

読むと確かに面白い。というか、書いてあることの一々が図星で目が離せなくなります。心の奥底にそっと仕舞い込んでいるような悪意、晒すことのできない邪念のあれやこれやが、縦横無尽に描き出されています。

普通といえば至極普通であるはずのそれらの感情は、しかし、必ずしも「真っ当」なものではありません。故に、彼女が書く小説というのは、どこかしら普通ではないのです。
・・・・・・・・・・
最も評価が高いのが「林檎曼荼羅」で、続いて「レイピスト」「沼毛虫」あるいは「エトワール」といった作品になります。それらは是非ご自身で鑑賞いただくとして、ここではちょっと軽めの、他の一編を紹介したいと思います。

私は萬田さんが嫌いだった。だからだと思うが、急に萬田さんを殺そうか、という考えが頭に浮かんだ。萬田さん以前にも、人に殺意を抱いたことくらい何度もあった。恋仲になった男の妻や、あまりにも身勝手なテレビタレントや、横柄な態度で人を見下すクリーニング屋の店員などに。(第7話「普通じゃない」より)

こんなふうな書き出しのあと、「だって誰かを殺そうと思ったことのない人間なんかいないだろう。だからこのときも、萬田さんのゴマ塩頭を見送ったあとは、ちょっと殺そうと思ったことなどすぐに忘れて、温まったご飯でいつものように昼のお茶漬けを食べたのだった」と続いて行きます。

「私」と萬田という老人の間に何があって、なぜ「私」が近所に住む萬田さんを殺そうと思うくらいに嫌いかについては何も明かされていません。たぶんはっきり言葉にして言えるほどのものはないのですが、なぜか好きになれない人物というのは確かにいます。

つかの間抱いた萬田老人への殺意などすっかり忘れて、次の週に、「私」はレンタルショップで「刑事コロンボ」シリーズのDVDを借ります。15年ぶりにまた観たくなってのことだったのですが、(観たことのない方には伝わりにくいでしょうが)本来は正義の味方、主役であるはずのコロンボに対して、「私」はまるでそんなふうには見立てません。

どう見ても性格異常者だ。たぶんこじれた容貌コンプレックスのせいだろう、犯人を寸刻みにいたぶることに倒錯的な快楽を感じているのは明らかだ。あの愛嬌いっぱいのへらへら顔も、つまりは人を欺くための周到な仮面なわけだからやっぱり普通じゃない。

次に、また続きのシリーズが観たくなったので車でレンタルショップに行くことにした途中でのこと。事故による通行止めで迂回した先の交差点の角に、がっしりした四角柱がそびえ立ち、白塗りのトタン面に黒く書かれた「人権標語」が見えます。

「こんにちわ そのひと言が 心をつなぐ」「気がつけば いつもとなりに 明るい笑顔」「もう少し 聞こう 話そう わかり合おう」- 何がとはうまく説明できないのですが、「私」はそれらの文字を見て、全体的にシュールな感じを受けます。

どこかしら普通じゃない。言葉が脳に刻みつけられてしまいそうで怖いと感じます。これだけの車のなかに誰か一人くらい、あの白い塔にあれらの言葉が書かれていることに、普通じゃない感じを抱いた人がいるのかいないのか。そう考えると、列をなす車のなかに実は誰ひとり乗っていない気がして寒くもなるのでした。

さて話は戻りますが、萬田さんはというと、毎日と言っていいくらい熱心に6号ゴミハウスにいて、決まって出てくるルール違反のゴミ袋を見つけては、構わず手を突っ込み、中身を掴み出しては別の袋に移し替えたりしています。

その内萬田さんは、ゴミ袋の主が萬田さんの右隣に住む三津原さんだと探り当てます。ゴミを調べるときの萬田さんの目付きを見て、「私」はほとんどコロンボのようだと思います。このあと、萬田さんと三津原さんの間にひと悶着があり、それに乗じて「私」は本当に萬田さんを殺そうとします。

(そういう「私」こそ普通ではないわけですが)まさに事を起そうとしたその時、「私」は、考えられない、ちょっと「普通じゃない」光景を目の当たりにします。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆沼田 まほかる
1948年大阪府生まれ。
大阪文学学校に学ぶ。離婚後、得度して僧侶となる。会社経営等も経験、小説デビューは56歳。

作品 「九月が永遠に続けば」「アミダサマ」「彼女がその名を知らない鳥たち」「ユリゴコロ」他

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