『枯れ蔵』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/12 『枯れ蔵』(永井するみ), 作家別(な行), 書評(か行), 永井するみ

『枯れ蔵』永井 するみ 新潮社 1997年1月20日発行

富山の有機米農家の水田に、T型トビイロウンカが異常発生。日本に存在しないはずの害虫がなぜ - 。有機米使用の商品を企画した食品メーカー社員・陶部映美は調査を開始するが、その矢先、友人であるツアーコンダクターの不可解な自殺を知る。その謎は次第に害虫騒動と不気味な関連をみせはじめた。「コメ」をテーマに据えた前人未到の農業ミステリーにして、第1回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

面白い。手元にあるのは新潮社から出ている初版単行本で、ずいぶん昔に読んだきり、内容はもとより買ったことさえとうに忘れていました。ひょんなことから読み返すことになったのですが、思いのほか面白いのです。

原稿用紙で850枚、単行本は上下二段組みの約300ページにもなる長編です。テーマは「米」。出穂前の稲株に群がる謎の病害虫・T型トビイロウンカの発生源を探る内、突然自死した友人に隠された、思いもかけない真相にも迫るというバイオテック・ミステリーです。

主人公は、港区三田に本社のある御堂食品商品企画部に籍を置く陶部(すえべ)映美、31歳。レトルト食品や冷凍食品の企画、それに伴うリサーチが主な仕事で、彼女は現在、最近発売なったインドネシア風ピラフ『ナシゴレン』の評判が何より気になっています。

それもそのはずで、この商品は映美が企画段階から手がけたもので、素材の選択、調味、価格設定、販路の決定、その他全てに絡んできたもので、彼女にとって初めてプロジェクトリーダーを任された、ことのほか責任重大な任務だったのです。

準備の段階で重要なポイントの一つになったのが、ナシゴレンにどういった米を使うか、ということでした。国産米にするか、外国産米にするか。産地はどこ、そして品種は? 米の種類を決定するファクターとなるのは、味、価格、流通の安全性などに加えて、

何より米そのものの持つイメージが肝要で、開発チーム内で有力候補となったのがタイ産のインディカ米の一種「香り米(かおりんまい)」、別名「ジャスミンライス」でした。さわさわした軽い食感と、食べた後にも胃にくどさが残らない爽快さがこの米の持ち味です。

そんな中、開発チームのリーダーであった映美は、最初から最後まで富山県産コシヒカリにこだわります。6年前、ときの開発チームの末席にいたとき、彼女は初めて富山県産有機米コシヒカリの存在を知ります。それは、米の卸売り業者、『ファーブルライス』の原田という男が是非食べてみてくれ、と強引に置いていったものでした。

試しに炊いて食べてみて、映美は大きなショックを受けます。あまりにおいしかったからです。米そのものが強く、しっかりとした個性を主張していて、今まで自分が食べていた米は何だったのかと思うほどの味だったのです。

映美が口にしたのは富山県砺波有機米組合で作られたものだったのですが、彼女はその時まだ「有機米」が何たるかを知りません。有機米とは、慣行農法で作られたものとは違い、無農薬、無化学肥料が売りの、手間暇のかかった米を指して言うのでした。
・・・・・・・・・
(ここまでが物語の前提となる部分で)映美の仕事ぶりやプライベートな部分で起こる不可解な出来事 - 海外旅行で知り合い、友人となった井上曜子という女性の突然の自殺にかかる様々な憶測や徐々に明らかになる事の真相など - もさることながら、

何より読み応えがあるのは、都会から遠く離れた北陸・富山の肥沃な農耕地で巻き起こる「米」と「ウンカ(という名の病害虫)」とを巡る一大騒動と、その端緒となる、人を人とも思わない、およそ非道な企業と、そこに関わる人どもの姿なのではないかと思います。

映美と共に事の真相に迫る五本木透は彼女のかつての恋人で、現在は富山県立農業試験場に勤めています。『ファーブルライス』の原田という男は、何だかあやしい。外資系薬品会社・ドーメックス化学の若牧和郎という男もいます。

小説の色となる人物は様々いるのですが、誰より際立っているのは、大下義一という男。義一は、砺波有機米組合の副組合長。「米名人」と呼ばれ、人から一目置かれる人物です。有機米栽培に絶対の自信を持ち、皆が冷害に苦しむ時にも見事な稲穂を実らせてみせます。

しかし、他人には決してその方法を教えず、良かれと思い人が言う親切も聞こうとはしません。トビイロウンカの異常発生については頑として農薬散布を拒み、それでは他の田圃が被害を受ける羽目になると言われても、一向に動じる気配がありません。

手前のことは手前で考えろと言わんばかりの態度です。その義一の田圃が、実は標的になっているのが段々と明らかになって行きます。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆永井 するみ
1961年東京生まれ。
東京芸術大学音楽学部中退、北海道大学農学部卒業。2010年9月3日、死去。

作品 「マリーゴールド」「隣人」「ミレニアム」「ダブル」「義弟」他多数

関連記事

『国境』(黒川博行)_書評という名の読書感想文(その2)

『国境』(その2)黒川 博行 講談社 2001年10月30日第一刷 羅津・先鋒は咸鏡北道の北の果

記事を読む

『くまちゃん』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『くまちゃん』角田 光代 新潮文庫 2011年11月1日発行 例えば、結局ふられてしまうこと

記事を読む

『通天閣』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『通天閣』西 加奈子 ちくま文庫 2009年12月10日第一刷 織田作之助賞受賞作だと聞くと

記事を読む

『崩れる脳を抱きしめて』(知念実希人)_書評という名の読書感想文

『崩れる脳を抱きしめて』知念 実希人 実業之日本社文庫 2020年10月15日初版

記事を読む

『くちぶえ番長』(重松清)_書評という名の読書感想文

『くちぶえ番長』重松 清 新潮文庫 2020年9月15日30刷 マコトとは、それき

記事を読む

『消された一家/北九州・連続監禁殺人事件』(豊田正義)_書評という名の読書感想文

『消された一家/北九州・連続監禁殺人事件』豊田 正義 新潮文庫 2023年4月15日 27刷

記事を読む

『金魚姫』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『金魚姫』荻原 浩 角川文庫 2018年6月25日初版 金魚の歴史は、いまを遡ること凡そ千七百年前

記事を読む

『火車』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『火車』宮部 みゆき 新潮文庫 2020年5月10日87刷 ミステリー20年間の第1

記事を読む

『完璧な母親』(まさきとしか)_今どうしても読んで欲しい作家NO.1

『完璧な母親』まさき としか 幻冬舎文庫 2019年3月30日10刷 「八日目の蝉

記事を読む

『形影相弔・歪んだ忌日』(西村賢太)_書評という名の読書感想文

『形影相弔・歪んだ忌日』西村 賢太 新潮文庫 2016年1月1日発行 僅かに虚名が上がり、アブ

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ハング 〈ジウ〉サーガ5 』誉田 哲也 中公文庫 2024年10月

『Phantom/ファントム』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文 

『Phantom/ファントム』羽田 圭介 文春文庫 2024年9月1

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑