『百合中毒』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『百合中毒』井上 荒野 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷

25年前に家族を捨てた男の突然の “帰宅“ 。妻は、娘は、愛人は、それぞれの不都合な現実と向き合う - 。

25年ぶりに父が帰ってきた。イタリア人の若い女と恋仲になり、家族を捨てた男が。だが、園芸店を営む母・歌子にはすでに恋人がいた。次女の遥は父を許せずにいる一方で、職場の既婚者と不倫中だ。母と働く長女の真希は、隠し事をしている夫に不信感を抱いていて・・・・・・・。戻ってきた 「異物」 によって浮かび上がる、不都合な現実。夫婦とは、家族とは? 7人の男女の目線から愛を問い直す長編小説。解説/酒井順子 (集英社文庫)

女は早口でキイキイ喋った。後ろで男が、張り子の虎みたいにうんうんと頷いている。

ユリ科の植物に猫は中毒するんです。ヘメロカリスはとくに毒性が高いんですよ。うちの子は葉っぱを三枚ほど食べただけで、一週間入院しました。幸い助かりましたけど、死んでしまう子のほうが多いんです。それほどの危険性について、お店の方がまったく知らないっていうのはどういうことなんでしょう? 苗を買うときにひとこと注意さえあれば、絶対に猫を近づけませんでした。苗は庭に植えますよね。野良猫とか、野良じゃなくても外飼いしている猫とかが、被害に遭う可能性だってあるわけですよ。うちの庭の花がよその猫を殺すところだったんですよ」(P23.24)

物語の中心地となるのは、七竈家が長野の高原で営む 「ななかまど園芸」。ある時、ヘメロカリスという花は猫にとって毒だというのに、その毒性を喚起せずに販売するとは何事、というクレームをつける客が現れる。

七竈家の母・歌子は、なぜかクレームをつけた客達をも誘い、「猫の百合中毒のポスターを作りましょう」 と提案。その客と家族とが一つのテーブルを囲み、おのおのが画用紙に向かって、百合中毒防止のポスターを描くのだ。

そこには、クレームをつけた客以外にも、違和感をもたらす人物がいた。二十五年前、イタリア人女性と暮らしたいと出ていった七竈家の父・泰史が、相手の女性が帰国したということで突然家に戻ってきたのであり、彼もまた、ポスターを描く輪に加わっていた。

泰史が不在の間、歌子が交際するようになった蓬田も、同じテーブルで百合中毒のポスターを制作する。不自然で気まずい空気を誰もが感じながら、ドクロマークが描かれたポスターが完成していく・・・・・・・。

物語はその後、一章ごとに視点の主体となる人物を替えて進んでいく。一人暮らしをしている次女の遥は、勤め先である設計事務所の社長と、不倫中。夫と共に 「ななかまど園芸」 で働く長女の真希は、夫が自分に何かを隠していることに、気づいている。家族はそれぞれ事情やわだかまりを抱えているが、それを誰かに打ち明けることはない。(解説より)

視点は、七竈家以外の人々にも移っていきます。歌子の恋人・蓬田、真希の夫・祐一、遥の不倫相手・池内と。そして泰史が共に暮らしていたイタリア人女性・プリシラにも。

何なのでしょう。人を変え、立場を変えるほどに、家族の状況は、俄然ややこしくなります。解決するどころか、事はますます混乱し、毒はいつまで経っても消えません。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆井上 荒野
1961年東京都生まれ。
成蹊大学文学部英米文学科卒業。

作品 「虫娘」「ほろびぬ姫」「切羽へ」「つやのよる」「誰かの木琴」「ママがやった」「赤へ」「その話は今日はやめておきましょう」「あちらにいる鬼」「生皮」「あたしたち、海へ」他多数

関連記事

『向田理髪店』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『向田理髪店』奥田 英朗 光文社 2016年4月20日初版 帯に[過疎の町のから騒ぎ]とあり

記事を読む

『山中静夫氏の尊厳死』(南木佳士)_書評という名の読書感想文

『山中静夫氏の尊厳死』南木 佳士 文春文庫 2019年7月15日第2刷 生まれ故郷

記事を読む

『variety[ヴァラエティ]』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『variety[ヴァラエティ]』奥田 英朗 講談社 2016年9月20日第一刷 迷惑、顰蹙、無理

記事を読む

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(伊集院静)_書評という名の読書感想文

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(下巻)伊集院 静 講談社文庫 2016年1月15日第一刷

記事を読む

『ぬばたまの黒女』(阿泉来堂)_書評という名の読書感想文

『ぬばたまの黒女』阿泉 来堂 角川ホラー文庫 2021年6月25日初版 人に言えな

記事を読む

『ユリゴコロ』(沼田まほかる)_書評という名の読書感想文

『ユリゴコロ』沼田 まほかる 双葉文庫 2014年1月12日第一刷 ある一家で見つかった「ユリゴコ

記事を読む

『東京放浪』(小野寺史宜)_書評という名の読書感想文

『東京放浪』小野寺 史宜 ポプラ文庫 2016年8月5日第一刷 「一週間限定」 の "放浪の旅"

記事を読む

『昨夜のカレー、明日のパン』(木皿泉)_書評という名の読書感想文

『昨夜のカレー、明日のパン』木皿 泉 河出文庫 2016年2月20日25刷 7年前

記事を読む

『砕かれた鍵』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『砕かれた鍵』逢坂 剛 集英社 1992年6月25日第一刷 『百舌の叫ぶ夜』『幻の翼』に続くシリ

記事を読む

『夢を与える』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『夢を与える』綿矢 りさ 河出文庫 2012年10月20日初版 こんなシーンがあります。

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『友が、消えた』(金城一紀)_書評という名の読書感想文

『友が、消えた』金城 一紀 角川書店 2024年12月16日 初版発

『連続殺人鬼カエル男 完結編』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『連続殺人鬼カエル男 完結編』中山 七里 宝島社 2024年11月

『雪の花』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『雪の花』吉村 昭 新潮文庫 2024年12月10日 28刷

『歌舞伎町ゲノム 〈ジウ〉サーガ9 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『歌舞伎町ゲノム 〈ジウ〉サーガ9 』誉田 哲也 中公文庫 2021

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ノワール 硝子の太陽 〈ジウ〉サーガ8 』誉田 哲也 中公文庫 2

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑