『対馬の海に沈む』 (窪田新之助)_書評という名の読書感想文

『対馬の海に沈む』 窪田 新之助 集英社 2024年12月10日 第1刷発行

JAで神様 と呼ばれた男の溺死。執拗な取材の果て、辿り着いたのは、国境の島に蠢く人間の、深い闇だった。2024年 第22回 開高健ノンフィクション賞受賞作

銀行 (しかもメガバンク) の貸金庫から多額の金品が盗まれる - 昨今話題のこの事件の犯人は、なんと、支店長代理を務めるベテランの女性行員で、約4年半の間に盗りも盗ったり、被害総額は十数億円にも上るというではないですか。

普段通りに仕事をこなし、一方で窃盗を繰り返す - そんなことが未来永劫バレずに続くわけがありません。いずれ捕まる時が必ずやってきます。彼女もそれは覚悟していたはずで、そのとき彼女はどう言い逃れするつもりだったのでしょう。それともこの本の主人公・西山のように、車ごと海に飛び込んで、何も語らぬままに死ぬつもりだったのでしょうか。

2024年、最高のノンフィクション。そう断言すると異論も出そうだから、もっとも記憶に残る作品、と書き直す。取材力、視点、根気、情熱、そして覚悟。書き手に求められるすべての要素が本書 『対馬の海に沈む』 (窪田新之助・著) にはある。

ж

2019年、長崎のJA対馬に勤める44歳の職員が、自らの運転で海に飛び込むようにして転落、溺死した。JAの共済事業で 「日本一の営業マン」 と呼ばれ、プロ野球選手並みの年収を誇った男は、大がかりな不正契約、流用をした疑いで告発される。JA対馬は、不正は男ひとりによるものとして片付けた。

こんな巨悪を、単独で為せるのか。著者は島を訪ね、男の足跡を追う。次々と判明する事実に驚愕する。不正流用は、分かっているだけで22億円。人口3万、地場産業のない国境の過疎の島で、男の金は不動産はじめ地元経済を潤わせていた。「マネーロンダリング」 「神の手」 「打ち出の小槌」。異様な資金の移動に、共犯者の存在を確信する。

「ノンフィクションは、とことん取材した者にだけ許される推測がある」。そう言ったのは立花隆だが、いっそ男が島にもたらした 「経済特需」 の数値化を試みてほしいほどだ。

登場人物は、配慮を要する数人を除き、ほぼ実名。だから被害者が加害者へと暗転する終盤の説得力が倍増する。匿名の人物に都合よく語らせるお手盛りノンフィクション全盛の今、稀なことだ。

日本農業新聞の元記者が、業界のガリバー・農協に対峙し、不正を暴く。それだけなら著者の前作 『農協の闇』 の類書に過ぎない。今作、取材は深化。男の上司だった小宮厚實さんの農協に寄せる真摯な願いが、著者に伝播する。告発の書は最終盤、鎮魂の書となる。著者は 「オート・ハンシャ」 なる “禊“ を経て、不正の背後に広がる闇を覗く。男を対馬の海へと追いつめたものは一体何だったのか。余韻を味わいながら、カバーを外してみた。デザイナーも編集者もいい仕事をしている。(以下略/新潮社 Book Bang編集部より/レビュアーの堀川恵子氏はノンフィクション作家で、「開高健ノンフィクション賞」 の選考委員をしています)

読むとわかるのですが、これは典型的な日本のムラ社会、人縁地縁で強く結ばれた過疎地の小さな島だからこそあり得た犯罪だったのだろうと。

西山は、対馬のこれまた小さな規模のJAで、共済 (JAでは保険を共済と呼びます) 業務の営業で 日本一の成績を誇る極めて優秀な職員でした。目立った産業もなく過疎の進む島で、彼は毎年とんでもない数の契約を取り続けます。顧客のもとに足繫く通い、桁違いの成績を収め続ける彼は、そのうち 「神」 と呼ばれるようになります。

その結果、各年ごとにJA対馬に配分される (上部組織からの) 付加収入たるや、JA対馬で働く職員のほぼ一年間に要する人件費が賄えるほどの金額で、それはもう (一人の営業マンの挙績としては) 奇跡というほかないものでした。それほどに (経営に資する) 西山の貢献度は抜きん出たものでした。

では、亡くなるまでの何年もの間、彼はいかにして破格な成績を収め続けることができたのか? そしてその綻びのきっかけは、一体何だったのでしょう・・・・・・・。 

これは 「西山義治」 という一人のモンスターの話ではありません。彼が特筆すべき人物 (犯罪者) であることは間違いないのですが、その正体を探る過程で著者がたどり着いた結論は 「すべての罪を彼だけに負わせて、それで終わり」 ではないだろう、という点です。JAという組織や島で蠢く人間の、深い闇こそが問題でした。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆窪田 新之助 1978年福岡県生まれ。明治大学文学部卒業。ノンフィクション作家。

2004年JAグループの日本農業新聞に入社。国内外で農政や農業生産の現場を取材し、2012年よりフリーに。著書に 『データ農業が日本を救う』 『農協の闇』、共著に 『誰が農業を殺すのか』 『人口減少時代の農業と食』 など。

関連記事

『よるのふくらみ』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『よるのふくらみ』窪 美澄 新潮文庫 2016年10月1日発行 以下はすべてが解説からの抜粋です

記事を読む

『大阪』(岸政彦 柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『大阪』岸政彦 柴崎友香 河出書房新社 2021年1月30日初版発行 大阪に来た人

記事を読む

『虚談』(京極夏彦)_この現実はすべて虚構だ/書評という名の読書感想文

『虚談』京極 夏彦 角川文庫 2021年10月25日初版 *表紙の画をよく見てくださ

記事を読む

『正しい女たち』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『正しい女たち』千早 茜 文春文庫 2021年5月10日第1刷 どんなに揉めても、

記事を読む

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』(木藤亜也)_書評という名の読書感想文

『1リットルの涙/難病と闘い続ける少女亜也の日記』木藤 亜也 幻冬舎文庫 2021年3月25日58

記事を読む

『照柿』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『照柿』高村 薫 講談社 1994年7月15日第一刷 おそらくは、それこそが人生の巡り合わせとし

記事を読む

『透明な迷宮』(平野啓一郎)_書評という名の読書感想文

『透明な迷宮』平野 啓一郎 新潮文庫 2017年1月1日発行 深夜のブタペストで監禁された初対面の

記事を読む

『隣はシリアルキラー』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『隣はシリアルキラー』中山 七里 集英社文庫 2023年4月25日第1刷 「ぎりっ

記事を読む

『ニシノユキヒコの恋と冒険』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上 弘美 新潮文庫 2006年8月1日発行 ニシノくん、幸彦、西野君

記事を読む

『億男』(川村元気)_書評という名の読書感想文

『億男』川村 元気 文春文庫 2018年3月10日第一刷 宝くじで3億円を当てた図書館司書の一男。

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ついでにジェントルメン』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『ついでにジェントルメン』柚木 麻子 文春文庫 2025年1月10日

『逃亡』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『逃亡』吉村 昭 文春文庫 2023年12月15日 新装版第3刷

『対馬の海に沈む』 (窪田新之助)_書評という名の読書感想文

『対馬の海に沈む』 窪田 新之助 集英社 2024年12月10日 第

『うたかたモザイク』(一穂ミチ)_書評という名の読書感想文

『うたかたモザイク』一穂 ミチ 講談社文庫 2024年11月15日

『友が、消えた』(金城一紀)_書評という名の読書感想文

『友が、消えた』金城 一紀 角川書店 2024年12月16日 初版発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑