『みぞれ』(重松清)_書評という名の読書感想文

『みぞれ』重松 清 角川文庫 2024年11月25日 初版発行

あなたの時間を少しだけ、小説とともに。いつもより大きな文字で届ける厳選名作。大切なものを見つめ直す100分間。  

お父ちゃん、まだ生きていたい - ?

小春日和の陽光が射し込む実家の居間、小ぶりの灰皿は一時間たらずで煙草の吸い殻で埋まってしまった。脳梗塞を患い、晩年を迎えた父は動くこともままならず、言葉もうしなった。酒好きだった父。絶対的な君主だった父の姿が脳裏を過る。いつまで生きることが父の幸せなのだろうか。父は黙ったまま、窓の外に広がる冬枯れの野山を見つめていた - 。(角川文庫)

脳溢血の発作を起こし、父が救急搬送されたのは七十四歳の時でした。幸い症状は軽かったのですが、入院中の検査で前立腺に癌が見つかり、その治療もあって、退院したのは約二ヶ月後のことでした。

父にはあくまで脳溢血の治療と偽り、ひと月に一度、前立腺癌の進行を抑制するための注射に病院へ通いました。(癌のことを父に言わなかったのは、父の年齢を考えると手術をしてもこの先何年生きられるかわからないので言わずにおきましょうと医師から言われていたからです)

父が二度目の発作を起こしたのは、前立腺の注射のために病院通いを始めてからちょうど一年半後のことで、今度は脳梗塞という診断でした。患部が脳の深部で重篤だと告げられました。

入院から三ヶ月。父の状態はそれなりに落ち着いて、そのまま平行線を辿るような日々が続いていたある日、突然担当の看護師さんから 「そろそろ次の病院を探すように」 と言われました。治療はとうに済んでいるので、これ以上ここにはいられないと。

夫婦二人で仕事を休み、思い付くところを行き当たりばったりに一日中駆けずり回りました。最後の最後、ダメ元で訪ねた人のおかげで、何とか次の入院先が見つかりました。まるで綱渡り、奇跡のような幸運でした。その病院で二年と四ヶ月、胃瘻のための手術をしましょうという直前、父は七十七歳の生涯を閉じました。

そんな経験をした私が読むと、「みぞれ」 という小説は、まるで私と父のことが書いてあるように思えてなりません。細かな状況は異なれど、「僕」 が抱く 「父」 に対する複雑な心境は、そっくりそのまま、当時私が父に感じていたことと同じではないかと。そんな気持ちになりました。

父は今年の冬を越せるのだろうか。
たとえ春を迎えたからといって、なにも変わらない。もしかしたら、その頃にはもう昼間からオムツをあてることになっているかもしれない。認知症の症状も出ているかもしれない。もっと別の、痛みに苦しまなければならない病気に冒されてしまうかもしれない。

いつまで生きることが父の幸せなのか、僕にはわからない。
いつ、どんなふうに生涯を閉じれば、父は最も幸せな死に方を迎えたと言えるのだろう。わからない。もしかしたら、父は、いちばん幸せな死のタイミングをすでに逃してしまっているんじゃないか、とも思うのだ。

ж

父は年老いた。
母も年老いた。
そして、二人はいずれ - うんと遠い
未来将来ではないうちに、僕の前から永遠に姿を消してしまう。

いつの頃からだろう、僕は両親の死を冷静に見据えるようになっていた。
二人の
老いを実感してから、の日がいずれ訪れることを受け入れるまで、思いのほか早かった。二人が亡くなるのは、もちろん、悲しい。涙だって流すだろう。だが、その涙には、自分の中のなにかが引き裂かれてしまうような痛みは溶けていないはずだ。
僕は、冷酷で身勝手な息子なのだろうか。
(本文より)

父の二度目の入院のあと、私たち夫婦が話し合って始めたことは、父の万が一に備えて仏間廻りを整頓し、(田舎故) 家でする通夜や告別式に必要な諸々の準備や確認で、いつ病院から連絡があったとしても、慌てることなく対処するための (前もっての) 心構えでした。

亡くなる前の一年ほどは、父はもう話すことは叶わず、目を開くこともない状態で、ただ 「生かされている」 というだけの毎日でした。早く死にたい、死なせてほしい - もしも話せたら、父はきっとそう言ったに違いない - 入院先の病院から 「危篤ですからすぐに来てください」 と電話が架かってきたのは、そんな思いでいたある日の深夜のことでした。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆重松 清

1963年岡山県津山市生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。

作品「定年ゴジラ」「カカシの夏休み」「ビタミンF」「十字架」「流星ワゴン」「疾走」「カシオペアの丘で」「ナイフ」「星のかけら」「また次の春へ」「青い鳥」「せんせい。」他多数

関連記事

『満願』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『満願』米澤 穂信 新潮社 2014年3月20日発行 米澤穂信の『満願』をようやく読みました。な

記事を読む

『真鶴』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『真鶴』川上 弘美 文春文庫 2009年10月10日第一刷 12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」

記事を読む

『向田理髪店』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『向田理髪店』奥田 英朗 光文社 2016年4月20日初版 帯に[過疎の町のから騒ぎ]とあり

記事を読む

『村上龍映画小説集』(村上龍)_書評という名の読書感想文

『村上龍映画小説集』村上 龍 講談社 1995年6月30日第一刷 この小説は 『69 six

記事を読む

『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『水やりはいつも深夜だけど』窪 美澄 角川文庫 2017年5月25日初版 セレブマ

記事を読む

『我が産声を聞きに』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『我が産声を聞きに』白石 一文 講談社文庫 2024年2月15日 第1刷発行 生まれ、生き、

記事を読む

『むかしむかしあるところに、死体がありました。』(青柳碧人)_書評という名の読書感想文

『むかしむかしあるところに、死体がありました。』青柳 碧人 双葉社 2019年6月3日第5刷

記事を読む

『また、桜の国で』(須賀しのぶ)_これが現役高校生が選んだ直木賞だ!

『また、桜の国で』須賀 しのぶ 祥伝社文庫 2019年12月20日初版 1938年

記事を読む

『怪物』(脚本 坂元裕二 監督 是枝裕和 著 佐野晶)_書評という名の読書感想文

『怪物』脚本 坂元裕二 監督 是枝裕和 著 佐野晶 宝島社文庫 2023年5月8日第1刷

記事を読む

『百舌落とし』(逢坂剛)_書評という名の読書感想文

『百舌落とし』逢坂 剛 集英社 2019年8月30日第1刷 後頭部を千枚通しで一突き

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『鑑定人 氏家京太郎』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『鑑定人 氏家京太郎』中山 七里 宝島社 2025年2月15日 第1

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行

『死神の精度』(伊坂幸太郎)_書評という名の読書感想文

『死神の精度』伊坂 幸太郎 文春文庫 2025年2月10日 新装版第

『それでも日々はつづくから』(燃え殻)_書評という名の読書感想文

『それでも日々はつづくから』燃え殻 新潮文庫 2025年2月1日 発

『透析を止めた日』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『透析を止めた日』 堀川 惠子 講談社 2025年2月3日 第5刷発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑