『夜の道標』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『夜の道標』芦沢 央 中公文庫 2025年4月25日 初版発行

第76回 日本推理作家協会賞 (長編および連作短編集部門) 受賞作

少年が出会ったのは、逃亡中の殺人犯だった。

一九九六年、横浜市内で塾経営者が殺害された。事件発生から二年、被疑者である元教え子の足取りは今もつかめていない・・・・・・・。殺人犯を匿う女、窓際に追いやられながら捜査を続ける刑事、そして、父親から虐待を受けている少年。それぞれの守りたいものが絡み合い、事態は思いもよらぬ展開を迎える。日本推理作家協会賞受賞作。〈解説〉 山田詠美 (中公文庫)

塾の経営者・戸川勝弘は悪い噂ひとつない人物で、皆が全幅の信頼を寄せるほどの人格者でした。そんな戸川が、元教え子の阿久津になぜ殺されたのか? その動機がわかりません。 

犯行時、阿久津は三十五歳になっています。阿久津が塾に通っていたのは小学六年生から高校三年生に上がった十七歳の頃で、その後のつき合いはなく、なぜ三十五歳になった二年前、わざわざ戸川に会いに行ったのか? そのとき阿久津に何があり、なぜ彼は犯行に及んだのか・・・・・・・。 

何もかもがわかりません。犯行後、阿久津は姿を消したまま既に二年が経過しています。 

軸となるのは、一九九六年に起きた塾経営者殺害事件。そこの塾では、通常の学校教育からこぼれ落ちてしまった子供たちの指導を行っていた。こぼれ落ちるというのは、不登校や集団学習についていけないということ。知的、あるいは精神的に障害があるという診断を受けていた子もいた。

そして、そこに通っていた生徒のひとりが被疑者である阿久津弦 (あくつ・げん) という男。事件発生時は三十五歳だった。目撃者たちの証言などから、彼の犯行と特定されていたが、そのまま姿を消して行方は解らない。

ж

物語は、小学六年生の二人の少年のバスケットボールの練習風景から始まる。同じクラブチームに所属している仲村桜介と橋本波留である。

ごく一般的な家庭で健やかに育った桜介は、既に名プレーヤーの片鱗を覗かせる大人びた波留が大好きだ。何かにつけて彼を気にかけ、力になってやりたいと思う。このあたりの二人のやり取りは微笑ましい。しかし、それがどんどん悲痛さをおびて来るのは、波留という少年が、その年齢にして有り得ないほどの過酷な境遇にいるのが解って来るからである。

皮肉なことにかけがえのない存在を意識するのは、その人が不幸の影をまとっているのに気付いた時だったりする。普通、大人になってから経験するそれを、少年たちは、ごく早い時期に知ってしまった。つまり、大人への扉を、人よりはるかに速い段階で開けてしまったのだ。

殺人犯と少年たちは、どのように出会い、時の流れを共有して行くのか。
人間模様が次々と重なり、絡み合って行く。途中、事件の捜査を続ける刑事たちの抑えた怒りや悲しみも物語の車輪に巻き込み、事態は、ラストへと加速して行く。

その様子が、登場人物のそれぞれの視点から描かれ、ひとつに束ねられていくのを目撃するのは、読んでいる私であり、あなただ。読者を当事者にさせる。それが、この作品の力強さだと思う。その惜し気もなく発揮されるパワーを、私は、先に 「手柄」 と書いた。読み手に登場人物との道行きを後悔させない筆力のことである。(解説より)

※おそらく多くの人が予想し得ない、衝撃のラストが待ち受けています。阿久津の母親が叫ぶように刑事に言った言葉。母親に向かって阿久津がぽつんと呟いた一言。そのふたつが今も忘れられません。

【参考】 今秋、ドラマになります。「連続ドラマW 夜の道標 -ある容疑者を巡る記録-」 2025年9月 放送・配信スタート 主演:吉岡秀隆 (事件を追う刑事・平良正太郎役だそうです)

この本を読んでみてください係数 85/100

◆芦沢 央
1984年東京都生まれ。
千葉大学文学部史学科卒業。

作品 「罪の余白」「許されようとは思いません」「いつかの人質」「悪いものが、来ませんように」「火のないところに煙は」「汚れた手をそこで拭かない」「神の悪手」他多数

関連記事

『緑の花と赤い芝生』(伊藤朱里)_書評という名の読書感想文

『緑の花と赤い芝生』伊藤 朱里 小学館文庫 2023年7月11日初版第1刷発行 「

記事を読む

『EPITAPH東京』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『EPITAPH東京』恩田 陸 朝日文庫 2018年4月30日第一刷 東日本大震災を経て、刻々と変

記事を読む

『ある一日』(いしいしんじ)_書評という名の読書感想文

『ある一日』いしい しんじ 新潮文庫 2014年8月1日発行 「予定日まで来たというのは、お祝

記事を読む

『フクロウ准教授の午睡 (シエスタ)』(伊与原新)_書評という名の読書感想文

『フクロウ准教授の午睡 (シエスタ)』伊与原 新 文春文庫 2025年4月10日 第3刷 祝

記事を読む

『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(尾形真理子)_書評という名の読書感想文

『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』尾形 真理子 幻冬舎文庫 2014年2月10日初版 年

記事を読む

『variety[ヴァラエティ]』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『variety[ヴァラエティ]』奥田 英朗 講談社 2016年9月20日第一刷 迷惑、顰蹙、無理

記事を読む

『スモールワールズ』(一穂ミチ)_書評という名の読書感想文

『スモールワールズ』一穂 ミチ 講談社文庫 2023年10月13日 第1刷発行 2022年本

記事を読む

『夜よ鼠たちのために』(連城三紀彦)_書評という名の読書感想文

『夜よ鼠たちのために』(復刻名作1位)連城 三紀彦 宝島社 2014年9月18日第一刷 年末

記事を読む

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(伊集院静)_書評という名の読書感想文

『ノボさん/小説 正岡子規と夏目漱石』(下巻)伊集院 静 講談社文庫 2016年1月15日第一刷

記事を読む

『俳優・亀岡拓次』(戌井昭人)_書評という名の読書感想文

『俳優・亀岡拓次』戌井 昭人 文春文庫 2015年11月10日第一刷 亀岡拓次、37歳、独身。

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『カラスは言った』(渡辺優)_書評という名の読書感想文

『カラスは言った』渡辺 優 中公文庫 2025年11月25日 初版発

『崩壊』(塩田武士)_書評という名の読書感想文

『崩壊』塩田 武士 PHP文芸文庫 2025年10月22日 第1版第

『禁断の中国史』(百田尚樹)_書評という名の読書感想文

『禁断の中国史』百田 尚樹 幻冬舎文庫 2025年11月10日初版発

『嘘つきジェンガ』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『嘘つきジェンガ』辻村 深月 文春文庫 2025年11月10日 第1

『べっぴんぢごく』(岩井志麻子)_書評という名の読書感想文

『べっぴんぢごく』岩井 志麻子 角川ホラー文庫 2025年7月25日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑